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ムネオ日記
2010年9月21日(火)
http://www.muneo.gr.jp/html/page001.html
《以下全文転載、太字は「」でくくりました》
朝日新聞1面トップに「検事、押収資料改ざんか 郵便不正事件 捜査の見立て通りに FDデータ書き換え」、34面、35面には「証拠の重み 軽視 捜査、判決でも批判」、「検察に都合いい日付 郵便不正 押収FD 検事、同僚に『改ざん』告白 弁解『遊んでいるうちに』」という見出し記事がある。
読者の皆さんには、検察の調書の取り方、やり方がこれだけデタラメであることを、よくわかってほしい。密室で強圧的に自白させたり、誘導したりして、調書は作られていく。
私に賄賂を持っていったとされたやまりんの山田哲社長は、調書を取られる時のやり取りを詳細に述べている。
密室での検事の生々しい誘導がよく出ているので、是非ともご一読戴きたい。
-*-*-*-*-
陳述書
平成14年6月17日作成
山田哲
1 私は、やまりん株式会社の代表取締役社長をしているものです。
2 やまりんとその関連企業各社が、平成10年8月4日に、鈴木宗男代議士側に内閣官房副長官の就任祝いとして政治資金規正法にのっとって献金した400万円に関し、これを賄賂であった疑いがあるとして東京地検特捜部の取り調べをうけておりますので、その状況などについてお話しいたします。
3 私が初めてこの件に関し、東京地検特捜部の取り調べを受けたのは、今年の5月18日のことでした。
取り調べの場所は釧路地方検察庁帯広支部の取調室で、取調担当検事は稲川検事でした。
この時の取り調べの際、稲川検事は、まず
「贈側は時効だから、協力してくれ。
数多くの事件の中の一つにすぎない。
鈴木側の政治資金収支報告書に基づいて全国一斉に調べているんだ。」
などと私を安心させるような言い方をし、さらに、
「狙いは、鈴木一人だ。」
などと言いました。
狙いは鈴木一人だという言葉の意味は、8月4日及び翌5日の日に、自民党の松岡代議士や松下代議士にも献金しているのですが、この二人については捜査立件の対象にしないという意味だと理解いたしました。
一方でこのように言いつつ、稲川検事は、さらに、
「我々特捜の前に、障害になるものは排除する。」
などと言いました。
そればかりではなく、稲川検事は、
「4年前の盗伐の事件では、釧路地検のやり方は甘いと思っている。
我々だったら、会長も社長も同罪にした。
今からでも遅くはない。
役員会議で、歩留まり140%とか、150%という資料がある。
だから、会長社長は盗伐のことを知らないということにならない。
組織ぐるみの犯罪ということになる。
他にも、文書違反のことがある。
時効は10年だ。
上士幌の件で田村が営林署の連中と都合のいいように文書を改竄している。
これをやったら営林署はめちゃくちゃになり、必ず自殺者もでるだろう。」
などと、私を明らかに脅すようなことを言ってきました。
私は、正直な話、相手が東京地検特捜部だと言うだけでも恐怖心を持っておりました。
その特捜部の検事さんから4年前の盗伐事件を、再び捜査するなどと言われると本当にそうされてしまうのではないかという恐怖感を感じました。
自分としては、やまりんの4年間の盗伐事件については、全く関与した事実もありませんし、既にこの件については、1億円以上もの賠償金も支払われてもおりますし、なんと言っても4年以上も前の話であり、犯人も既に処罰されて、事件としては終わっているという認識でいたのですが、日本最強の捜査機関と言われる東京地検特捜部の検事さんから自信たっぷりに、具体的な証拠があるとしつつ、「我々だったら会長も社長も同罪にした。今からでも遅くない」などと言われると、本当にこの件で、やまりんの社長である私が逮捕されたり、起訴されたりするのではないかという恐怖心でいっぱいになってしまったのでした。
稲川検事は、そのようなことと言って私を脅した後、
「今から調書を作る。
違っているところがあったら、言いなさい。」
などと言って、事務官に向かって、いきなり調書の内容を言い始め、事務官がその内容をパソコンで打っていきました。
その中には、平成10年8月4日の鈴木代議士側への献金について、内閣官房副長官の就任祝いの名目である、あるいは、就任祝いをかねるというような表現も入っておりました。
私は、稲川検事のこの日の取り調べの中でそのようにお話ししたことはありませんでした。
