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中国漁船衝突事件で考えた、ナショナリズムからパトリオティズムへ 日々坦々
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投稿者 行雲流水 日時 2010 年 9 月 27 日 21:12:57: CcbUdNyBAG7Z2
 

http://etc8.blog83.fc2.com/blog-date-20100927.html
2010⁄09⁄27(月) 15:24

中国漁船衝突事件で考えた、ナショナリズムからパトリオティズムへ


シュクシュクとなされた?中国船長の釈放で、右翼、保守系は勿論のこと、反菅政権の民主党支持者も、日本政府の対応、検察におんぶに抱っこで情け無い、開放してもなお、補償と謝罪を言い募る中国に対して、怒りが絶頂に達しようとしている。

これらは知らず知らずのうちに、血肉に入っている日本民族の血が騒ぎ、ナショナリズムとして胎動してきているのではないかと思う。

最近の自民党谷垣総裁や石原東京都知事と民主党支持者という、相容れない敵同士が、敵の敵は味方という図式を了とし、語っていることに共感を覚え、共同歩調がとれている、という不思議な現象がおきている。

ここで気をつけなければいけないのは、自国中心的ナショナリズムの危険についてである。

個人がもつ郷土愛、国を愛する、日本を誇りに思うことは素晴らしいことであるが、また一方で歴史的に国家権力がナショナリズムを利用して、戦争に国民を巻き込んできたことも忘れてはならないことだ。

最近では、ナショナリズムを利用するのは何も国家権力ばかりではなく、一部思想家や活動家、政治家なども利用するようになってきている。

アメリカならば、戦争によって経済を維持して国民を時の政権に繋ぎ止め、韓国ならば、政権の支持率などが落ち込んだ時に「反日」を仕掛けて政権支持を高めた、など権力者が利用してきたといえる。

国家とは、本来、その土地と民の権利と安全と財産を保障し、そのために民は税金を上納するという、社会秩序を継続的に維持し、社会的安定を担保する相互依存関係でなりたっている。

それが、国家が民を"支配する"という図式が民主主義国の中でも強くなり、社会主義国の中国などは、よりそれが強いことは自明である。

今回の尖閣諸島での中国漁船衝突事件で、「あれは衝突させるように指示した中国高官がいる」という意見もある。(中国漁船に衝突を指示した黒幕は誰か尖閣諸島事件を巡る中国の対応に権力闘争の影)

あのテロ組織シーシェパードではあるまいに、一般の漁船が巡視船にぶつかって来るということは考えにくいことは確かだ。

それによると、事件を起こすことで中国国内に「反日」の機運を煽り、胡錦濤政権を困惑させることに利益を見出している勢力ということで、ポスト胡錦濤の最右翼に位置している習近平氏が、10月の中央委総会で党中央軍事委副主席に就任すれば、その足場をさらに固められる、ということで、このタイミングで画策したということだ。

これは無いとはいいきれまい。

このようにナショナリズムが政治利用され、自国中心主義に陥り他国を排他してきたところに、どうしてもこの言葉にネガディブな翳(かげ)を感じてしまう。

小沢さんが先般、8月25日の「小沢一郎政治塾」で愛国心について次のように語っている。

≪俗に愛国心、愛国心と言いますけども、これは、お上から、これを上から親から押し付けられて、あるいは観念的に教えられ強制され強要されて、生まれるもんじゃないですよね。心の問題ですから。それぞれの各人の心に宿るものですから。家族愛、郷土愛、祖国愛。これはそれぞれの各人の心に宿るものでありますから、教育基本法に書いてあるとか書いて無いとか、学校の先生が教えるとか教えないとかっていう、本来、そういう性格のものではありません。自然とそれぞれの国民の一人ひとりの心に宿るものだと私は思っております。≫(参照)

