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いま「検察の犯罪」が明らかにされつつあるが、「なにおいまさら…」と思わざるをえない。
いざ検察に睨まれてしまったら、それこそ、もうおしまい。
いったい、どれくらいの人が「検察の犯罪」の犠牲者になってきたことだろう。
そういうぼく自身、その犠牲者?の一人だった。
もう40年近くも前の、遠い遠い昔のことではあるが…。
この話、とても簡単には書けない。まして、このような場に適当に書けるような内容ではない。
というのも、ぼくにかけられた嫌疑は、なんと「クーデターの首謀者」であって、
もしもぼくがその冤罪に巻き込まれてしまっていたら、その時点でぼくの人生はおしまいだったろう。
なにしろ、佐藤栄作、田川誠一、河野洋平など、大物政治家7名の暗殺計画の首謀ということだったから。
1971年4月に行われた東京都知事選(美濃部対秦野)が終わったあと、
その数ヶ月後だったと思うが、ぼくのアパートに数名の警察官が突然現れた。早朝のことだった。
「殺人予備罪の容疑で任意取り調べしたい」、ということだった。
ぼくの場合は、決して「逮捕」されたわけではない。
毎日早朝から連行され、夜遅くまで取り調べされたものの、そのあとは部屋に帰ることができた。
それなのに、なんとぼくは、検察が作り上げたストーリーを結局そのまま認め、署名捺印してしまったのだ。
いったい、どうして、こんなことになってしまうのだろうか。
これはたぶん、経験者以外には、なかなか分からないことだろう。
ぼくの取り調べには「三島由紀夫事件」を担当した選り抜きの検事たち7名が当たった(らしい)が、
そこには恫喝脅迫的肉迫圧力、精神的拷問、さらには泣き落としなどいろいろあり、心理的に追いつめられた。
そして、この苦痛の出口が、もはや「署名」にしか残されていないように思われた。
そんな経験ではっきりと分かったこと、それは、検察が実際にやっていることは、
検察が頭の中で勝手に描き出した「ストーリー」を固めていく作業であって、真実の追求ではない。
いったんストーリーが組み立てられてしまったら、たとえ取り調べの途中で矛盾が生じてきたとしても、
ストーリー(仮説)を修正変更するのではなく、仮説に合わせた自白に追いやっていくだけだ。
だから、いくらぼくが必死で事実・真実を説明してみても、全く聞く耳をもってくれなかった。
それどころか「反抗的」という烙印を押され、立場がどんどん悪くなっていった。
しかも「☆☆は正直にちゃんと白状したんだよ。△△もこう言ってるぞ」と、
(あとで確認したところ)全くのでたらめ(ウソ)を平気で語ってぼくを孤立させ、
友人知人への信頼感をずたずたに切り裂いて、容赦なく人間不信へと追いやっていく。
それだけでも人生が空しく、悲しく、絶望的に思えるほどだった。
さらに、「お母さんは泣いていたぞ」「おじさんは警察官だったよなぁ」
「お前の恩師も嘆いていたぞ」「AさんやXさんにも事情聴取することになった」等々と、
大勢の警察官がぼくの関係者をあちこち訪ね歩いたことを暗に伝えてくるために、
そのたびに、たくさんの人たちに迷惑をかけていることを思い知らされた。
そして、ついに、全く何も心当たりのないストーリーを受け入れて署名してしまったのである。
いくら事実を説明しても全く埒があかない。ただ取り調べがいたずらに長引くばかりで、
決定的に「反抗的」の烙印を押されてしまったら、結局は「逮捕」ということになるのだろう。
毎日毎日同じような取り調べで攻めたてられ、どんどん袋小路に追い込まれていく。
いくら話しても結局は逮捕されることになるだろうということがはっきりと分かったとき、
もうこれ以上長引いて多くの周りの関係者たちに迷惑をかけてはならず、
そのためには署名捺印して、法廷で戦うしかないと思ったのであった。
ぼくの「自白」をとった調査官たちは、翌朝、記者たちに発表する予定だった(らしい)。
というのも、記者クラブでは「エリート検事たちが何かやっているぞ」と注目していて、
その発表を、いまかいまかと待ち構えていたからだった。
もしも「大物政治家7名の暗殺計画」が発表されてしまったとしたら、
間違いなくテレビも新聞も、大きな見出しと共にトップニュースで伝えたことだろう。
そこではいうまでもなく、ぼくの顔写真も大きく掲載される。
なにしろその前年(1970)の11月には「三島由紀夫の自決事件」があり、
なんとなく世の中が騒然としていた時代の「クーデター未遂事件」だったから、
たぶん突然のその報道で、世の中は大騒ぎになったことだろう。