私としては、あくまでも、就任祝いだけのつもりでいたのに、そのような調書をいきなり作られたのですが、稲川検事から脅されたことによる恐怖心があって、それは事実とは違うとはとても言い出せない雰囲気でした。
その他にも、私が全く話していない内容や私の意に添わないような部分が多々ありましたが、稲川検事にその調書に署名を求められると、その調書に署名するしかないという気持ちになり、結局、嘘の調書に署名をしてしまいました。
4 その二日くらい後の取り調べのときのことだったと記憶しておりますが、稲川検事が、さらに、その調書に肉付けをしたような内容の調書をいきなり私に示してきました。
内容的にはやはり、私の言っていないことや事実と違うことがたくさん盛り込まれておりました。
この調書も結局、前回同様、署名するしかない気持ちになり、事実と違うなと思いながらも、署名してしまいました。
なお、一回目の調書だったか二回目の調書だったかはっきりしませんが、稲川検事の方から、直すところがあったら直してもいいというようなことを言われ、調書の案を見せられました。
しかし、贈収賄の成否に関わるような重要な部分は直してもらえないという雰囲気がありありであり、その点については、あきらめに近い気持ちになっておりました。
とはいえ、稲川検事からそのように言われたことから、一部について訂正を申し立てたのですが、訂正してもらえた部分ともらえなかった部分がありました。
贈収賄に関わるような本質的な部分については、異議を申し立てても、直してもらえない雰囲気であり、実際、直してもらえませんでした。
5 このころの私の気持ちは真っ暗でした。
しかし、私がこれまでにとられた調書は、簡単な内容であり、これから本格的な調書を作ろうとしてくるのだろうとも思っておりました。
私は
「そのときが勝負だ。
そのとき事実と違う内容だと言って署名を拒むしかない。
それしか特捜部には対抗できない。」
と考えておりました。
しかし、そうは言っても、
「実際に特捜部に最後まで抵抗するのは難しいだろう。」
とも考えており、まさにこの時の私の心境は
「荒れ狂う大海の中で小舟を一人でこいでいる。」
というような心境でした。
私が、ちょうどそのように考えていたころ、弁護士さんにアドバイスをいただくことができました。
その時の弁護士の話は、
「特捜部の調べはなにが真実であるかを聞き出すというよりは、あらかじめ特捜部が想定した
ストーリーにあてはめてくるような調べかたです。
特捜部の検事は皆良心を削りながら仕事をしている。
特捜部の検事は皆一流だから、口裏合わせをしても必ず特捜部には突破されるから意味はない。
むしろ事実ベース、真実ベース、記憶ベースが一番強い記憶や事実に反する調書にどうしても署名
しろと言う検事の立場の方がむしろつらい。」
という内容のものでした。
私は、その話を聞いて、目から鱗が落ちるような気持ちでした。
それなら、ひょっとして、私でも記憶や事実に反する調書に署名しないでいられるかもしれないという気持ちになったのでした。
6 それでは、次に、私が平成14年6月9日の午後2時30分から同日午後3時ころまでの30分くらいの間、東京地検特捜部の稲川検事から取り調べを受けた状況についてお話しします。
7 私は、当初、稲川検事の取り調べを受けた後、坂本検事、ついで吉田検事の取り調べを受けるようになりました。
当初は、釧路地検の帯広支部で取り調べを受けていたのですが、やまりんの件がマスコミにでたため、沈静化させるとの理由で、帯広にいた特捜部の検事が急遽東京に引き上げて行きました。
その後、稲川検事から
「やまりん事件が中途半端な形になっている。
社長が一回東京にきてくれれば、事件を終わらせることができるので、東京に一度出てきて欲しい。」
などと言われ、今年の6月8日と翌9日に、東京地検での事情聴取に応じることになり、その日、私は、上京したのでした。
そして、その両日、東京地検において、特捜部の吉田検事の取り調べを受け、その取り調べの中で吉田検事からいきなり調書の案を見せられたりしたのでした。
吉田検事は、なんとかこの調書で納得してくれと言ってきたりしたのですが、その調書の内容は、私が全く取り調べの中で言ってない内容であり、事実に反する内容であったため、結局、8日も9日も、調書に署名しませんでした。
なお、この時に吉田検事から見せられた調書の案は、私の印象では、私の供述調書というものではなく、私の父で、やまりん会長である山田勇雄の調書という感じでした。
