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無能で有害な政治家が歓迎される「国家」日本の悲劇
http://www.asyura2.com/10/senkyo95/msg/772.html
投稿者 gikou89 日時 2010 年 9 月 24 日 01:27:35: xbuVR8gI6Txyk
 

http://www.gyouseinews.com/index.php?option=com_content&view=article&id=163:2010-09-23-11-57-43&catid=39:2009-07-09-03-13-14&Itemid=61

ひとつの国家の存亡は、単に爆弾や銃弾が飛び交う戦争だけに掛っているだけではない。真に恐ろしいのは産業経済の衰退がもたらす国家の滅亡である。国家の安全は武力だけで保全されるものではない。否、むしろ本当の安全確保の手段は経済産業を中心に据えた「安全保障」こそ、国家の悠久の営みを可能にするものである……。

いま一度、腑に落とし込むべき
政治家の責務と使命
国会議員は衆議院、参議院を問わず、歳費(給与)とその他の諸手当交付金等を総合算すれば年間5000万円近く貰える。さらに交通費や出張費の名目で多額の収入を手にすることが可能だ。もちろんその他、都内の一等地にある議員宿舎や事務所を割安で使うことも出来る。

ではその給与や諸手当、交付金を誰が議員に支払うのか。国家が国家財政の中から支払う。小学生でも知っていることであるが、この先のことについては議員本人でもしっかり熟知していない者がいる。国家財政とは造幣所に支えられているのではない。いうなれば国民から徴収した税金を運用し、国家運営のための出納(すいとう)を司る金庫である。そこには1円たりとも無駄に使ってよい金などはない。

いま、国家財政の成り立ちを日々忘れることなく肝に落とし込み、毎月の給料その他を受け取っている政治家がどれほどいるのであろうか。議員諸氏がこのことを真摯に考えれば、招待ゴルフのスコアー競争に熱中したり、何々勉強会に名を借りた業者丸抱えの宴席でカラオケの腕を競う合うことなどは出来るはずもない。ましては良からぬ談合や遊びで睡眠不足に陥り、議場の自席で安眠を貪ることなど、到底考えられないことだ。自分たちが受け取る金員のすべては国民から徴収した税金の一部である、という自覚や感覚があるならば、おのずから自分たちがやらなければいけない方向性が見えてくるはずだ。

国会議員のやるべき仕事の第一とは、国民の生命財産を保全することである。第二は国民の生活基盤を保全し、確かな法冶社会の安寧を図ることである。優先順位の第三に挙げるべきは、国家と一体化した教育基盤を構築することである。

ここに掲げる第一の生命財産の保全とは、一に国家の「安全保障」であり、二に「国益」の確保であり、三は外交政策によって国際社会と連携した平和基盤の構築とそれへの貢献である。また第二に表記した生活基盤の保全と安寧は、優れた経済政策の推進によって国民の生活格差のない豊かな生活環境を作り上げることにある。そして第三の教育基盤の構築とは、「国家と一体化した教育基盤の構築」で、戦後60年以上偏向教育を進めてきた日教組的な教育を糾し、国家と一体化した教育基盤を構築することである。

論旨の都合上、国会議員がやるべき仕事を上記3つに分類し第一、第二、第三と優先順位を設けたが、本来は順位など設定すべき問題ではない。ここに掲げたテーマすべてが同列の重要性を有しているのは言うまでもない。国家の安全保障も、法治主導による豊かな社会建設も、また教育基盤の再構築も、相互に強く連携したもの、不可分というべきものだからだ。この三大政治課題のうち、どの一つが欠けても目標としての国家像を構築することはできない。

国家の安全保障が脆弱では、豊かな国民の生活基盤を作り出しても意味を持たない。他国に侵略されれば、その豊かな生活基盤は砂上の楼閣の如く潰えてしまう。またしっかりした国民教育が施されていなければ、豊かな国民社会を保持するために不可欠な「国防」についての意識を、国民ひとりひとりが自覚することは出来ない。そうした政治的な連携要因を考えれば、前記した「政策的な要諦」は、順位なしの政治課題として政治家が取り組まなければならないものである。

国民の負託を受けて国会議員になった者は自らの政治信条を語り、合わせてその信条を実現するための努力を尽くす必要が不可欠である。時局に合わせ、政策課題に即したテーマを並べ立て有権者の人気を得て議員になった政治家などは、いまこの日本が直面しようとしている「国難」にとっては無益有害の政治家と言うほかはない。いまの国会構成状況を見れば、有能な議員の足を引っ張る無能議員、議員資格すら喪失したような議員が1人どころか多数いる。

民主主義下の議案決定では、議員資格喪失者の1票も1票として機能してしまう。しかもその議案選択決定時に無能な多くの議員が加われば、議案に対する最良策の選択は不可能だ。とはいえ、この無能で有害無益な議員を国会から排除する手立てはない。唯一の手立ては次回の選挙で落選させることであるが、このような議員は一様に選挙民の機嫌を得ることに長けていて落選どころか上位で当選するのが常となる。

どんな帝国もまた優れた国家も、さらには政権や強固な組織体も何時かは滅びて消滅の運命を辿る。盛者必衰とは法則のごとく、人知では如何ともし難い流れとして存在する。そして、無能で有害な政治家が有権者から歓迎されるという国家の「悲劇」こそが、この「栄枯盛衰の法則」を引き出し、滅亡への流れを導く。

