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「週刊ポスト」10.1日号
平成22年9月20日(月)発売
小学館 (通知)
緊急寄稿 「菅報複合体」の誕生
総力特集 果たしてこれが国民が望んだ結末か
負けて始まる「小沢支配」
上杉隆(ジャーナリスト)
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小沢一郎は敗れた。菅直人と記者クラブという二つの敵に。「小沢官邸」を潰した新聞・テレビは、菅民主党を取り込み、しかして敵同士は、いつの間にか新たな協調関係を結んでいた。上杉隆が見た、小沢敗戦の裏側とは。
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記者クラブ王国の勝利と潰された「小沢官邸」
〈記者クラブ王国の勝利も確定〉
菅直人首相の民主党代表選勝利が決まった瞬間、私はツィツターでこうつぶやいた。
実はそうつぶやくしかない事態が、9日14日の代表選当日に起きていたのである。
民主党はこれまで首相の記者会見などの際、インターネットの生中継を許可してきた。ところがこれまで許されてさたニコ二コ動画やビデオジャーナリスト・神保哲生氏のビデオニュースなどによるネット生中継が、すべて一方的に中止を宣告されたのだ。
投開票の会場に着く直前、この事実を知らされた私は、民主党の議員や秘書、議員らを捕まえては次々に事情を聞いた。すると中央選挙管理委員会のメンバーすら、ネット生中継中正の決定を 知らなかったことが判明したのである。
実はこれは「党官官僚ともいうべき広報の党職員たちが、記者クラブと結託して勝手に決めたものだった。
私が担当職員に詰め寄ると、彼はこう答えた。
「うちのホームページで動画中継していますから」ならばネット中継はすべて禁止にすればいいはずだが、なぜかTBSテレビのUstreamによるネット生中継だけは許可されていた。
つまり、記者クラブメディアの中継は認めるが、記者クラブに属さないメディアは認めないという差別が再開したのだ。
最終的には党職員か決定を翻し、中継は許可された。しかし、菅政権の情報公開や記者会見オープン化に対する無関心さ、そして「党官僚」と記者クラブの癒着ぶりが、図らずもこの代表選で露呈したのである。
記者クラブ問題の後退
菅内閣になってからの3か月間で、記者再会見のオープン化は明らかに後退した。
民主党が記者クラブに取り込まれているのではないか、との私の危惧は、代表蓮を通じて次々に現実のものとなっていった.
まず9月1日の両候補共同記者会見。民主党政権になって初めて、新聞・テレビの記者クラブメディアの代表質問方式が復活した。
幹事社の質問後も記者クラブの記者のみが当てられ、フリーには質問の機会がなかった。
9月2日の討論会はそもそも記者クラブの主催で、質問が許されたのは新聞社の編集委員のみ。
その後も立会演説会の事前案内などでの差別が続いた。
そして代表選当日、冒頭のネット中継禁止事件が起きたのである。
民主党の党官僚たちは、再び記者クラブと一体化し初めている。だが、そのことに菅首相自身は気づいていない。口では「情報公開」といいながら、実際のところ、記者会見のオープン化にも、国民の知る権利にもほとんど無関心なのである。
これは「開かれた民主党を期待した国民への裏切りであり、菅氏の責任は極めてて重い。
これまで繰り返し指摘してきたが、記者クラブメディγに独占されていた政党の記者会見を、最初にオーブンにした政治家は小沢氏だった。
小沢氏は自分が首相になった場合には、即刻、政府の全ての記者会見をオーブンにすると会見で明言していた。この代表選で小沢氏が勝利していれば、小沢官邸≠ヘ記者会見をすぐにオープン化し、情報公開の第一歩が達成されていたはずだ。
だが小沢官邸の誕生をなんとしてでも阻止したい記者クラブ王国は、執拗かつ悪質な反小沢キャンペーン≠展開した。
今回の代表選を通じて明らかになったのは、菅体制が続行することで、記者クラブメディアがつくる日本の権力構造か官報複合体≠ェ温存されたことである。