そこで私は、吉田検事に、
「これは私の調書と言うよりは親父の調書ですね。
親父に聞いてもらうしかないんじゃないですか。」
と言いました。
すると、吉田検事は、いろいろ弁解がましいことを言いながら、
「この事件は、脚本監督主役は山田勇雄だ。
それは確かだ。
あとの人は脇役にすぎない。
国のことを考えて、この調書で納得してもらうしかない。」
などと言ったのを記憶しております。
そのように言われても、私としてはとても納得できず、結局8日の日には夜中の12時過ぎまで押し問答をしましたが、結局調書に署名しなかったという経緯もあったのです。
このような取り調べ状況であったため、9日の日も調書に署名しなかったところ、その日の午後2時30分ころ、吉田検事が、一旦取調室から出て、その後、しばらくして戻ってきたのです。
そして、私に
「稲川検事のところにいってくれ。」
いうようなことを言ってきたため、私は、吉田検事とともに稲川検事の室に行きました。
そして、私と吉田検事が稲川検事の取調室に入り、私が稲川検事の前の椅子に座ると、吉田検事はその取調室から出て行かれました。
そのときには、検察事務官もその取調室にはおらず、私と稲川検事の二人だけとなりました。
稲川検事は、私と二人っきりになると、まず、
「調書をとるわけではない。」
と、その日は調書をとるつもりはないという意味のことを言いました。
そして、その後、私に
「今までは、特捜側の協力者だと考えていたが、違うようだ。
前から言っているように、我々特捜に協力するか、鈴木に協力するか、二つに一つだ。
協力するとしないとではずいぶん違う。
いずれにせよ、強制捜査は避けられないが、マスコミに対する我々特捜部の対応の仕方も違う。
我々のマスコミへの言い方次第によっては、社長を極悪人に仕立て上げることもできる。
協力さえすれば、この件だけで終了する。
協力しなければ、それだけでは終わらない。
人間誰でもたたけばほこりが出る。
社長もほこりが出る。
赤堀、高信、三宅、徳田だけではない。
社長の母親、兄貴、全部だ。
4年前の盗伐の件でやることも可能だ。」
などと、ドスの効いた低い声で言って、私を脅し始めました。
私は、稲川検事からまた脅されるということはある程度予期しておりましたが、実際の稲川検事はとても迫力があり、このようなことを言われて、大変な恐怖心を感じました。
このままでは、本当に私ばかりでなく、赤堀社長、高信室長、三宅社長、徳田社長、さらには、私の兄の山田麟太郎や母親まで特捜部に徹底的に個人的な事件を捜査され、逮捕などされることになるかもしれないとも思いましたし、マスコミに、あることないことをリークされて、大変なことになるとも思ったのです。
私は、ただ黙って稲川検事の脅しを聞いているしかありませんでした。
その後も稲川検事は、私に、
「やまりん関連会社に、本日別件で家宅捜査が、今頃入っているはずだ。
明日もあるだろう。」
などと言ってきたのです。
私はその言葉を聞いた瞬間、三宅社長のところの山洋建設か、徳田社長のさんわ(平成10年当時の名称は山和道路)に、特捜部が別件でいわゆるガサ入れをしているのかなと思いました。
実際、後で聞いたところによると、その時、三宅社長の山洋建設に宮野明秘書に対する政治資金規正法違反の容疑で、家宅捜査が行われていたことを知りました。
この家宅捜査は、あくまでも特捜部の言いなりにならないことに対する嫌がらせであると感じました。
-*-*-*-*-
これは平成14年6月17日、国会に提出し、私が議院運営委員会でも話したものだが、当時の国会議員は理解してくれなかった。
何が真実か、公平、公正とは何か、お互い冷静に考えていきたいものである。
大阪地検特捜部のこの検事は、トカゲのしっぽ切り宜しく、仲間から組織防衛のため、断罪されることだろう。
こうした検事をつくったのが特捜部であり、歴代特捜部長はじめ検察の体質が一番の問題であることを指摘しなくてはならない。
午前中旭川市内回り。12時から旭川市で上川中央地区の新党大地・鈴木宗男後援会の昼食会。15時から留萌市で、留萌管内新党大地・鈴木宗男後援会の会合。
「鈴木宗男が政治活動をする限り、最後まで鈴木宗男と行動を共にする」という決議をして戴く。後援会の皆さんに感謝の思いで一杯である。
どの地域でも、後援会の結束は強く、意気軒昂である。新しい勇気やエネルギーを戴き、やる気が湧いてくる。
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