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2010年9月26日 (日)
中国人船長釈放検察決定絶対なら検察審査会不要
中国の漁船が日本の領海を侵犯した上、海上保安庁の巡視船に意図的に衝突したとして逮捕した中国漁船船長を日本政府が釈放した問題で、菅直人氏は検察の判断だと説明し、政府の責任からの逃げる姿勢を示し続けている。
外交上の最重要問題について、そもそも中国人船長を逮捕する段階で、日本政府が首相を含めて判断したはずである。1997年の漁業協定等を踏まえて、通常は逮捕・勾留などの対応を取らないところ、今回は強行措置を採用した。日本政府部内で十分な検討を行ったうえでの判断であったはずだ。この問題を普天間問題に活用することを画策したのだと思われる。
地検は勾留再延長申請をし、裁判所は再延長を認め、10日間の勾留延長が決定された。ところが、この決定を行った直後に那覇地検は船長の釈放を発表した。
日本政府が中国の対抗措置に屈服して中国人船長を釈放したことは歴然としている。沖縄地検が政治判断を理由に法の適用を歪めることは越法行為であり、あり得ないことである。政府が沖縄地検に船長釈放を要請したことは明白である。
日米安保にすがり、辺野古での巨大基地建設を推進する森本敏氏などは、日米外相会談で安保条約第5条の規定について言及したことを、日米安保の有効性を示した事例だと主張するが、この主張は木を見て森を見ない見解である。この発言を文字通りに受け取れるものであるなら、日本政府は粛々と法と正義に基づいて対応をすればよかっただけである。
ところが現実は、米国が中国人船長の釈放を指揮して日本政府がこの指揮に従っただけなのである。つまり、米国は日米よりも米中をすでに重視しているのである。日本政府は今回の事案を辺野古での米軍基地建設を推進するための材料として用いるだろうが、実態は大きく異なっているのである。
森本敏氏は日本政府が粛々と対応するべきだと強く主張していたが、中国の圧力に屈して日本政府が船長を釈放することを決定すると、一転して、政府は総合的に判断して船長釈放を決定したのだと政府決定を擁護する発言を行っている。結局、単なる政府の提灯持ちだったことが明らかになった。今回の対応を受けて、森本敏氏の発言には、今後、一切の影響力がなくなる。
言論人として発言するのであれば、自己の信念と哲学に従って、自らの主張を示すべきである。政府が右を向けば右を向き、政府が左を見れば左を見るなら、言論人として存在する意味はない。この手の提灯持ちばかりがテレビに出演しているのが現状である。
今回、日本政府は、検察の決定を絶対視する発言を繰り返している。国の命運を左右するような外交上の最重要問題についても、一地方検察庁の判断がすべてだとの姿勢を示している。
検察の判断が絶対のものであるとするなら、検察審査会制度の存在そのものが否定されることになる。岡田克也氏は検察審査会の決定を重視する発言を繰り返してきたが、今回の船長釈放に際しての、岡田克也氏の発言と完全に矛盾する。
検察が不起訴決定を示しても、日本国民が法務省に審査申し立てを行い、起訴相当の議決を2回繰り返せば、船長は強制起訴されることになる。
岡田克也氏は検察の決定を絶対視するのかしないのか、はっきりする必要がある。
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