小沢さんがいう愛国心とはナショナリズムというより、パトリオティズムに近いと思う。


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20代前半の頃、アメリカに3年間ほど住んでいた時に感じたことは、以前ブログに次のように書いた。

≪アメリカに3年程住んで、いやというほど、「自分は日本人である」ことを実感させられ、アメリカ人に日本の説明や紹介もロクにできなかった反省から、帰国後、日本人論を読み漁り、誇りを持てない日本に愕然としながら、徐々に民族主義者的になっていった自分がいた。そうした中で、右翼的発想にならなかったのは、「日本改造計画」を読んで、改めて日本のあり方、本来あるべき将来的なビジョンを目の当たりにし・・・≫

もう一つアメリカに住んでいて感じたことがある。

アメリカは荒(すさ)んだ国で、銃の乱射や犯罪が多発し、昼間からパトカーがサイレンを鳴らしている、という映画の世界をそのまま想像していた。
実際に住んでみると、日本に仏教文化が生活に根付いているように、アメリカはキリスト教文化が根付いている、という何気ない当たり前のことを実感した。

たとえば、当時、社会システムとして弱者を救済するシステムが地方自治体単位でしっかりしていたことや、地域が積極的に個人を応援していくプログラムが民間なども含め充実していることなどだ。

一般の人たちの意識も、とにかく人のために何かをしようとする相互扶助の意識が自然にあることだ。

東洋では孔子が「己の欲せざる所は、人に施す勿(なか)れ」と言ったことに対して、西洋ではイエス・キリストが「自分を愛するようにあなたの隣人を愛しなさい」と東西の思想的違いでもはっきりわかる。

私が中学1年生の時、最初にもらった生徒手帳に「己の欲せざる・・・」と、デカデカと最初のページに書いたことを思い出す。

人に対して、自分が嫌がることは他人にはするな、という、どちらかというと戒め的な受動的なものと、隣人を愛せよ、とより積極的に関わっていこうとする能動的なもの、と捉えることもできる。


儒教的東洋文化とキリスト教的西洋文化の話になるが、日本において儒教・仏教文化が根付いていることを考えれば、単一民族と他民族国家との違いともいえると思う。

日本の場合は、既に共通の価値観が共有されていて、他人との関係においても必要最小限のモラルとして、人に対して嫌がることはするな、恥ずかしいことはするな、という極めて消極的な社会道徳でも成り立っていけた、ということができる。

アメリカなどに代表される他民族国家は、とにかく、価値観の違う隣人に対しては、敵ではないことを積極的にアピールして説明していく必要があったのではないか。

これは完全に独断と偏見による自論である。乱筆多謝。

そうした民族性もあり日本の外交は他の国と比べ非常に弱い分野になっているのかもしれない。

今回も国連総会で、自国の正当性をアピールするため世界に訴える中国のしたたかさが際立った。

外交は国家と国家の戦いであり、自国の国益になることならば、隣国を蹴落とすことまで戦略的に考えていかなければならない。

ただ、この民族主義、国家主義では争いはなくならないことは間違いない。

今回の中国人船長開放の問題は、そのナショナリズムとは別に、政権の政治姿勢は問わなければならない。

民主党の中でも、松原仁、中津川博郷両衆院議員ら有志議員5人は、「我が国の法秩序をじゅうりんするもので、容認できない」として、検察当局に釈放決定の撤回を求める抗議文を発表している。

参照:尖閣に自衛隊常駐を=民主議員(時事通信 2010/09/27-12:49) 
≪民主党の松原仁衆院議員らは27日、国会内で記者会見し、尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件を受け、同諸島への自衛隊常駐を検討すべきだとする提言を発表した。提言は同党議員12人の連名で、(1)同諸島への漁業中継基地の構築の検討(2)海上保安庁が撮影した衝突時のビデオ映像の公開(3)東シナ海のガス田「白樺」での中国側作業の調査−などを求めている。また、那覇地検が中国人船長を釈放したことについて「検察の権限を大きく逸脱した極めて遺憾な判断。議会制民主主義の原則を大きく揺るがす」とした同党議員73人の連名の声明も公表した。≫ 

