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「日韓がタブーにする半島の歴史」
室谷克実 著
新潮新書
2010年4月20日 発行
2010年9月10日 13刷
(転載了承済)
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序章 陛下の「お言葉」ではありますが
「貴国は我が国に最も近い隣国であり、人々の交流は、史書に明らかにされる以前のはるかな昔から行われておりました。そして、貴国の人々から様々な文物が我が国に伝えられ、私共の祖先は貴国の人々から多くのことを学びました」
これは、一九九四年三月に韓国の金泳三(キムヨンサム)大統領が来日した際、天皇が宮中晩餐会で述べられた「お言葉」だ。
古代、日本列島の倭人は、朝鮮半島の人民から、稲作をはじめとする様々な先進文化を教えられることにより、国の基礎をつくり発展させてきた──日本人の常識中の常識≠セろう。
韓国人もまた、そう信じて疑わない。「蒙昧な倭奴[ウェノム](日本人に対する蔑称)に、あらゆる文化・文明を教えてやったのは我々(の祖先)だ」と。
そのことを、日本の元首である日王[イルワン]=i韓国の新聞は「天皇」をこう表記する)が、ようやく素直に認めた──と、韓国のマスコミには当時、こんな趣旨の論評が溢れた。
天皇の数ある対韓発言の中で、韓国側に最も歓迎された「お言葉」だったといえる。
しかし私はいま、天皇のこの「お言葉」に象徴される常識″に異議を唱えたい。
倭人は半島の民族から様々なことを教えられたどころか、半島に初めて統一国家を築[シルラ]く 新羅の基礎づくりを指導したのは、実は倭人・倭種であり、新羅も百済[ペクチェ]も倭国のことを文化大国≠ニして敬仰していたのだ──と。
「そんなバカな」と、日本人も韓国人も言うだろう。
「この筆者は、頭がおかしいのではないのか」と。
しかし、日本でも韓国でも今や殆んど読まれることがなくなった半島や中国の古史書を素直に%ヌんでいくと、浮かび上がってくるのは、日本人や韓国人が抱く常識中の常識≠ニは、およそ懸け離れた列島と半島の古代関係史の姿なのだ。
例えば、半島に伝わる最古の正史(官撰の歴史書)である『三国史記』[サムグクサギ]には、列島から流れてきた脱解[タレ]という名の賢者が長い間、新羅の国を実質的に取り仕切り、彼が四代目の王位に即くと、倭人を大輔[テーポ](総理大臣に該当)に任命したとある。その後、脱解の子孫 からは七人が新羅の王位に即き、一方で倭国[ウェグク]と戦いながらも新羅の基礎をつくっていったことが記載されているのだ。
くれぐれも誤解がないように確認しておく。『古事記』『日本書紀』など、日本の古史書の記述内容を、国粋主義的な視点から解析していけば、そういう結論になると言うのではない。
半島で、半島の史官が、半島の王の命令を受け、半島の王朝と人民のために編纂した半島の正史に、そうした内容が書いてあるのだ。
あるいは、七世紀半ばに完成した中国の正史『隋書』には、こんな一節がある。
新羅、百済皆以倭為大国、多珍物、並敬仰之、恒通使往来
(新羅も百済も倭国を大国と見ている。優れた品々が多いためで、新羅も百済も俀国を敬仰し、常に使節が往来している)(『隋書』は列島そのものを扱った部分では「俀」国という表記を用いている。帝紀などでは「倭」国となっている)
この部分は「俀(倭)人がそう述べている」と言のではない。地の文章だ。『隋書』は殆んど同時代書であり、これを編纂した唐の最高級の知識人たちは、俀(倭)国──新羅、俀(倭)国──百済の関係を、こう見ていたのだ。
第三国同士の関係を語った部分とはいえ、中華思想の権化のような知識人が、そこに「敬仰」という表現を用いたことだけでも、すごいことではないか。
もちろん、古史書に記載されていれば歴史の事実≠ニいうわけではない。
例えば、列島から流れてきた賢者が新羅の王になる話についても、戦後日本の朝鮮史学者たちは「そんな説話は虚に決まっている」として、『三国史記』の前半部分を古史書の墓場≠ノ深く埋葬している。
しかし歴史の事実≠ナあるかどうかはさておき、「ただの古史書ではなく、一国の正史が現に、そう書いている」という記載の事実≠ヘ、どこまでも重い。
「そんな説話は嘘だ」「常識的にもあり得ない」などと決め付ける前に、よくよく考えてみるべきことがあるのではないか。
『三国史記』が出来上がったのは十二世紀、高麗[コリョ]王朝の時代だ。高麗王朝は「伝統ある新羅から禅譲を受けた王朝」という形式を整えつつあった。
『三国史記』そのものが、高麓とは山賊が打ち立てた国家≠ナはなく、「伝統ある新羅から禅譲を受けた国・王朝」であると明示するとともに、「新羅王朝の血脈が高麗の王朝にも流れ込んでいる」と主張することを目的にした正史といえる。
