03. 2010年9月24日 07:08:39: HGbe57IRL2
検察が暗黒の闇に陥ったのはまさにそういう人たちがトップに居座ったからである。 古いが今はなき噂の真相の記事がウェブ上に上げられているので全文アップしておく。 けものみちにいたる検察内部の泥仕合がなぜ起きたのか、その理由の一端が生々しい。 http://uwasanoshinso.tripod.com/norisada.htm
次期検事総長が確実視される則定衛高検検事総長のスキャンダル劇 中村正三郎法務大臣の呆れ果てた辞任劇。上が上なら、下も下…。 元愛人女性が検察最高幹部の下半身スキャンダルを遂に赤裸々暴露! ▼中村法相を笑えないワルの大幹部 こんなお粗末な法務大臣がいたとは驚きだった。この3月初めに辞任した中村正三郎法相のことである。法の番人にもかかわらず、石垣島で自らが経営するホテルの利益を守るため、ライバルの進出妨害を狙った指揮権発動疑惑といい、パスポートを持たず来日したアーノルド・シュワルツェネッガーを、超法規的措置で入国させた際、直筆の入国関連書類をシュワルツェネッガーファンの家族のために持ち帰ったとされる一件といい、まさにスキャンダルまみれ。l月号で既に中村法相の権力の私的行使を特集で告発していた本誌からすれば、今回の辞任は遅きに失したと言わざるを得ない。 法相という立場を利用して私利私欲に走るだけでなく、法務省の賀詞交換会での改憲発言や、破防法の”改悪”発言など虚言妄言を繰り返してきたような輩の辞任に、同情の余地はない。さらに言えば、公人とは思えない所業の数々を見ても、議員失格であることが明らかな以上、自ら即刻辞任すぺきてはないのか−。 ところが、この”醜聞法相”を放逐した当の法務省内に、実はもう}人、中村に勝るとも劣らないスキャンダルまみれの”法の番人”がいる。”事実上の検事総長”と呼ぱれる法務省No.2、東京高検検事長・則定衛、その人である。 則定は1938年、大阪府生まれの60歳。61年、東大法学部を卒業と同時に入省・以来、大臣官房長−刑事局長−事務次官と一賞して本省エリートコースを歩み、東京高検検事長就任後は、”検察のドン”として君臨。次期検事総長候補の最右翼と言われている。 しかしこの則定という男、本誌が度々報じている通り、黒い噂に事欠かない人物なのだ。 「則定は、霞ヶ関や永田町の意向を最大限に反映する検察主流派であるだけでなく、法務省時代に独自に政界との太いバイブを築いた。だから政界が絡む事件になると必ず、則定を通じて政治圧力がかかる。それは先の防衛庁事件や日本ハイカ事件でも証明済みだ。 "則定が”検察のドン”だって?”検察のガン”の間違いじやないの(笑)。現場のP(検察官の意)に聞いてみたらいい。彼らは則定を『司法試験に合格したことを忘れた検事』と称している。つまりカンリョウ以外の何物でもないってことだよ」(地検詰め記者) 元検事総長で住友銀行の顧問弁護士を務めていた故安原美穂から連綿と続く京大、東大出身で、かつ法務官僚経験者を中心に構成される「検察主流派」。則定が「最後の主流派」と呼ぱれていることは本誌が過去に報じた通りだが、則定にまつわる醜聞はこれに止まらない。 「主流派が『花月会』を通じて住友グループと癒着関係にあったことは周知の事実。則定も例に漏れず、『花月会』を通じて、大蔵官僚のタニマチだったノンバンク『ECC』元会長の中岡信栄らウサン臭い連中との”親交”を深めていった。また住友だけじやなく、寛(栄一・元検事総長)が顧問弁護士を務める三和銀行とのゴルフ接待疑惑が省内で取り沙汰されたこともあった」(前出・記者) まさに中村正三郎もびっくりの疑感のオンバレードといった感があるが、これだけのスキャンダルの持ち主であるにもかかわらず、法務省内では則定の次期検事総長就任は間違いないと言われているというのだから驚きだ。 「則定に関する黒い専は、目端の利く地検担当の記者なら講ても一つや二つ知ってますよ。ただ、ご存じの通り、立場上書けないだけ。もし虎の尾を緒んで今後、特捜部のネタが取れなくなったら致命傷てすからね。