原口一博議員も超党派で議論する会を発足させるとしている。

菅政権のへたれな政権運営に小沢待望論がグツグツと沸き立っている。

小沢さんの基本理念に「共生」「自立」がある。

≪私たちは、「共生」を新しい国づくりの理念として、あらゆる面で筋の通った「公正な国・日本」をつくる。そのために、国民一人一人が自立し、国家としても自立することを目指す。≫

また、以前、小沢さんが語った雑誌記事で日本についてのものをまとめてみた。


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≪個の自立が一番大切なことです。必ずしも2000年ずっとそうだったかどうかは別にして、日本の伝統的社会、何となく受け継がれている風土とか国民性においては、公を際立たせないことが美徳みたいにいわれてきたから、リーダーは認めないし、自己主張もない。みんな玉虫色で、難しいことは先送り。リーダーさえ一つも発言しないということがまかり通る。

西洋のキリスト教的な哲学は、すべてのものが人間のために存在するという感覚でしょう。それに対し、我々の東洋思想は、自然の中の人間という捉え方をしている。今後、環境というものが最大の問題になった時には、自然あっての我々の存在、人間も自然の中の一つという考え方、思想が新しい時代の考え方としてアピールできると思うんです。

日本人はそんなに信心深くないから。ただ、ちょっとアブノーマルな状況と結びつくと、日本人は途端におかしくなっちゃうでしょう。戦前の五・一五、二・二六事件(※)から戦争になった時は、国民みんながかなり異常になった。そうなった要因の一つは不況ですが、直接的な引き金になったのは東北の飢饉です。あのとき、僕の地元の役場は、「娘を売る時は役場に相談するように」という回覧板を農家に回した。そのぐらい厳しい、食うに食えない状況だった。その結果、「(青年将校たちは)おれが死んででも、あの悪いやつを倒してやる」と決起した。

諸行無常という仏教の観念は、人間は大自然の中での一こまという「流れの世界」だから、キリスト教的世界とは根本的に違うと思うんです。人間も自然の中の一つである、一存在に過ぎないという仏教的な考え方は非常に有効だと思います。(週刊ポスト 5月7・14日号 2004年4月26日)≫

≪東西冷戦が終わった時、これで世界に平和が来ると喜んだ人たちが結構いた。しかし、国家間の大規模な戦争は大量破壊兵器などの発達によってできなくなったが、地域紛争はむしろ増えています。人間の歴史は、戦争の間のつかの間の平和か、平和の間の戦争か、とよく言われますが、争いの繰り返しであった。私たちの世代が継承した近代国家も主権国家として、それぞれの国家がそれぞれの利害を主張し、交渉でダメなときは力ずくで争ってきた。それが実に20世紀まで続いてきました。古い主権国家論を展開していたのでは、いつまでも争いはなくならない。主権国家万能的な考え方から脱却して、「共生」あるいは「共存」の考え方を共有し、実践しなければいけない。それは人と人との共生と、人と自然(地球環境)との共生という、二つの側面がありますが、21世紀はその二つを実現する時代にしなければならない。そのためにこそ、西洋文明にありがちな、強いものが生き残るといった、あるいは万物の霊長たる人間のためにすべてが存在するといった、独善的な考え方でない日本人の良さを発揮しなければならない。21世紀の平和の哲学、共生の哲学を日本から発信するという志を持ちたい。先ほど山口先生がおっしゃったように、アジアの戦争の後始末と同時に、未来への構想、ビジョンを先導的に打ち出すことが、日本の21世紀の役割ではないかと考えています。(プレス民主137号 2005年12月9日)≫(参照)

今こそ、パトリオティズムに立った視点で、今回の尖閣諸島問題も議論する必要があると思う。


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