これまで、国政運営について三段階(国家の安全保障、国民生活基盤の保全、教育の再構築)の要諦を掲げた。それが同時進行的でなければならないとした理由とは、国政の場から有害無益の政治家を排除するには、そうした政治家の実像を見抜く見識を一人一人の有権者が持つことであり、そのためにはそうした見識を磨くための場、つまり「教育」を政治要諦の要に配置する必要があるからだ。

またこの教育重視の国家業務とは、単に有権者としての見識を深めるのみならず、国民の一人として「国防、国家の安全保障」とは何か、市民が豊かに暮らせる「経済を軸にした社会基盤の構築」とは何かについて思考する「教育」でなければならない。

国家の安全保障と政治の役割
鳩山“有害”宰相による「尖閣列島の帰属問題」発言の波紋
自民党から政権を奪取した民主党は、鳩山氏を総理大臣とし政権運営に臨んだ。しかし間もなく自らと小沢幹事長を巡る政治資金の問題から、小沢幹事長を道連れにする形で、鳩山氏は総理大臣と民主党代表の席を去った。これはこれとして筋の通る道筋ではある。だが鳩山総理は在任中、大変な話を持ち出して「国政」の運営に障碍を遺した。大変な話とは「尖閣諸島の帰属問題は日本と中国の当事者同士でしっかり議論して、結論を出してもらいたい」という発言だった。

改めて言うまでもなく、日本政府は戦後以降一貫して「尖閣諸島とそれに伴う排他的経済水域」は日本固有の領土と海域である、と言い続けてきた。にもかかわらず日本政府の最高責任者である内閣総理大臣が、日本固有の領土と海域をあたかも「未解決の領土問題」として俎上に載せ、その解決を日中間の協議に委ねる、としてしまったのである。しかも非公式の場での発言ではない。2010年5月に開催された「全国知事会」という公式の場での発言であり、この間の事情を知る人たちは一瞬、自分の耳を疑う衝撃を受けた。その自分の耳を疑った1人に岡田克也外務大臣がいた。大臣は日を置かずして、この総理発言は不適切なものとして発言の趣旨を打ち消した。

鳩山氏の「尖閣諸島発言問題」は、国内ではこの外相発言で一見落着した。だが中国側は、早速わが意を得たりとして漁船団を尖閣諸島海域に出漁させてきた。当初は日中関係に配慮し、多少の事は大目に見ていた海上保安庁の巡視船も、領海侵犯が度を越えた時点で中国漁船の取り締まりを開始。とくに悪質だった漁船を追跡した。こうした巡視船の行動は歴史的にも、また国際法上からみても正当なもので、主権国家たる我が国の国境監視艦船が取るべき行動としては非のうちどころのないものであった。

にも拘わらずこの問題を取り上げた中国政府は早速「尖閣諸島は中国の領土」だとする声明を発表。今回、中国漁船が行った操業に一切の違法性はない、と公式発表した。

もともと尖閣諸島は戦後の混乱期に策定された「日本国固有の領土」てはなく、明治政府が、当時の中国政府である清朝と協議し、日本固有の領土としたものだった。尖閣諸島を日本の領土としたこの決定については、関係各国からも異議申し立てはなく、名実ともに日本固有の領土となった、とする経緯がある。さらに日本は太平洋戦争の敗北により固有の領土のいくつかを手放すことになったが1951年に調印したサンフランシスコ平和条約では、日本が放棄した領土の中に尖閣諸島は含まれなかった。

ところが1970年代に入り、尖閣諸島近海の東シナ海に大量の石油や天然ガスが埋蔵されていることが明らかになった時点から、中国は尖閣諸島海域の領有権を主張しはじめたのだ。こうした経緯を検証してみても、如何に中国が不当極まりなく、同島海域の領有権を場当たり的に主張しているかがわかる。

海上保安庁の巡視船が中国漁船を追跡し拿捕した際の法律上の容疑は「公務執行妨害容疑」。その理由は、中国漁船は巡視船から領海侵犯の容疑で停船命令を受けたが、これに従わずに逃走し続け、その際、意図的に巡視船に衝突したからである。このことに関して巡視船は明らかな公務妨害容疑であるとし、同漁船を拿捕、船長以下の乗組員を逮捕した。この間に海上保安庁の巡視船が取った行動は国際法や日本の国内法に照らしても至極当然の行為で、この行為について中国側が異議を唱えることは出来ないはずである。

「事件発生」後、中国政府は正式な外交ルートを使って日本政府に異議を通告した。特にこの異議通告について問題視されるのは、6回目の通告が国際的な外交行為の慣例を無視し、中国政府の副総理格に相当する人物が「午前0時」(9月12日)に、日本大使館の丹羽駐中国大使を呼び付け、中国漁船の拿捕事件に対する異議の通告を行ったことである。このことは直ちにマスメディアの電子版を通じて世界各国に報道され、中国政府の型破りで横暴な外交姿勢として広報された。

いっぽうこの理不尽な中国政府の呼び出しに応じた日本大使館の姿勢についても、こうした異例の呼び出しは断固拒否すべきだった、とする意見が世界のマスメディアに続出した。こうした批判について駐中国大使館がとった態度は、現行の「日中関係」から見てやむを得ないものがあっただけではなく、この中国の横暴な外交姿勢に対し、丹羽大使が毅然たる態度を取り続けたことは、それなりに評価できるものがあった。