週刊誌も同技なんじゃないですか。おたくぐらいですよ活字にてきるのは(笑)。ただ歴代、東京高検検事長のポストを経て、検事総長になれなかったケースは皆無に近い。間違いなく検事総長になりますよ、則定は。よっぼどのスキャンダルがない限りは、ね」(法務省担当記者) つまりこれまで本誌が報じてきたスキャンダル程度では、規定の検事総長就任という法務省の「既定路線」を変えるにはどうやら不十分らしいのだ。ならば、もう一発、”検察の正義”を守るために、則定スキャンダルをお見舞いしよう。本誌は昨年末、則定が過去、ある女性と愛人関係にあり、その女性を妊振させた揚げ句、堕胎させていたという衝撃的な情報を入手。約3力月にわたる潜伏取材の結呆、遂にこの女性を特定し、独占インタビューに成功した。”則定スキャンダルの決定版”とも言えるこの女性の衝撃告白を一拳、公開する。 この女性の名前を仮にA子さんとしておく。現在、都内在住のA子さんは28歳。銀座で3年間、ホステスをした後、今はイペント企画会社に勤務。スタイル抜群で、セミロングの髪に、スーツがよく似合う美人である。2月の某日、自宅を突然訪ねた本誌にA子さんは当初、「もう済んだことだからごとだから…」と一貫して取材拒否の姿勢を見せていた。が、1ヶ月にわたる説得の末、ついに彼女は重いロを開いたのだ。 則定さんと知り合ったのは、6年前の11月末。彼がまだ官房長の時でした。ええ、初めてお会いした時に、名刺をいただいたから、覚えてるんです。私はその当時、銀座の「E」という高級クラブて働いていたんてすが、その店に彼を連れて来たのがSさん。Mさんも一緒でした。その後間もなく、則定さんは刑事局長になって。刑事局長時代の2年間はよく店に来てくれました。多いときで週1回、少ないときても1力月に2〜3回は必ず。検事正の集まりか何かの流れて寄ってくれたり、多いときは10人以上で来てくれたこともあったかな。ても、彼が店にくるときは必ず、SさんとMさんが一緒でしたね。 彼女の話に出てくる「S」とは、本誌98年12月号の特集でも登場したいわくつきのパチンコ業者である。リクルート事件で、NTT元会長・真藤恒の「陰の政界工作仕掛け人」として登場し、金丸信や小沢一郎との関係も取り沙汰された政界フィクサ−、熊取谷稔の懐万と言われたSは、熊取谷が仕掛けたパチンコ・プリペイドカード導入の際に、警察官僚の意を受けて「日本レジャーカードシステム」の設立に暗躍。警祭官僚出身のコワモテ代議士の資金作りにも貢献し、カード導入の際、熊取谷の会社コスモ・イーシーから5千万円の裏金を捻出して、この代議士の下に自ら運んだと言われるなんともウサン臭い人物だ。 一方の「M」も大阪・和泉市に本社を持つ肥料メーカーの老舗「日本肥料」の経営者一族で、前出の「花月会」の主要メンパ−。Mは則定のために新たに「若富士会」という集まりを作り、則定は同会を通じて、あの通産官僚のタニマチと言われた大阪の石油卸商、泉井純一と知り合ったと言われている 話を戻そう。A子さんは「お話しするからには、嘘だと思われたらいやなので…」とハンドバッグの中から何枚かの名刺を取り出した。その中の1枚には「法務大臣官房官房長則定衛」と記され、名前の横には、一般人では到底知り得ない、官房長室の直通番号が記入されている。そしてA子さんのバッグの中からはこの他にも、「函館地方検察庁 検事正 和田博」「熊本地方検察庁 検事正 清水博」「最高検察庁検事 田邊信好」(肩書はすぺて当時)などなど、則定が店に連れて来たというおエライさん方の名刺がぞろぞろ出てきたのである。 その後、半年ぐらいは、単にお客さんとホステスの間柄、でした。初デートの約束をした日は5年前の7月21日。この日は則定さんの誕生日で、お店で誕生バーティーを開いたんです。そこで「今度、店の外で会おう」と誘われて…。8月7日に初めてデートしました。 待ち合わせは新宿のホテルセンチュリー・ハイアット。則定さんはマイカーで来たんで、確か車は日産のプルーバードだったかな。