http://www.asyura2.com/10/senkyo95/msg/579.html
Tweet |
ソクラテスの死 - ソフィストと民主政治、政治哲学への回帰の欺瞞(世に倦む日々)
http://critic6.blog63.fc2.com/blog-entry-380.html
ソクラテスの死_1
丸山真男は、古典を読む意味について、自分自身を現代から隔離することにあると言い、現代から意識的に自分を隔離することによって、現代の全体像を距離を置いて観察することができると言っている(丸山真男集 第13巻 P20)。その言葉を思い浮かべつつ、『ソクラテスの弁明』を読み返したが、ページを読み進むほどに念頭に立ち上がるのは現代の問題であり、そこから行間から離れた事案に次々と思考が及び、知りたい対象が浮かんで別の本に手が伸び、ソクラテスの法廷の世界に集中没頭することができない。古典を一人で読むことの難しさ、現代から自己を隔離することの難しさををこの年になって思わされる。この古典から学ばされるのは、「無知の知」などの倫理の教科書に載っている一般論の知識ではなくて、言葉の素晴らしさであり、思惟し弁論する知的主体の瑞々しい弾力である。
「アテナイ人諸君」のリフレインに背を押され、理性と情熱の力が充満する言葉の世界に引き込まれ、読んだ者は確実に賢くなる。日本語の文章と弁論の勉強になる。訳が素晴らしいと思うのは、原文が素晴らしいからだ。思うのはプラトンの天才という問題で、法廷でメモなど録っていないと思われるが、あの長い弁明を物語にし、詩作して構築した記憶力と想像力に驚嘆させられる。プラトンの哲学は、師ソクラテスの死への激憤から出発し、その不条理に復讐を果たさんとするデモーニッシュな意図と目的を持っている。マルクスと同じ。
ソクラテスの死_2
知と徳と善とは切り離されたものではなく、知識は常に内省を必要とし、説得は謙虚を必要とする。そして、思惟し発見し提起することは一命を賭けたものであり、命を賭けた知でなくては知の輝きと重さを持たない。ソクラテスとプラトンからそれを教えられる。プラトンが再現したソクラテスの迫真の言葉を耳に響かせつつ、思いを馳せたのは二つの問題だった。一つはソフィストという問題、もう一つはデモクラシーという問題。ソフィストとは何か。ソフィストについては、プラトンによる批判的定義が今日でも通念となっている。それは古代ギリシャにおいて諸国を遍歴する職業知識人であり、裕福な子弟に有料で弁論術のノウハウを売って歩く者である。教授するのは真実の知識ではなくて詭弁術であり、その特徴は価値相対主義で、正義や真善美の基準は都市国家ごとのノモス(慣習・法律)によって異なり、時と場合で判断の妥当性は異なるとした。ミネルヴァ書房の『概説・西洋政治思想史』には、プラトンの章で次のような記述がある。「有料の私塾師ソフィストたちにとって、すでに衆愚と化した人間が『万物の尺度』であるとは、単なる言説を超えた、生きた現実そのものであった。
だからこそ(略)ソフィストたち一般は、『自然(欲望)』を『法習慣』に優先させることによって、力と正義を同一視するという不純な理想を掲げ、伝統的倫理の存在論的拘束を断ち切る自己の絶対化を主張し、個人の無限の欲望と利己主義および功利主義の全面的開放や倫理的相対主義を放言して、むしろ社会的に受容され歓迎されたのである」(P.24)。
ソクラテスの死_3
ソクラテスに問答法で論破され、無知を暴露されて恥を搔かされたソフィストたちは、ソクラテスを讒謗してアテナイの三人の権力者と謀り告発する。その容疑事実は、ソクラテスはポリスの神を信ぜず、青年を誑かして腐敗せしめるとするもので、全く根拠のない言いがかりの冤罪だった。法廷はソクラテスに死刑の判決を下し、ソクラテスは友人たちに見守られる中、毒杯を仰いで死の床に就く。藤原保信は『西洋政治理論史』(早稲田出版)の中でこう書いている。「価値が完全に相対化し、多くの人々がエゴイズムの中に埋没しているような状況において、このような哲学を実践することは、その下で特権を享受し、あるいはさもなくともそのような状況において安穏な生活を送っている人々にとっては、必ずしもよいものではなかったであろう。否、それは脅威ですらあった」。