中国政府がこの問題についてことさらに「強硬姿勢」を見せつづけるのは理由がある。年率10%以上のGDP(国内総生産)成長をつづける中国。だが国内情勢は決して盤石ではなく、何かが起きればそれをきっかけとして一枚岩に割れ目が生じる状況下にある。失業率拡大の問題をはじめとする住民格差の問題や、生活を脅かす環境汚染の問題など、数え上げたら切りがないほどに膨れ上がった国民の不満は、いつ爆発するかもしれない状況を内包している。このことは「天安門」事件が如実に証明している。

現にいま、この中国漁船拿捕事件を取り上げ、特定思想をもった青年グループが騒ぎ出しては政府の弱虫外交を糾弾しようとする動きを見せ、またそうしたグループの過激派は「中日戦争」も辞さない、などの声を叫びはじめている。このような国内の動向を受けた中国政府としては「政府の基本政策である対日友好政策」を一時棚上げして、いま一部扇動グループの動きに乗せられて反日感情を高めている大多数国民を納得させる手段として対日強硬姿勢を見せているとした事情もある。

そこで問題となるのは、中国政府がどこまでこういった「反日の動き」を抑えられるか、である。常に反政府の立場を取り続ける中国国内の反政府グループは、今回のような「事件」を取り上げて政府攻撃の材料にするほか、時と場合によっては政府転覆の一大契機にしようと狙っている。こうしたより複合的な事情があるため、今回の中国漁船の拿捕事件は容易ならざる方向に発展する可能性を否定できない。

すでにいま日中間で大きな懸案事項になっている東シナ海のガス田共同開発について、すでに開催が決まっていた両国局長級の条約交渉を、中国側が無期延期すると日本側に通告してきた。この通告では改めて尖閣諸島を中国固有の領土だとして、領海内で進めるガス田開発について日本と交渉する必要はない、と明記して来た。このほか中国が日本に輸出している希少金属(レアアース)については、対日輸出枠の縮小や政府調達物資の内日本製品調達枠の縮小など数々の経済的対抗処置を発動して対日経済交流に歯止めを掛ける政策を打ち出している。こうした現在の状況から推測しても今後、中国のさらなる対抗措置があるものと考えられるが、こうした対抗措置について日本政府がどう対応するかが、今後の大きな国政上の政治課題になるはずである。

以上はおもに対中国との問題事項だが、これらに加えていま、さらなる問題が発生していることである。海上保安庁の巡視船による中国漁船拿捕事件発生直後、台湾の漁船に乗船した「中華保釣協会」の数名が、台湾当局の巡視船など12隻に護衛されて尖閣諸島海域を北上して航行した。北上の目的は尖閣諸島への上陸であったが、同諸島を警戒中の日本側15隻の巡視船による上陸阻止と退去警告を受け、同海域から退去した。

いっぽうフィリピン海軍は東シナ海の尖閣諸島に隣接する南沙諸島(スプラトリー)に艦艇数隻を航行させて警戒行動を開始した。いまこうした動向は東アジア諸国にも広がりを見せ、ベトナム、マレーシアなども海域警戒に力を注ぎ始めている。

今回の中国漁船による尖閣諸島海域での領海侵犯事件とは直接の関係はないにせよ、最近行われた中国内陸部での中国陸空軍の大規模な軍事演習や、シベリア地域を含めたロシア陸海空軍共同の大規模軍事演習は、現在の世界がどのような状況下にあるかを如実に示すものである。

現憲法下で「戦争」とは無縁になった日本は、こうした隣国を含む各国とは異なる国家運営の基軸を擁しているとしても、世界の情勢がそれぞれに自国の安全保障に並々ならぬ努力を注いでいる状況を勘案すれば、決して日本だけが現行のままで良いはずはない。改めて国家の安全保障とは何か、国を守るにはどうしたらよいかについて、一人一人の国民が考える必要がある。

安全保障と政治家の存在意義
国の安全を確保するのは飛行機や艦船、ミサイルや兵員を動員しての戦争だけではなく「外交」や「経済」さらには「教育」を通して育成する「愛国心」も不可欠の要因である。真の国家の安全を確保するためにはその「先陣」となる外交を司る政治家が、先ず第一に有能にして不屈の気概を持つ政治家でなければならない。政治家歴の順位や所属グループの政治的配慮などで外交を司ることになったような政治家がもし国家の外交を担うことになれば、それはすでに闘う前からこの外交という戦に負けた事になる。

※国家の外交とは国家が互いに自国の国益を求めて闘い合う戦場であって、その戦いでの消長は国家の命運を左右することになる。そのことの代表例が、かつての清国(現中国)の腰ぬけ外交が西欧列強国に見透かされ、中国の植民地化を押しつけられたり、また旧時代のインドを始めにしたアジア諸国が西欧列強国の植民地にされた例である。こうした事例は国家の外交が如何に大事な国事であるかを示している。余談になるがこうした「植民地時代」に、毅然として日本の植民地化を狙った西欧列強国の「外交攻勢」を排除し、国家の存立を守り通した織田、豊臣、徳川幕府と明治政府の外交政策には改めて驚愕の思いを抱くことができる。※