そして官≠ネらぬ菅≠ニの癒着により、菅報複合体≠ェ出来上がってしまったのである。
4割の民意はどこに
小沢氏の勝利を阻止し、記者クラブ王国の崩壊を免れたことがよほど嬉しかったのだろう、代表選翌日の新聞・テレビは大喜びで「勝利宣言」を打った。
例えば朝日新聞は 〈管首相 大差で再選)と大見出しを打ったが、果たして今回の結果は、新聞・テレビがいうような「菅氏の圧勝」だったのか。
読売新聞1面で、村岡彰敏政治部長はこう書いた。
〈衆院300小選挙区の党員・サポーター票は、菅氏が小沢氏の5倍近くを集めた〉〈圧倒的票差だ〉
確かに、党員・サポーター票のポイント差は「249対51」と圧倒的で、これが菅首相の勝因となった。
だが、これは衆議院300小選挙区ごとに、1票でも多く得票したほうが「1ポイント」を獲得する「総取り方式」が生み出した数字のマジックだ。その点は読売の村岡氏も言及している。
しかし、実際の得票数、菅首相「13万7998」、小沢氏「9万194」、比率で言えばおよそ6対4の差を見たとき、読売のいう(5倍)〈圧倒的票差〉という表現が妥当といえるだろうか。
読売新聞の直近の世論調査では、菅氏支持が66%、小沢氏支持が18%だった。自社の世論調査の結果通りだったとの印象を読者に与えたかったのか。だとしたら、事実に基づかない意図的な「誤報」だ。
新聞・テレビの世論調査でおおむね2割だった小沢氏支持が現実には4割に達したことは、記者クラブメディアによる世論調査こそが、本当の世論と乖離していることをも明らかにしたといえよう。
また朝日新聞の社説は、「民意」という言葉を使い、こう書いた。
〈民意をおおむね反映した選択が示された。まっとうな結果といえる〉
では、4割にもおよぶ小沢支持の民意≠ヘ、民意ではないのか。菅氏が勝ったことを〈まっとうな結果〉というが、もし小沢氏が勝っていたら、その民意はまっとうではなかったということか。まるで「自分たちの意にそぐわない民意は民意ではない」とでも言いたげな傲慢な口ぶりである。
さらに酷いのが産経新聞だ。
同紙はこれまで、菅内閣を「左翼政権」とみなし、菅氏がかつて辛光沫(シングァンス)容疑者の釈放嘆顧書に署名した(※)ことなどを痛烈に批判してきた。ところが、今回の代表選では一転、菅氏寄りに転じた。社説にはこうある。
〈「訴追されうる首相」の誕生を阻止した意義はある〉
要は「敵の敵は味方」であり、小沢氏を阻止さえすればなんでもあり≠ニいうことなのだ。菅氏と小沢氏を比較すれば、小沢氏のほうが保守に近いはずだ。
産経新聞が保守を気取るなら、保守として一貫した姿勢を貫くべきだろう。
さらに同紙の乾正人政治部長は、小沢氏についてこう書いている。
〈メディアの選別も露骨である。持ち上げるか本人にとって利用価値のあるメディアにはインタビューに応じるが、批判的な小紙などには、はなも引っかけない(当方は痛くもかゆくもないが)〉
痛くもかゆくもないなら、こんなことを書かなければいい。そもそも小沢氏は幹事長時代から会見をオープンにし、すべてのメディアの質問に答えてきた。〈選別〉を行なってきたのは、これまでの自民党政権と、あなたがた記者クラブメディアのほうではないか。
しかし、菅報複合体≠ェ誕生したことで、民主党政権においても記者クラブは延命することになってしまった。残念でならない。
鳩山政権時代に比べても、情報公開の精神は明らかに後退している。菅首相が「クリーンでオープンな政治家」という看板を掲げるならば、再考すべきではないか。
たしかに記者クラブ王国の崩壊は先延ばしされた。だが、記者クラブという小さなパイを守ることは、もはや限界に達している。記者クラブメディアは、早くその現実を直視すべきなのだ。
※菅氏は1989年、北朝鮮による拉致事件の実行犯、辛光沫・元死刑囚の釈放嘆願書に署名。このことについては首相就任後、衆議院本会議で「対象の中に辛光決が入っていたことを十二分に確かめずに署名したことは間違いだった」と説明している
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