そうした高麗王朝にとって、「新羅の基礎は倭人・倭種がつくった」という危うい話≠正史に記載することに、どんなメリットがあったのか。
当時、日本と高麗の間に通交はあった。しかし、高麗が求めた医師派遣を日本は断るなど、どちらかと言えば冷たい関係だった。
そうした中で、高麓の史官は「新羅の基礎づくりは倭人に指導された」という話をわざわざ捏造してまで、正しい史実≠国民に知らせ、かつ後世にも伝えるために編纂する「一国の正史」の中に書き込んだとでも言うのだろうか。
『三国史記』の成立過程、その記載内容を慎重に検討していくと、上記の話が決して担造ではないこと──年代には疑問があるにしても、事実の確実な反映であることが見えてくる。考古学の新しい成果や、DNA分析を駆使した植物伝播学の研究も、それを後押ししてくれる。
半島最古の史書である『三国史記』、あるいは二番目に古い『三国遺事』[サムグクユサ]には、日本人にはもちちん・韓国人にも殆んど知られていない歴史が記されている。
まさに、故事は今を知る所以[ゆえん](筆者註=「所以」は手段の意味)──それらを知ることは、今日の半鳥の状況か川解寸心にも確実に役立つ。p-16
第一章 新羅の基礎は倭種が造った
王命は 「恥も曝け出した正史を」
列島と半島の古代関係史とは、多くの日本人にとって、天皇の「お言葉」にあったような常識中の常識≠ェ漠然と知られているだけの世界とも言える。
「半島の人々から様々なことを学んだと、学校でも習った。だから、きっと、そうなのだろう」という辺りで終わりであり、専門研究者や半島史マニアを除けば、それ以上に踏み込もうとはしなかった。
ここで採り上げる『三国史記』にしても、中国史書の『三国志』と間違えられることが、しばしばだ。…※以下略
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あとがき
私が初めて書いた本は『「韓国人」の経済学』(ダイヤモンド社、一九八七年)だ。五年間のソウル特派員を終えて帰国した後のことだった。
当時はまだ、「韓国=昇龍論」が、日本社会を勢いよく閥歩していた。それは「勤勉な韓国人によりもたらされた昇龍のような勢いの韓国経済が日本を抜き去るのは時間の問題だ」といったお話≠セった。こんな出鱈目なお話≠ノ、日本人が染められていくのは、断固として阻止しなくてはいけない ──そんな思いで書いた。
「ためにする反韓の書」などと、いろいろ言う人がいたが、案の定、韓国は国家経済破綻に陥り、国際通貨基金(IMF)に駆け込んだ。
その本で書いたのは、@韓国人は儒教に染まり切っているので、「額に汗して働くこと」を蔑視しているから、まともな工業製品はできない、Aその国の経済は統計数値を誤魔化しているので表面はピカピカだが、実は「外華内貧」だ──といったことだ。
今となれば韓国通の常識だが、当時は外務省の局長まで「この本を書いた時事通信の記者はバカか」と夜回りした記者に語ったそうだ。某全国紙記者が教えてくれた。
その暫く後、超高額情報誌に「日本の暴力団員・看板右翼団体所属員の三割は在日韓国・朝鮮人であり、北で作られた麻薬が、彼らにより日本で売りさばかれている」との記事を送った。もちろん、確実な筋から得た情報に基づく記事だった。
が、その編集責任者は「いくらネタがないからといって、こんなウソを書いてはいけませんよ」と嘲笑(あざわら)い、原稿はボツになった。こういう「常識的判断」ができる人──いや、……しかできない人が大出世するから、日本からは「独創」が出ないのだろう。
ともあれ、前述の内容も今や、北の不審船撃沈事件や、元公安調査庁幹部の講演、日本の大手暴力団組長の証言などで、情報通の間では常識≠ノ属するところになった。
この本に書いた内容も、自らの頭を「通説と常識」で塗り固めている人々には受け入れがたいに違いない。それでも、「通説と常識」を疑う心を持つ読者なら、この非常識な論述内容≠頭の隅に置いてくれるのではないか──そんな思いで書いた。
当初の原稿は、仮題『戦後日本の朝鮮史学(者)を告発する』で、量は二倍ほどあった。「こんな恐ろしいタイトルでは……」「そもそも半島古代史とは、殆んど、日本人が知らないことです」と助言してくれた新潮社の伊藤幸人広報宣伝部長、後藤裕二編集長、内田浩平編集部員に感謝する。
そうした助言を受け、最初の原稿の上澄みを掬(すく)い取ったのが、この本だ。
最後になるが、私の思い違い、無数の引用ミス、変換ミスなどを、原文と丹念に照合した上で、指摘してくださった校閲の方々に、心からのお礼を申し上げたい。
二〇一〇年二月
室 谷 克 実 p-223
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