ソクラテスはイエスに似ている。アテナイのソフィストはエルサレムの律法者。岩波の哲学思想辞典の「ソフィスト」の説明には、末尾に以下の記述がある。「このような観点から見れば、価値判断に関しては相対主義的な態度が優勢を占めている現代は、ある意味で『ソフィストの時代』と言えるかもしれない」(P.989)。ソフィストとは何かについては、高校の倫理の授業で教わったのが最初だが、その当時の「現代」は、決して岩波の哲学思想辞典が言うような「現代」ではなく、ソフィストの概念は異端的な部分集合だった。プラトンの正論の時代だったと言える。岩波辞典的な「現代」が始まったのは、80年代からのニューアカと脱構築の現代思想の一世風靡からだ。
ソクラテスの死_4
第二のデモクラシーの問題について、この問題についても、ソフィストの知識人論と同じ視角からの懐疑を言わなくてはならない。結論から言えば、眼前の民主主義は果たして民主主義と呼べるものだろうかという問題であり、衆愚政治と呼ぶべきものではないかという問題である。ここでも問題は同じであり、つまり、衆愚政治は現実において部分集合ではなくなっている。普通科の高校では、高校1年で世界史と倫理を学ぶカリキュラムが一般的で、私の場合も同じ教師に同時並行で習っていたため、世界史で古代ギリシャが登場する頃、倫理でソクラテスとプラトンの授業を受けていた。したがって、衆愚政治という言葉も、そのとき初めて知ったことになる。
ソフィストと同じで、否、ソフィスト以上に、衆愚政治は悪性概念で、それは民主政治の堕落形態として通念されている。この年末、私はPARC自由学校で「ポピュリズム」について講義することになっていて、その準備を始めなければならないが、このテーマについて議論を試みようとするとき、不意に直観するのは、ポピュリズムの言語が示す対象たる政治的現実は、すでに部分集合ではなく全体集合と化しているという問題である。すなわち、それは最早、そうした状況が現出しているとか、傾向が拡大しているなどとして捉えられるものではなく、警告を発するような段階ではない。一部ではなく全体なのだ。過去に与えられた「ポピュリズム」の概念や言説を客観的に解説し検討して、それで議論としてワークする時代ではなくなった。そういう気分の中で課題を前に嘆息する。
ソクラテスの死_5
衆愚政治もポピュリズムも、言葉が指すものは、われわれ自身の日常的で支配的な現実そのものであり、社会の一部に見られる危険だとか疾患だとかの類ではない。踏み込んで言えば、われわれが今日の日本の政治環境に生息して、例えば、小沢一郎より菅直人を支持するなどという多数派の立場に立ちながら、同時に「衆愚政治」だの「ポピュリズム」だのを床屋政談の口端に乗せるのは、恐ろしい自己欺瞞であり、まさにアテナイ的な衆愚の無知の極致であるということである。衆愚政治とポピュリズムは、われわれの頭上に乗っかった重い石であり、都市を蔽う夏の光化学スモッグであり、決してわれわれはそれを見下ろして指差す位置には立っていない。
現実のポピュリズムを対象化するためには、まさに超人的な思惟の能力が要るし、それ以上に知性の勇気が要ることだろう。それは、ヒトラーが統治し支配する1930年代後半のドイツで、この社会はファシズムだと批判することと同じだ。ファシズムの時代が終わった後、ファシズムを論じるのは易しい。ファシズムが到来する前、言論でファシズムを警告することも可能で有意味だ。しかし、ファシズムの真っ只中に社会が覆われたとき、そのときのファシズム論の言説はどうなるのか。批判言語としてのファシズム論を誰も受け入れることはない。衆愚たるを自覚せぬ衆愚に向かって衆愚だと批判しても、それは議論としてワークせず、批判する側がソクラテスの運命に陥るだろう。政治においては多数が正義となる。おそらく、ポピュリズム論の政治理論は、今そういうジレンマの状態にある。
