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「週刊ポスト」10.1日号
平成22年9月20日(月)発売
小学館 (通知)
実は市川房枝に見限られていた菅直人
女性スキャンダルを含め、実はゴシップの多い菅首相が、自らを「クリーンな政治家」と印象づけるいつもの手は、代表選の立会演説会でも連呼した、「市川房枝先生の選挙ボランティアから政治活動をスタートした」ことである。
市川氏は戦前、戦後を通じて婦人参政権運動を通じて婦人参政権運動を牽引した市民運動家で、参院議員を2期務めた人物。
菅氏はかつて彼女の選対事務長をしていた。
だが、市川氏の支援者だった人物からはこんな声が上がっている。「菅さんが76年に衆院選に初めて立候補した時、市川房枝の後継者≠ニいう触れ込みで市川さんの支援者層を取り込もうとしたが、市川さん自身が、後継者だなんてとんでもない≠ニ応援をしなかったことから、支援者が離れて落選した経緯がある。いまさら市川さんの名前を使わないでもらいたい」
市川氏自身が、『復刻 私の国会報告』(財団法人「市川房枝記念館」刊)に書き残している。簡潔にいうと、こんな内容だ。
「菅氏が選挙応援を求めてきたが、衆議院の無所属出馬には賛成できなかったので、推薦も応援もしなかった。ただ、50万円のカンパと選挙人員のサポートを融通し、『自力で闘いなさい』と助言した。
しかし、選挙では私の名前を至る所で使い、さらに私の支援者名簿を勝手に使って支援者らにカンパや選挙運動への協力を要請した。
私が理想とする選挙とは大きくかけ離れていた」
市川氏の公設秘書を務めた紀平悌子・元参院議員がいう。
「市川先生は確固とした理念を持った理想主義者でしたが、菅さんは現実主義者。菅さんと市川先生は、政治家としての在り方、姿勢がまったく違います。
もし、今でも市川先生の名を使うほど大事に思っているのなら、市民運動家としての理想・理念を忘れないでほしい」
権力亡者となってしまった菅氏にこの声は届くのだろうか。
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