いま我が国は中国と銃を構えて対峙していないが、今回の中国漁船による領海侵犯と我が国巡視船への衝突事件は、明らかに外交「戦」を越えた外交事件である。したがってこの事件について、我が国の外交部門の各担当者は国民の意識を高揚するためにも、厳しい態度を示す必要がある。とくに外交の任にある政治家は日本国民が納得する言語を用いて、今回の事件を生じせしめた中国当局を非難するとともに、国家の安全、国家の安全保障とは如何なるものであるかを国会の場を通して国民に説明することが必要である。

しかるに国家の安全保障について国民から全面委任された政治家たちから明確な説明がないだけではなく、今回の領海侵犯事件について中国政府を非難する言葉も出ておらず、その姿勢すら示されていない。

今回の領海侵犯事件が明らかに中国側に非があることは明らかであることを踏まえれば、与党や野党の垣根を越え、全政治家が一丸となって中国側の行為を弾劾する国会決議を衆参両院で行うべきである。それが出来ないとするならば、日本は未来永劫に渡って「中国に頭の上がらない」国になるだけだ。

もしそうした国家としての姿勢を示さなかったならば、前回総選挙で大勝し政権を掌握した直後に民主党の国会議員140人を含む総員600人の大訪中団が中国政権の胡錦濤国家主席と握手したことが、宗主国の大王に非宗主国の臣民が政権就任の報告に参上した図式になってしまう。そのような事態にならないためにも、この訪中団に参加した議員を含めて全政治家はこの領海事件に対し、国家安全保障の見地から立ち上がらなければならない義務がある。

外交は決して場当たり的なものであってはならない。本来の外交は長期的視野に立脚しものでなくてはならず、目先の国益だけで国家の主権に関わる案件に対して妥協をしてはならない。このことがすなわち、本来の外交とそれを担う政治の責務と役割である。

今回の中国漁船の領海侵犯、および海上保安庁の巡視船に対する公務執行妨害事犯について、日本政府が国際法と国内法に基づいて妥当な処置を発動すれば、尖閣諸島は自国の領土と主張する中国の反発を招く事は自明のことである。またこれに伴い政治面、経済面、文化面等で数知れない摩擦が発生することは必定である。しかし現在の日中関係はともに相互依存の関係にあって、相手が気に入らないから関係を断つなどのことは出来なくなっている。確かに短期的に見ればこの事件を発端にして、いままで続いてきた関係に支障が生じることがあったにせよ、長期的には元の関係を復元しなければならなくなることは自明の理である。

いま中国が絶対的に有利な立場を保持するレアアースの輸出入についても、中国が対日輸出をしなければ収入が得られず事業が成り立たない。いっぽう日本にとっては、輸入先を他国に移転するとともに国内備蓄を増加すれば産業活動に致命的な打撃を受けずに済む。こうした関係を熟慮すれば、経済産業関係を持ち出して日本に圧力を掛けようとする中国側の姿勢は容易に打ち砕くことができる。

このような問題は単に経済産業関係だけのものではない。中国政府がグローバルな政治展開を進める過程において、中国政権が日本政府の協力を得なければならない局面が多々ある。こうしたことの意味においても一方の国が一方の国に対してことさらに自国の優位性を武器とし、黒を白と言い張るような政治展開はもはやできなくなっている。

いま日本政府の対中外交が敢えて強硬な外交施策を進めることは、このように旧態依然の恫喝外交を展開する中国政権に対する大いなる警告になるはずである。さらにここで注目注視しなければならないのは、中国政府が今回の中国漁船と海保巡視船との衝突事件に見せた一方的な外交展開は、対日本政府間だけのものではなく、東南アジア諸国との外交にもしばしば見られる横車外交である。

このようなこともあって東南アジア諸国は、産業経済面での交流は互恵関係を維持しつつも国防上の案件については独自な政策展開を進め、中国の「覇権主義」に対する警戒を強めている。

東アジアの地政的な現状況をより俯瞰的な視点から観れば、あらゆる局面で「中国」が突出している。しかもこの突出は国内総生産高が年率10%以上の成長を続ける経済環境だけのものではなく、この経済環境を背景とした、外交を含めた政策分野にも延長されている。このことが日本を含めた東アジアにどのような変化や影響をもたらすかと言えば、従来東アジア地域に占めていた日本の地政学的な地位が下降し、代わって中国の地位が格段に上昇、東アジアの盟主的な地位が中国に移ったことになる。従前は東アジアの事柄の多くは「日本標準」的に処理されてきた。とくに産業分野ではその日本標準によっての生産が中心を占めていた。 
 
こうした変化に「時代の流れ」の必然性があるにしても、いまその東アジア的標準が中国に移転してしまったという事実の背後には、わが国政府による対東アジア産業政策に重大な誤りがあったことを示している。

いま日本経済は重大な局面に差し掛かっている。これは単に産業経済環境が変化したことに起因する局面のみならず、その道筋,過程には政策上、何もしなかった政府当局の責任がある。過去の政治的無策について論じることには何の意味もないし得る物はない。より肝要なのは、この政治的な無策を自覚し、その反省の上に立って新たに対東アジア産業経済政策を展開することだ。

国家繁栄の基本である経済政策についての論考
白物家電で世界最大手の中国ハイアール(海爾集団)は今年11月以降、ドラム式洗濯乾燥機と大型冷蔵庫を日本国内で販売すると発表した。価格は日本製品の同型クラスより2割程度安く販売するとし、円高がこのまま進めばこの円高分に合わせてさらに安い価格設定するとしている。