ところが、どうしたことか、明日の朝発表というその夜のこと、思いがけないハプニングが起きた。
なんと、ぼくを嵌めた友人が、ぼくの運命の土壇場で「真実」をゲロったのである。
彼Kは、その当時都知事選挙で秦野陣営の一角を担い、かなり多額の選挙資金をネコババしていた。
その言い逃れとして、「ぼくの暗殺計画」を暗に臭わせたらしかった。
しかし、単にそれだけでは、いきなりぼくに嫌疑がかけられるわけもない。
ぼくが検察に睨まれた訳は、実はほかにもあり、その方が検察にとって意味がありそうだった。
その当時、ぼくは若気の至りで得意になって目立った取材活動(日中問題など)をしていたし、
(海外も含めてかなり多くの人と交流があり、頻繁に会ったり電話などもしていた)
また、社会からうさん臭く思われていた「ある組織」とも、かなり深く強いつながりを持っていた。
検察からすれば、その組織に連なるポジションにぼくがいたから、格好の標的に思えたのだと思う。
その当時、ある右翼団体が「怪しげな政治家暗殺計画」をしていたのも事実らしかった。
そんなこともあり、あとで分かったことだが、ぼくは1ヶ月くらい尾行されていたらしい。
しかしそれには全く気づかず、全くの無防備状態でかなり精力的に多くの人たちと会っていた。
あるいは盗聴もされていたかもしれない。ぼくはすっかり包囲されていたのである。
この辺りのことをちゃんと書いたら、たぶん一冊の本になるだろう。
とにかくぼくは、冤罪の寸前で、幸いなことにそのワナから解放されたのだった。
殺人予備罪というのは、実際に決行しなくても、重い罪が課せられる。
もしぼくが殺人予備罪犯として逮捕、起訴されていたとしたら、その後の人生は閉ざされていた。
なにしろいざ起訴されてしまったら、ぼくには凶悪な犯罪者の烙印が押されて悪名高き有名人〈笑〉。
たとえ刑期を終えて娑婆に出てきても、まともな仕事にはつけなかっただろうからである。
ここで注目していただきたいことは、ぼくの場合は逮捕されなかったにもかかわらず、
検察官たちのさまざまな心理作戦の仕掛けの結果、署名してしまったということである。
これを「人間の弱さ」として片付けてしまってはそれまでのことだが、
体験者として言えることは、たぶんほとんどの人がそうなるだろうということである。
それくらいに取り調べは強引、巧妙、不条理であり、つまり厳しい。
だとしたら、実際に逮捕されて「密室に監禁」された容疑者は、さらに大変なことだろう。
検察によって「冤罪」がどんどん量産されていく理由がそこにある。
以上は、もう40年近くも昔の出来事であり、ぼくは晴れて冤罪から逃れることができた。
しかしそのときの体験はその後も長く尾を引いて、長く他者に語ることができなかった。
それくらいに、その体験は忌まわしく、長くトラウマとして心に深く刻みつけられた。
結果論から厳密に言えば、ぼくの場合は「検察の犯罪の犠牲者」とは言えない。
悪運が強かった?ため、そのワナから土壇場でかろうじて逃れることができたからである。
しかし多くの人たちには実際に実刑が言い渡され、中には死刑になった人もいるだろう。
検察が、目をつけた人々を冤罪にはめて人生を狂わしたとしたら、これはれっきとした犯罪である。
今回の無罪判決と検察官逮捕のニュースは、ある意味朗報ではあるが、
これは決して検察官個人の犯罪ではなく、この検察体質全体が裁かれるべき組織犯罪なのである。
その意味で、すでに実刑が確定して服役することになった鈴木宗男氏は、本当に無念にちがいない。
40年近く前に、このような「冤罪事件」に巻き込まれそうになったぼくは、
その後もずっと検察、特に特捜の動きを静かに注視し続けてきた。
ぼく自身が、実際に体験したことから直感力も養われ、明らかに冤罪と思われる事件がたくさんある。
しかしマスメディアは、一方的な検察からのリーク情報をただそのまま垂れ流すだけで、
真実の追究という本来のジャーンリズムの使命と役割をかなぐり捨ててしまった。
それどころか、厚顔なマスメディアが権力の情報媒体化して機能することにより、
真実がどんどん見えなくなるばかりか、「冤罪犯罪の共犯」と化してしまっている。
もう一度強調しておきたいが、検察の取り調べに「真実の追究」などはない。
そこにあるのは検察官が頭の中で作り出した犯罪ストーリーを固めていく作業だけであり、
彼らに都合の悪い部分は修正され、都合のよいものは次々と付け加えられていく。
そして容疑者は「彼らの作文(調書)」に協力(受容)することにしか出口がない。
ぼくの場合、ラッキーにも記者発表の前で解放されたから、マスコミ被害に遭うことはなかった。
