http://www.asyura2.com/10/senkyo95/msg/889.html
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2010年の1月に村木被告の公判が始まったとき、弁護人が主張したのは「特捜部がつくった捜査報告書の6月1日の日付では、村木被告の関与が説明できない」というものだった。この時点では、上村被告側の手元に帰った「フロッピーの中身」など眼中にない。それに気づいていれば、裁判はパンクしていただろう。それではいつの時点で「フロッピーが怪しい」と気づいたのか? 次の表は新聞社がなぜかやらない「時系列で追った」顛末である。
元にした朝日新聞の記事は次の三つ、丸カッコの中は私が入れたものである。
<検事、押収資料改ざんか 捜査見立て通りに 郵便不正>2010年9月21日3時31分
http://www.asahi.com/national/update/0920/OSK201009200135.html
<フロッピーの日付、検察に都合よく 押収資料改ざん疑惑>2010年9月21日5時40分
http://www.asahi.com/national/update/0920/OSK201009200138.html
<「FDに時限爆弾仕掛けた」 改ざん容疑の検事、同僚に>2010年9月23日4時30分
http://www.asahi.com/national/update/0922/OSK201009220173.html?ref=goo
<<上村氏逮捕から村木氏無罪確定まで>>
@(2009年5月26日大阪地検特捜部は虚偽公文書作成・同行使の疑いで上村勉容疑者を逮捕)
AFDは昨年(2009年)5月26日上村勉被告の自宅から押収
B特捜部は証明書の文書の最終的な更新日時を「04年6月1日午前1時20分06秒」とする捜査報告書を作成(2009年5月末?)
C(2009年6月14日 村木容疑者を虚偽公文書作成、同行使容疑で逮捕)
DFD内に記録された証明書の最終更新日時が書き換えられたのは昨年(2009年)7月13日。
EFDは押収の約2カ月後にあたる(2009年)7月16日付で上村被告側に返却され
F(2009年)捜査報告書の存在の重要性に気づいたのは村木氏本人だった。検察が描いた構図と、上村被告が文書を保存した日時がずれていると、弁護団に連絡した。弁護団は今年(2010年)1月の初公判の弁護側冒頭陳述でこの証拠を生かして、「検察側の主張は破綻している」と訴えた。
G朝日新聞が今夏(2010年)、上村被告の弁護団の承諾を得てFDの記録を確認
H(2010年)朝日新聞が大手情報セキュリティー会社(東京)にFDの解析を依頼。本来は「6月1日」であるべき最終更新日時が「6月8日」と書き換えられていた。その書き換えは昨年7月13日午後だったことも判明。
I(2010年9月10日村木被告の無罪判決)
J(2010年9月21日村木被告の無罪確定・控訴期限は24日)
K(2010年9月21日朝日新聞の証拠改ざん疑惑報道開始)
問題はFとGの間にある。フロッピーなどそっちのけで「捜査報告書」の記載をもとに戦っていた弁護人が、なぜ今年の夏に「新聞社にフロッピーの検証をお願い」などしたのだろう。裁判は捜査報告書の「武器」だけでも十分勝算はあるのに。たまたま覗いてみたら「6月8日」と改訂されているのを見つけたからか。その意味を図りかねていたということか? 「まさか検察が証拠を改ざんするなんて・・」と迷っていたのか? しかし供述調書の改ざんは「当たり前に」行われていたんだろうが。
検察も弁護人も「証拠」として使用しなかったフロッピー本体を、「誰が、何時」怪しいと目をつけたのか? 誰を吹き飛ばす爆弾だったか分からないが、「隠された時限爆弾」の利点に気が付いたのは誰か? 検察内では「うわさ」は早くからあったらしいが、彼らが検察全体を危機に陥れることをするだろうか。それになぜ今になってそれは「炸裂」したのか?
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