この中国メーカーの発表に続いて韓国のLGエレクトロニスクは、12月を目処に3Dテレビを含めた薄型テレビを日本国内で販売する、と発表した。また韓国の世界的企業サムスン電子は、有機EL画面を搭載した高機能携帯電話のNTTドコモへの製品供給を10月から始めると発表した。これら海外企業が1年間に日本国内で販売を見込む金額はトータルで500億円を超えるだけではなく、次年度以降はさらなる商品の供給を増やす方針であるという。

我が国の家電品や電子機器メーカーは今年前半から円高に直撃され、殆んど例外のない規模で収支分岐点すれすれの経営を余儀なくされている。民主党代表選(9月14日)直前には、15年ぶりの円高(対ドル82円台)となり企業業績を圧迫した。円高ですでに動きが取れないところまで追いつめられた日本企業に対して、円高で笑いが止まらない海外企業とのアンバランスは、そのままいまの日本経済界と産業界が措かれた実態を証明している。

しかも日本経済を圧迫しているのはそれだけではない。東南アジア地域諸国の自由貿易協定締結(FTA)に伴う域内貿易の無関税化と、これに遅れをとった日本経済、先進国中最高の法人税に伴う海外資本の日本離れなど、いまの日本経済を取り巻く状況は正に四面楚歌の呈を見せている。

代表選で選ばれ新たに日本丸の船長になった菅総理は、就任直後に為替介入に踏み切り瞬時的に円高に歯止めを掛けた。しかもこの為替介入はドル買いで出した1兆7000億円の資金を回収せずに、そのままこの資金を市場に放出する非不胎化介入で、大幅な金融緩和効果が想定される為替介入だった。

だがここで留意しなければならないのは、今回の介入が本当に時を得た介入であったか否かの問題だ。日本の全産業界が対ドル90円を割り込んだ時点で介入していれば、対ドル82円台までの高騰は避けえたのではないかとする見方と、前回の介入は対ドル79円だったことを考慮すれば、今回の介入は後れをとった介入ではなかったとする見方である。いずれにしても今回の介入についての結果は、その後の経過を見なければ分からないにしても、ここまで為替市場の動向に無頓着だった政治の責任は厳しく糾弾されなければならない。

今年前半スイスはスイス・フラン高によって製品輸出が大打撃を受けたため単独で為替介入を強行した。本来為替介入は関係各国の同意と協調介入で行うものであって単独での介入には多くのリスクが伴う。スイス政府は差し迫った産業界の窮状を救うため、関係各国の同意を得ないまま単独介入を強行したため巨大な資金力を持つヘッチハンドの餌食となって約1兆2000億円の損失を出してしまった。このことが教訓になるか否かは別にしても、政府による今回の為替介入が先進諸国の同意と協調を得ないままの介入であったことである。スイスの二の舞になるとは考えられないがいずれにしてもこの介入の後に出てくる結果には不気味なものがある。

いまここで改めて国民が襟を正して政府に問い質さなければならないのは、日本政府は日本の経済界や産業界を今後どのように先導するのか、その処方箋を明らかにして欲しいということである。過去の政府と経済産業界の関係を見て行けば、経済産業界は自由にやりなさい、何か困ったことが発生したら手を貸してあげましょう、必要ならば規制を外してやりましょう程度の関係を良しとしてきたきらいがあった。しかしこうした政府と経済産業界の関係も、年率何%かの成長を維持し続けた時代はそれがベストであったにせよ、今日のようにすべての事柄について黄色、赤色の警戒信号が出だした局面では、政府が先頭を切って事態改変に向かって出動する必要がある。そしてその覚悟が菅政権にあるかどうかの問題である。

9月15日に行った為替介入では対ドル円相場は3円近く暴落して85円を付けた。この「成果」を良しとして政府当局者は胸を張った。確かにこの円暴落には胸を張る要素はあったにしても、この程度のことで政策当局が胸を張られたら産業界はたまったものではない。

第二次菅政権の大看板は「雇用の確保」と「雇用環境の改善」である。しかし菅政権は如何にしたら雇用が確保できるのか、どうすれば雇用環境の改善が出きるのかについては何の説明もしていない。今の日本にとって雇用の確保と雇用環境の改善は「優先順位第一位」の緊急課題である。それゆえにこの緊急課題を最高の政策課題に据えれば、国民の支持を得やすくなる。

徐々に、しかし確実に産業の空洞化は進み、各企業は生き残りを掛けてコストの削減に走り、その第一手段として従業員のリストラに進み、そのリストラを通して固定費負担を減らそうとしている経営環境の中で、菅政権は如何にして雇用を確保しようとしているのか、このことを国民は真摯に菅政権に質さなければならない。

半分以上がジョークにしても、インドの最大手自動車メーカーの代表は、今年の初めに「今後10年以内に日本の高速道路を我が社の車で埋め尽くす」と言った。この言葉をジョークと笑い飛ばすことは簡単だ。しかしこの代表の言にそれなりの自信と背景があるとするならば、事態は重大である。

ひとつの国家の存亡は、単に爆弾や銃弾が飛び交う戦争だけに掛っているだけではない。真に恐ろしいのは産業経済の衰退がもたらす国家の滅亡である。国家の安全は武力だけで保全されるものではない。否、むしろ本当の安全確保の手段は経済産業を中心に据えた「安全保障」こそ、国家の悠久の営みを可能にするものである。