こう言ったら悪いんですが、「偉い人なのになんでこんな安い車乗ってるんだろう」って不思議に思ったのを覚えています(笑)。 初めてのデートは横浜でした。ええ、彼の車で横浜までドライブしたんです。横浜に着いてすぐに山下町の「ザ ホテルヨコバマ」にチェックインしました。則定さんは偽名で泊まっていましたよ。確か「野田」とかいう名前で。彼、「ノリサダからリサをとってノダにしたんだよ」って笑ってましたから。その後、中華街の「華正楼」で食事をして、その夜、初めて肉体関係を持ったんです。 ホテルに偽名で宿泊すると、私文書偽造、行使、または旅館業法違反の罪に問われるケースがあることはご存じだろうか。この徴罪による摘発は、公安警察が新左翼セクトのメンバーをバクる際に用いる常套手段で、オウム捜査全盛期の時にも、免状不実記載とともに濫用された、公安の”お家芸”とも言える手法である。 司法試験に合格し、過去に刑事局公安課長として、新左翼セクト摘発に拐わっていた則定が、この行為が、犯罪に該当すると知らなかったということは、ユメユメあるまい。”天下”の法務省刑事局長が不倫旅行で「犯罪行為」をはたらいていたとは、とんだお笑い草ではないか。 ▼公務に愛人同伴の事実が発覚 この日以降です、則定さんから自宅に頻繁に電話がかかってくるようになったのは。週に3回ぐらい。多いときは毎日かな。彼って自分のこと「則サン」って言うんてすよ。電話でも「則サンですよぉ〜、今、何してたのお〜」って(笑)。えっ、何の話をしていたかって。そうですねえ、他愛もない話ですよ。そういえば彼、子供の話をよくしてましたね。則定さんにはお嬢さんが2人いて、2人とも優秀らしくてね。当時は下のお嬢さんが東大の大学院に通っていたんじやなかったかな。実は私、その下のお嬢さんより年下なんですよ(笑)。 2度目のデートはその1力月後の9月4日。四国まで出張するというので、「大阪まで一緒に来ないか」って誘われたんです。JR中野駅で待ち合わせて、午後零時45分東京発の「ひかり235号」に乗りました。確か座席番号は「9号車の2番」、グリーンの2人用個室でした。私、メモ魔なんで、あの当時のことも全部、メモに残っているんですよ(笑)。 その個室の中で彼、いろいろイヤラシイ注文してくるんてすよ。「靴を脱いで、足をみせてごらん」とか…。あの時はさすがに「このセクハラオヤジ!」とうんざりしましたね。大阪に着いてから全日空ホテルにチェックイン。部屋は彼の秘書が取ったんじゃないかな。宿泊費も彼のカイシャ(法務省)がら出ていたと思いますよ。その時は彼、本名で泊まっていましたから。 その夜の関係で妊娠したんです。ええ、時期的に見ても間違いありません。私って、もともと生理が不定期なんで、犬丈夫だろうと思って”中出し”させたんです…。今から考えれぱ、不注意だったんですよね、私も。その日はホテルで一泊して、彼はそのまま四国に、私は東京に帰りました。 A子さんの証言が本当ならば、則定は公務に愛人を同伴していたことになる。すなわちA子さんの新幹線代、ホテルの宿泊費は法務省から、いや、我々の血税から拠出されたということである。これだけでも十分、懲戒免職処分に値するのではないだろうか。 大阪旅行から約2週間後の9月17日、則定さんが私の自宅に遊びに来ました。彼、以前から「君のウチに遊びに行きたい」ってうるさかったんですよ。その当時、私は今とは別のロフト付きの1DKマンションに住んていたんですが、則定さんは自宅に来るなり、ベッドが置いてあるロフトに上がり込み、求めてきたんです。もちろん応じませんでしたが(笑)。適当にやり過ごして、近くてご飯を食べた後、メガネを買ってもらったことを覚えてます。その日は彼、ゴルフか出張かで、タ方には帰りました。 その後間もなく、妊娠が発覚。当時、23歳だった彼女は「頭の中が真っ自になった」という。 妊娠したことが分かってすぐに則定さんに電話したんてす。「大事な話があるんてす。子供ができたみたい」って。彼は「喫茶店で話すのもなんだから、部屋を取ろう」と、新宿のホテルセンチュリー・ハイアットを取ってくれました。