ソクラテスの死_6
以上2点、ソフィストと民主主義の問題が、古典を読みつつ念頭に浮かんだ問題だった。ポピュリズムを論じるに当たっては、方法として、現代ではなく古代に焦点を当てた方が有効かもしれず、プラトンやアリストテレスの民主制批判の言説に依拠した方が有意味な成果に繋がるかもしれない。この30年、マルクス主義が退潮し、脱構築主義が蔓延した中、政治学は公共哲学の関心と方法が主流となった。軽佻浮薄な現代思想の表象と政治哲学という重厚清冽な言語が、この国ではなぜか一つに結びつき、アレントとハーバーマスが思想業界のファッションのモードになり、思想市場の流行として商売され消費される。
が、いずれにせよ、現代の政治学者は公共哲学のフィールドの専門家たらざるを得ず、アレントとロールズの問題意識を射程に捉え、自由と正義と公共善の範疇を語り、アリストテレスが残した複雑難解な古典(政治学・倫理学)と格闘しなければならない。安直で戯画的な整理を許してもらえれば、左側の政治学はアレントのマルクス批判を媒介して公共哲学に即き、右側の政治学はロールズの功利主義批判の流れを受けて公共哲学の徒となった。政治哲学に回帰したとも言えるし、事実、学界ではそう言われ、それは歓迎の意味で言われていている。私も政治哲学の復権を一義的には歓迎し、アカデミーの政治学は政治哲学でなければならないと思う。本の中でもそう書いた。だが、歓迎しながら、アンビバレントな違和感の感触を率直に吐露せざるを得ない。第一に、そこには政治哲学者がいない。
ソクラテスの死_7
政治哲学の研究者は多くいる。しかし、政治哲学者の姿がない。小林正弥も、川崎修も、橋本努もそうだ。どれほど日本の政治学が政治哲学に回帰しても、その研究者は政治哲学の紹介者ばかりで、政治哲学者が一人もいないのである。昔はそうではなかった。丸山真男、藤田省三、神島二郎、彼らは政治哲学者の範疇であろう。さらに遡れば、南原繁と吉野源三郎がいる。「政治哲学に回帰した」と日本で言う場合、当然、そこに南原繁の存在が意識されている。丸山真男や南原繁のような人格を欠きながら、果たして「政治学は政治哲学に回帰した」と言えるのだろうか。それが第一点である。第二に、もし本当に政治学が政治哲学となり、政治哲学の方法と関心がアカデミーで支配的になっているのであれば、何故に、その影響が現実政治の世界に及ぶことがないのだろう。
これが第二点だ。日本の政治家は、年を追うごとに小さく小さく小粒になり、政治哲学とは無縁の存在になって行ったし、政党もマスコミもその傾向を歓迎して促進した。80年代以降、政治家になるのは、二世、官僚出身、金融出身、記者出身等々のエリートに限られ、専門経験と肩書きが重宝されている。菅直人も代表選の演説でその意味の話をした。実際には、国民は強い指導者の出現を待望しているにも関わらず、「全員参加」だとか「チームプレー」を唱える菅直人を支持している。二人のうち、政治哲学の契機を幾許とも感じるのは小沢一郎の方だが、そういう資質は無用なのか、小沢一郎はマスコミと衆愚に排除された。その出来事に対して、政治哲学に回帰したはずの政治学界からは何の異論も出ない。
矛盾している。学界の「政治哲学」は紙の上の言葉だけであり、単なる字面だけの話であり、要するに商売のネタに過ぎない。政治哲学に回帰したはずの日本の政治学界は、なぜ日本の現実政治に政治哲学を求めないのか。公共哲学を持った哲人政治家の出現を要請しないのか。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK95掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。