繁栄する国家、強い国家の基礎は教育にある
国民一人一人が希望に満ちた生活を送るには、しっかりした教育環境がなくてはならない。と同時にその希望に満ち生活環境を構成し維持して行くためには心身ともに優れ年少者を育て創(つく)り出さなければならない。すなわちその優れた年少者を育むのは優れた教育とそれを支える教育環境である。

我が国の教育はお世辞にも優れた教育であるとは言い難い。その言い難いことの筆頭は、戦後65年間続いた教育の中で国の基本的な教育である「愛国心」教育が欠如してきたことである。いま多くの国民の中にはこの愛国心の言葉に違和感をもつ者がいる。しかしこの国民の普遍的な価値である愛国心について違和感をもつ国民がいるのは、世界中で日本ただ一国だけである。

例題として挙げるには不適切かも知れないが、いまこの地球上にはわが身を犠牲にして集団のために働く若者たちがいる。その頂点にあるのが自爆テロをする若者たちである。かつて日本には特攻隊という戦闘部隊があり、2700人近い若者たちが戦場の花となって散って行った。一方はテロ、一方は戦場の花といった違いがあるにせよ、ともにわが身を犠牲にして散って行った心情には尊いものがある。「国家国民のために燃え尽きる気迫」を胸に秘めて生きることが、真の愛国者でありその精神のことを愛国心という。

いまの人たちは、こうした表現をもって人の存在や心の有り様を語ることを何故か嫌悪する。これほど間違った社会感覚はない。自分が生まれ育った国を愛しく思い、自分が生きるために必要な衣食住を供給してくれる多くの同胞を愛する心情を、何故人々は嫌うのか、理解に苦しむところである。ことの良し悪しは措くとして、国を思い同胞への深い情感を胸に抱いて戦場に散って行った若者たちに、いま深い哀悼の思いを捧げることが何故蔑視されるのか。平和という現在に生きる日本人はこのことについて改めて考えてみる必要がある。

人にはそれぞれに信じるものがある。それは思想であったり主義主張であったり、それぞれの顔や身長、風貌が異なったりするように様々である。第三者にはその違いや異なりについてとやかく言う権利もなく資格もない。ただしここに、違ってはならないもの、異なってはならないものがある。それは国家国民のために命を捧げた者に対する「哀悼の心情」である。

毎年、靖国神社には恒例の行事がある。この行事に加わって参拝をするかしないかで政界は揺れている。そして多くの政権担当者はその参拝をしないで済ます。

このことについて敢えて言えば、国家国民のために命を捧げた者に対して政治に携わる者たちが何故あって哀悼の志を捧げてはいけないのか、その志の原点には資本主義も保守主義も、社会主義も共産主義も原理主義もないはずである。

このことを深く思い、深く考え詰めると、いまそれぞれの政治家が何を考え何をやろうとしているかが見えてくる。つまりそうした政治家が抱いている心情には国家のことや国民のことなどなく、あるのはただ自身のことだけである、とした悲しく哀れな姿だけである。

戦後日本の教育はマルクス・レーニン思想を土台にした共産ないし社会主義思想を中心にして進められてきた。この教育こそが戦後日本の教育を支配してきた日本教職員組合、すなわち日教組による教育である。日教組は、日本古来の伝統に基づく教育を否定し、その代替として外来思想によって作り出された「伝統否定」の教育を、これが新しい教育だとして教育界に君臨した。そして日教組が第一に潰しに掛ったのが「国を愛し同胞を愛する」思想の凝縮である「愛国心」である。

いま病院の心療内科の治療を受ける患者の中に相当数の教員が含まれている。その患者の年代構成は若い教師から中高年の教師までおり、複雑な教育現場の混乱を表わしている、と心療科の医師は語っている。また最近では教師の自殺も多くなり、その自殺原因も一身上のものが少なくなった反面、教師という職務そのものに関する事柄を原因とする自殺が多くなった、とこの医師は続けて言う。

こうした背景にはモンスターPTAやモンスターママと呼ばれる生徒学生の保護者の問題がある。戦後の日教組的教育の弊害は、年少者のモラル教育を否定したことである。モラル教育の徹底を進めれば必然的に「国に忠、親に孝」に行き着く。この必然的要因こそが日本精神の真髄であり、日本人魂の源であることを恐れた日教組は、その第一起点である「モラル教育」を教育現場から排除した。そして、そのモラルなき教育の中で育ったのが前記したモンスターママであったり集団で騒ぐモンスターPTAである。同時にその世の常識を欠いたモンスターママやモンスターPTAの犠牲になるのは教師たちだ。

現在の教養教育は「術数教育」を教育カリキュラムの中心に配して、モラル教育や道徳教育をおざなりにしている。最近の青少年を対象にした調査によれば、店頭での万引きや駐輪場の自転車泥棒を犯罪と認知していない若者が多いと言う。 

また教室で騒ぎ、他の者の授業を妨害するのを常にしている生徒や学生も多いという。そして近年とみに深刻化しているのはイジメの問題だ。情緒分析の視点からすると、他者をイジメ、自己の内に秘めた陰湿な心情を解こうとする行為は100パーセント、親から伝わったものであるという。ならばわが子にそうした哀れで悲しい心情を伝えた親は、どこからそのような汚れた精神を受け継いだのか。戦後延々として続いた日教組的な教育からである。またこうした教育と、教育環境の堕落には政府の教育行政が大きく関わっている。