40年近く前のその当時は、あるいは検察にもまだ多少の慎重さがあったのだろうか。
ぼくに嫌疑がかけられた「その事件」は、社会的なインパクトが強すぎる事件だったから、
逮捕前に記者たちにリークすることもなかったのかもしれない。
しかし近年の動きを見ていると、検察が動き始めるやたちまち記者たちにリーク情報が流され、
逮捕も、起訴も、裁判も始まらない段階から、マスメディアはこぞって報道合戦に突っ走る。
その結果、日本の社会に「推定無罪」の精神は死に絶え、嫌疑をかけられた者に人権はない。
日本は「検察や特捜に疑われたらおしまい」というひどい社会に成り下がっている。
今回の村木元局長事件では「前田逮捕」が異例の迅速さで実行に移されたわけだが、
すでにあちこちから指摘されているように、これはたぶん「口封じ」そのものだろう。
つまり、逮捕によって前田主任検事を完璧に自分たちの管理下に置くことにより、
密室で「新たなストーリー」をシコシコと巧妙に組み立てているにちがいない。
そのストーリーとは、検察の存在と社会的信頼感を死守するための保身ストーリーで、
要するに、またもや国民を巧妙にだまそうというわけだ。
前田の上司たちにも取り調べが行われているが、それまた「検察内部の作戦会議」だろう。
「困ったことになった。どう説明したらこの危機から逃れるだろうか」
「危機を乗り切るため、それぞれにある程度の責任はとってもらわなければならない」と。
事実、マスコミにはそのリーク情報が流され続け、問題がどんどん矮小化されつつある。
繰り返すようだが、今回の事件は決して個人の問題でも特殊例でも大阪検察の体質でもない。
そこには「日本の検察の体質」が鮮明にまぎれもなく浮き彫りにされている。
その体質とは、検察官が頭の中で組み立てたストーリーだけが絶対化されるということだ。
しかも、それを固めていくために、あらゆる手が巧妙に強引に使われていく。
恫喝によって自白させることはいうまでもなく、肝心の証拠すらねつ造してしまうのだ。
その代表的な事例が、なんといっても田中角栄を裁いたロッキード事件であり、
リクルートの江副浩正も、ライブドアの堀江貴文も、佐藤福島県知事もまたこれにやられた。
もちろん、植草一秀や、鈴木宗男、佐藤優、小沢一郎を初め、その秘書たちも言うまでもない。
村木元局長の場合は、ずさんすぎる捜査により、ついにボロを出してしまったが、
起訴した裁判でボロさえ出さなければ、まず間違いなく検察は容疑者を有罪に追い込める。
なんと、日本の裁判では、99%に有罪判決が言い渡されているのだ。
(日本の裁判で無罪になる率(無罪件数/全裁判件数):94件/837528件=0.01(2004年))
その圧倒的な理由は、マスメディアが検察情報をサポートし続けているからである。
その意味で、冤罪を作り出すのは検察のみならず、マスコミの犯罪性が非常に高い。
ぼくの場合は、マスコミにやられなかったからこそ、ラッキーだった。
しかし昨今では、裁判ではなく、正義ズラしたマスコミ報道が一方的に人を裁く。
検察はかつての特高と化し、人権を無視した恐怖社会がマスコミによって作り出されている。
ここまではっきりと断言できるのは、自分自身がその恐怖を直接体験したからだ。
村木さんも「恐い話です」と語ったが、それも無罪となったから言える話であって、
冤罪に巻き込まれた圧倒的多くの人々は、悔しさと真実を発言する機会すら与えられない。
なかには、悔しさと無念さ、恐怖心を抱いたまま、死刑になった人も多いにちがいない。
かつての「大逆事件」などは、まさにその代表例である。
いまぼくがこんなことを言えるのも、土壇場で事の真相が明らかになったからである。
だからこそ、検察とマスコミの横暴と犯罪が明らかになったいま、これを書く気にもなった。
本当は「冤罪のプロセス」をもっと丁寧に書きたいところだが、その必要もあるまい。
すでに多くの人々が、それとなく検察&マスコミの犯罪性を感じてくれているからである。
ここまできた以上は、これまでの植草事件などにも新たなスポットが当てられて当然だが、
はたしてマスメディアはどうだろう?
残念ながらいまのところ、その気配すらない。
しかし、いまやインターネットによって、新たな渦を作り出すことができる。
それだけに、今回の前田逮捕からはたしてどう展開していくかを大勢で見守りながら、
検察とマスコミの犯罪、そしてその背後の巨大権力の支配をみんなで指摘していきたい。
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