この日の日付ははっきりとは覚えていないんですが、確か9月25日ごろ、日曜日だったような記憶があります。 それからの彼の言動には正直、目を疑いました。こっちは妊娠して動揺しているっていうのに、ホテルの部屋に入るなり、「会いたかったよ」って、体を求めてきたんです。もちろん拒否しました。こっちがパニックになっているのに、それてもまだ則定さんは、「2回しただけで妊娠するとは、僕と君の体の相性はよっぼどよかったんだね」と、笑えない冗談を言ってました。ほんと、信じられないでしょう。 私はその時点で既に堕ろすことを決めていましたから、「堕胎の同意書にサインと印鑑が欲しい」って言ったんてす。彼はもちろん拒否しました。もっとも私も、こんな関係だから(サインと印鑑が)もらえるとは思っていませんてしたから、「分かりました」って、引き下がったんです、その日はね。ただ、この日、彼から30万円の小切手を受け取りました。振出人は「則定衛」名義でした。小切手をもらった後は、彼と少しても一緒にいたくなかったので、すぐに帰ったんです。そして10月4日に小切手を換金。その日に渋谷区の産婦人科に入院して、翌日、堕ろしました。結局、同意書のサインと印鑑は、男友達に頼んでやってもらいました。 ▼妊娠、堕胎で露呈した則定の本性 妊娠が発覚した後に、則定がA子さんに取った態度はまさに”鬼畜の所業”と言わざるを得ない。が、則定の人間性を表すエビソードが出てくるのは、実はこの後なのである。 妊娠して、子供を堕ろして、結局、2週間仕事を休みました。何もする気が起こらなくって…。もちろん30万円では到底納得がいきませんでした。30万円のうち、入院、手術にかかったのが26万円。せめて2週間分の給料ぐらいは補償して欲しかった。私も不注意だったので慰謝料とまては言いませんが、精神的ダメージも受けていましたし…。それなりの誠意を見せて欲しかったというのが本音です。 その後、A子さんは50万円を受け取った。が、しかしこの金は則定の財布から出たものてはなく、なんと前出のSが彼女に支払ったものだという。驚くことに則定は自分の過ちの尻拭いを、タニマチてあるSにさせていたのだ。 Sさんからは「これで納得してくれ」と言われました。それで私も一度は納得したんですが…。その後も則定さんからの電話は統きました。私からすれぱ、金輪際、彼と会いたくないというのが本音でした。けど、則定さんもSさんも上顧客だし、私も銀座に勤めている以上、あまり邪険に扱うのもお店に迷惑がかかると思って…。11月29日、この日は私の誕生日なんてすが、則定さんと久しぶりに会ったんです。「プレゼントだ」って、クロスのポールペンをくれました。 午後6時に帝国ホテルで待ち合わせて、「なだ万」で食事をした後、ホテルニューオータニのラウンジに場所を移して飲んだんですが、お酒が入ってくると恨み言の一つも言いたくなりますよね。ささいなことから口論になったんですが、その時に彼が言った言葉が忘れられません。何て言ったと思います?「銀座のホステスのくせに、オギノ式も知らなかったのか。知っているのが当然だろう。君がいいよって言ったからこんなことになったんだ」って。あの言い草にはさすがにキレちやいました。 ただその日は同伴するのが目的だったんで、なんとか仲直りしましたけど(笑)。当時、私は「R」というお店に移っていたんですが、ここにもSさんが則定さんを連れて、よく来てくれていたんです。で、この日も則定さんと同伴すると、店にSさんがいて、帰り際に「これ則サンから」と、30万円手渡してくれたんです。 しかしA子さんの話によると、この30万円も、どうやらSが自腹を切って払ったものらしいのだ。つまり今回の一件で、則定が払ったのは30万円ポッキリで、残り80万円は全てSから出ているということになる。則定のセコさもさることながら、パチンコ業者のSにとって当時、東京地検刑事局長だった則定は、それほど「旨み」のある人物だったという証明でもある。 それから半年後、私は「C」という新しいお店に移ったんですが、その間もちょくちょく会ってはいました。