いまこうした面、すなわち年少者の情操教育を重点的に施行する行政機関はない。従前にあった文部省はいま「文部科学省」に呼称変更している。名称どおり、現在の文部科学省は術数教育を重点に配した行政機関である。2世紀程前の著名な学者は「情操教育を軽視し術数教育を重視する教育はやがて国家を滅亡させる」と述べている。

戦後の政府は、明治以降使い続けてきた初中高等教育の任に当たる先生を「教師」から「教諭」に改めた。諭(さとす)とは何か、多くの国民はこれで術数万能の教育が、幾分なりとも情操教育に代わるものとして喜んだ。これでイジメの問題も少しは減るだろうとしてこの呼称変更を歓迎した。ところがこの呼称変更は名ばかりで、教育の質と内容はさらに術数教育を強化するものだった。

宇宙物理学が手近かのものになったり、量子力学が日常の生活の中にトップリと入ってきた現代では、確かに科学教育は不可欠なものになってはいる。だからと言って人間の基本的条件である道徳教育や愛国教育までも過去の彼方に追いやって良いはずがない。

靖国神社の恒例祭に出向き、国のため同胞のために命を散らした英霊に感謝の気持ちを捧げ、道に迷った人に道順を丁寧に教え、車内に立つ老人にどうぞの一声を掛けて席を譲るような年少者を育てるには、それに応え得る教育の確立が必要だ。街中に氾濫する幼児虐待の悲劇、性懲りもなく薬物に汚染されて行く芸能人の群れ、万引きやコソ泥を犯罪と自覚しない若者たちの群像、官給の政治資金をチョロマカシして私財を増やす政治家たちの群れは、すべて戦後の歪(ひずみ)だらけの教育が生み出したものである。

菅民主党の新政権は、新政権の目標に景気回復を目玉にした新成長戦略を掲げた。国民の一人としてこの成長戦略が成功することを願いはするが、その前にやらなければならないのは、すべての局面で崩壊の形相を見せている「教育」の大改革だ。これを断行しなければ日本の将来は大変なことになってしまう。

そのことの意味においても、我が国の教育は「温故知新」を前面に据え、米百票の故事(国を豊かにするには教育への出費を惜しんではならないとした旧米沢藩の教訓)にならって、敢然として気概をもって教育の改革を押し進めなければならない。

いま教育の政策当局は、教科書のデジタル化や電子黒板の導入など、ハイテク機能を使っての教育へ進もうとしている。時代に適した対応には違いない。だがこうした教育環境の改変が、すでにこれ以下はない、という次元まで落ちてしまった情操教育の現状をどこまで改革できるかについては、疑問の残るところだ。下手をすると「術数教育」あって「情操教育ゼロ」という破滅的な教育になってしまう恐れもある。

時代は変われど「学びて思わざれば則ち罔し(くらし)、思いて学ばざれば則ち殆し(あやうし)」(朱子学)……。これは教育の原点である。この不朽の教訓を現代に生かす教育は、何をおいても大いに学び、大いに思考する教育に転換することが必要である。その上で日教組が嫌悪してやまない「道徳教育」を復活して、国のため同胞のためなら命を賭して働く青少年を育てることが、国家崩壊への道に一歩を踏み出したこの日本国を救う唯一の方策である。

終わりに
国家の安全なくしては国家の運営はできない。この至極当たり前なことがおざなりになっているのが、いまの日本という国である。9月12日(2010年)に発生した尖閣諸島での海上保安庁の巡視船と領海侵犯した中国漁船の衝突事件に対して、米国国務省はいち早く「尖閣諸島は米日安全保障条約に基づく条約適用地域」としたコメントを出して、何事かが発生すれば米軍は直ちに出動するとした姿勢を明らかにした。いっぽう我が国のこの問題に関する対応は、政府の無策にも拘わらず、海上保安庁サイドでは国内法(公務執行妨害容疑・排他的経済水域内であっても水域内で漁業資源採掘等の作業を行なわない限り船舶の航行は自由であることから、今回は特に領海侵犯問題は取り上げず中国漁船の衝突を巡視船対する公務執行妨害とした)の規律に即して対応した。この対応は正に当を得たもので、内外から高く評価された。

中国にとって9月18日とは、日中戦争開戦の発端となった1931年に発生した「柳条湖事件」の記念日だった。またこの記念日に重ね合わせるようにして尖閣諸島事件が発生した。この18日、中国国内の主要都市では反日デモが行なわれて騒然となった。このデモに対して中国政府は徹底警備で対応したため、従来のような暴動化には至らなかった。こうした中国政府の背後には中日両国の輸出入取引量がともに両国の全輸出入総量の過半近くの拡大し、経済面での相互依存性が高まったとする事情もあり、これ以上の対日摩擦を避けなければならないとした政策判断があった。

しかしこのことはあくまでも現時点だけの状況と関係であって、この相互依存性が仮にも崩れるような事態になれば、日中間には消しても消すことのできない問題が山積している。尖閣諸島事件発生直後、米国のペンタゴン・サイドがいち早く米日安全保障条約を持ち出したことも、こうした日中関係を象徴するものである。

このような日中関係の状況から見ても、また東アジア諸国圏内の諸状況から見ても、我が国の「安全」確保にはなお一層の注意が不可欠であり、その意味においても「日米安全保障条約」のさらなる履行姿勢の堅持が必要である。