会う度に則定さんは懲りもせず、「君のウチに行きたい」と言ってましたが、私はあの一件以来、彼への気持ちは冷め切っていたので、一切、拒否しました。ただ、それでも彼は、お店には来てくれたんですよ。事務次官になってからは、政務次官だった河村建夫先生(自民党衆院議員)と一緒に来られたこともありましたし。 また則定さんはSさんとは別に大阪の製薬会社の社長だったAさんという方ともよく来られていましたね。則定さんとAさんの関係てすか?則定さんは「20年来の友人で、大学も一緒だった」と言ってました。まあ、私には則定さんの新しいスポンサーとしか見えなかったけど(笑)。一度、則定さんとAさんと、Aさんの彼女と私の4人てゴルフに行かないかと誘われたんですが、直前にやっぱり嫌になってドタキャンしちやったんです。 その後も何回か電話で話したんですが、だんだん回数も減って。昨年の5月末、ちょうど東京高検検事長に異動する前の日にお祝いの電話を入れたっきり、電話でも話してませんね。私もその後、夜のお勤めを辞めたことだし、もう彼のことは思い出したくもありません。あっそうそう、付き合っている時に則定さんはよくこう言ってました。「今まで付き合いたいという女性はいないわけではなかったけど、こういう仕事をしている以上、慎重にならざるを得なかった」って。でも、私が全部、話しちゃったから、彼の「努力」もこれで水の泡ですよね(笑)。 ▼則定総長就任で到来する”検察暗黒持代” 以上が”則定衡下半身スキャンダル”の全貌である。本誌はここで大人の男女の関係についてとやかく言うつもりはない。が、いやしくも当時法務省刑事局長の職にあった者が、不倫旅行でホテルに偽名で宿泊するだけてなく、公務に愛人を同伴するというのはいかがなものか。そして一人の女性を妊娠させた揚げ句の慰謝料がたった30万円とは…。そもそもこのようなセコい男が愛人を持つこと自体、間違っていると思うのだが(笑)。是非とも則定衝東京高検検事長こ本人の釈明をお伺いしたいものである。 それにしても、だ。こんなスキャンダルまみれの人物でもトップになれるというのだから、法務省、そして検察というカイシャ、よほどシャインに寛大なところに違いない。まあ、ポン友の事件師の口利きで、バチンコ業者によるベトナム接待旅行に出掛け、グラブ、ゴルフの接待潰けだった宗像紀夫(現前橋地検検事正)でも特捜部長になれたのだから、則定がトップに座ってもおかしくないのかもしれないが。そして現に法務省では既に則定ら検察主流派による支配体制が着々と回まりつつあるというのだ。 「北島(敬介)検事総長は遅くとも来春には勇退。その後は則定が総長に就任し、則定と同じく『主流派』で、『花月会』のメンパーでもある原田(明夫・事務次官)が則定の後釜に納まる。これで名実ともに『主流派』が法務、検察を牛耳ることになりますね」(前出・法務省担当記者) まさしく”検察暗黒時代の幕開け”と呼ぶにふさわしい人事である。 「その前段として、この春の異勤で熊ちゃん(熊崎勝彦・現富山地検検事正)が率いていた旧ゼネコン班のメンバーが特捜部から一掃されることも決まっている。その上、永田町ベッタリの則定−原田ラインがトップ、No.2に座ってみろ、政界捜査など望むべくもないよ。だからタッコウ(石川達紘・東京地検検事正)は『オレが(東京地検に)いる間にパッジを挙げろ』と現場のPにハッパをかけているんだ。けど、タッコウが地検に居座れるのも6月一杯だろうけどね」(前出・地検詰め記者) スキャンダルにまみれた”検察のガン”がトップに座る。この世は闇だ。 中村正三郎 (政治家) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%AD%E6%9D%91%E6%AD%A3%E4%B8%89%E9%83%8E_%28%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6%29
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