最近、トヨタ自動車と日産自動車は「反国家的」とも言える発表を同時にした。自動車メーカーは要するに組み立てメーカーであって、自動車そのものをすべて造っているわけではない。傘下に何百何千という下請け工場を擁し、そこで生産された膨大な数の部品を集約して一台の車を造り、市場に送り出すのが自動車メーカーの仕事である。現在、わが国では20万人近くの労働者がこの自動車を造る仕事に従事している。しかしこの20万人近くの労働者は直接的に自動車生産に関わる人の数で、そのほか間接的に自動車産業に関わって生活している人数を合算すると、何百万人という人数になる。そうしたこともあって自動車産業は我が国の経済産業界の中核産業になっている。

それだけの社会的重荷を背負うトヨタ、日産の両社は、今後部品の供給先を韓国、中国、アセアン諸国に拡大するとした経営方針を明らかにした。しかもこの方針転換は他の自動車メーカーにも広がる状況を見せはじめている。

菅新政権の政権公約の第一は「雇用の確保」である。今回、自動車各社が発表した部品の海外調達は、我が国の自動車部品業界に致命的とも言える打撃を与えるもので、将来的には数十万人の労働者が職を失うことになる。

菅総理がこういったプロセスを承知した上で、あえて雇用の確保を政策の目玉に据えたとすれば大変な嘘つきである。もし仮に自動車各社が部品の調達を海外メーカー中心に方針転換したならば、何十万人もの失業者が発生し、その失業者への保険手当に相当額の財政資金を投入しなければならなくなる。

国の安全を図るということは、単に戦力的な拡充を図れば良いというものではない。民事経済部門の安定も重要な安全保障要因だ。政府当局はそのことの意味をしっかりと自覚し、国民がともに助け合い、喜び合えるような経済産業社会を構築しなければならない。

国民がともに助け合い喜び合える社会を構築するには、今日の受験競争が象徴するような足の引っ張り合い、排他主義的な自己優先感覚を排して、かつてこの日本に存在した隣人愛、郷土愛など人々を互いに結び合わせるための情操教育をより進展させなければならない。もちろんその情操教育の要になるのは国を愛し、故郷を愛し、親を愛し、兄弟、同胞をこよなく愛すことを基本に据えた「道徳教育」であることは、言うまでもない。

行政調査新聞社主・松本州弘
 

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コメント
 
01. 2010年9月24日 01:51:36: E7ypjUhkpQ
 この社主って相当デンパだな。
挫折したもとマルクスボーイがわめき散らしてるって感じ。
ジジイしか言ってる意味ワカンネーyo.


02. Nico 2010年9月24日 03:46:57: YXSXgaBkuk2IA : nS7Us7G6GU
長い・・・
でもだいたい読んだ。

現状分析や批判では納得する点もある。が、ではどうすればよいのかという具体的な提案に乏しい気がする。

そして非常にひっかかったのが愛国心や道徳教育云々というくだりで、私の理解を超える。
愛などという感情はお上によって刷り込まれるべきものでなく、個々人が心の内にはぐくむ性質のもののような気がするからだ。上から刷り込まれる形のものは「洗脳」に近いものがある。

「国破れて山河あり」という言葉があるが、「国」とは人工物としての「国家」であり、「山河」とは自然にそこにある「ふるさと」を指すものだと思う。この詩は「国家という人工的政治権力が滅んでも、山河というふるさとはそこにあるではないか。前向きに生きていこう」といった意味だろう。
この詩の文脈においては、「愛国心」というものと「郷土愛」というものは本来性質が異なる。「愛国心」とは上から強制される場合が多いが(洗脳型)、「郷土愛」とは自然に育まれるものが多い。
この意味での「郷土愛」がさらに規模を拡大すれば、洗脳型愛国心とは異なる形の愛国心となり、さらにすすめば国家の枠を超える「博愛」といったものとなりうる。洗脳型愛国心は排外主義と容易に結びつくという点で、「郷土愛」とは異なる。

などと、私は勝手に解釈している。(私の解釈に反対の人もいるであろう。これは個人的な解釈の問題なので、正しいとか正しくないとかいう次元で語るべきでない)


で、この御仁の論説を読めば、道徳教育・愛国教育を強制する教育制度改革によって、私の言うところの洗脳型「愛国心」を植えつけ、お国のために滅私奉公を喜んでする若者を育成することを主張していると思われる。かつて首相だった中曽根氏に近い主張だろう。

こうした点で、非常に違和感を覚える。理論だけでなく、何か生理的に受け付けないものもあるのだ。
でも共感する人もいるのだろう。人それぞれだ。


で、この論説を投稿した人は何がいいたいのかわからない。


03. 2010年9月24日 12:04:07: I5gfkJbBgk
02様の言われること大体理解できます。
身近なものから家族を愛し育んで育ててくれるふるさとを愛す、そして
それが意識しなくても国を愛することに繋がっていくのですよね。

アメリカのようにインデアンの国を略奪し他民族で建国している国は、自己の正当化の為に正義を叫び国を一つにするために、愛国心を強要し星条旗の名のもとに一つになることをしなければ成り立たないのでしょう。

学校で「愛国心」を道徳で教えて教育現場を管理しようなんて、文科省の先祖がえり(明治の初めの軍国主義)と言われてもしょうがないですよね。


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