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http://iwao-otsuka.com/com/motherfather1.htm
母性と父性の違いを一言で言えば、母性は「内部に閉じた」世界=自分の子宮胎内相当の世界に相手(子供)を置こうとする、子供を親に「癒着・依存させる」性であり、一方、父性は「外部へと開かれた」世界に相手(子供)を置こうとする、子供に対して親からの「分離・自立を促す」性である、と言える。
1)母子癒着型 母親が子供を完全に包み込んで守り、そのさらに外周を父親が守るタイプ。母親が完全に子供と癒着しており、父親がその間に割って入ることができず、外側から見守っているタイプ。日本社会では、この類型が多く見られると考えられる。
(2)父介在型 父親が、母親と子供の間に割って入り、父親が直接子供に接触し、見る割合が高いタイプ。欧米社会では、この類型が多く見られると考えられる。
(1)の母子癒着型は、母親の力が強い、母性支配(母権制)社会のタイプ、(2)の父介在型は、父親の力が強い、父性支配(父権制、家父長制)社会のタイプと考えられる。
欧米における自由主義、個人とプライバシーの尊重といったドライな近代的自我に合致しているのが父性であり、逆に、相互の一体・融合感を重んじて、個人を集団に従属させるのを好むウェットな母性は、西欧近代的自我に反する、ないし近代的自我を殺す存在である。
自立したバラバラな個人が自由に動くのを理想とする近代以降の西欧やアメリカは父性の強さが確立された社会であると言える。一方、西欧近代に見られるような自我が確立しておらず、個人の自立の程度が未成熟、弱いと言われる日本、中国、ロシアといった社会は、個人を集団の中に一体化・埋没させ、全体が一丸となって動くようにするのを得意とする母性が優位であると言える。
また民主主義の基盤をなす、個人の自由、個人の人権の尊重、個人間の平等、といった価値観の生成については、母性と父性とでその担当する役割が異なっていると考えられる。
個人の自由、個人の人権の尊重については、その実現には、個人がある程度自律性を持って、互いに分離して動き回れることが必要である。これは、母性の中には内在しない、母性には生み出すことができない価値観である。個人が全体に温かく包み込まれることを目指す母性は、個人の全体との調和、協調や、全体のための個人の奉仕、犠牲といった価値観に専ら傾きがちだからである。その点、個人間の相互分離、独立を促進するドライな父性の出番となる。
一方、個人間の平等という価値観については、個人間の非差別、同一視を指向する母性が主導権をもっていると考えられる
(引用終わり)
今まで見てきただけで現代日本の民意と言うものの特性が把握できる。
要するに幼児期における父性と母性に対する体験が現代日本人の特性を育てている。
つまりは、もともと多神教の社会である日本では母性的な観念が強く養成される環境であった。
西欧諸国に見られるような強い自我を抑制する環境にあった。
古代の日本社会はまた別のものがあったが、江戸時代以降朱子学の影響で作り上げられた父権社会があったが、その父権は作り上げられただけにたぶんに形式的であったと言える。
それを明治維新で到来した西欧民主主義における父権と重ねて考え、容易に融合できると思って、厳密な検証なくして西欧民主主義を取り入れた。
これはしスラム社会などが未だに民族的なものとの対決が止まないことと対照的である。
時を経て、多くの日本人は父性、母性と言う人間が成長する時期の大きな指標をしっかりと受け止めることができなくなったのではなかろうか。
何となれば、母性はともかく父性において父性を発揮すべき父親の自我が曖昧な発達より出来てないことである。
曖昧な発達とは、良きにつけ、悪しきにつけ価値基準が曖昧であるということです。
それは江戸時代の父権が形式に流れ、真剣な価値感として身についていないところへ、西欧のそれに接し(表面的な自由、平等)、自分の頭で考えることなしに真似ようとしたことです。
そういう信念にはバックボーンというような強い意識はなく、ひ弱い自我で子供に対処したことになります。
ここで、観点を変えて子供の方から検証してみましょう。
心理学の用語にファーザーコンプレックスとマザーコンプレックスという言葉があります。
成長期の子供が良心に抱く心理的なものです(大人になっても抜けきれない人もいますが、そんなものは例外とします)
ファーザーコンプレックスとは、下記のように概略されています。
「父親と距離を置くような厳格な家庭で育った場合、厳しい父親に表面的な愛情表現をされないまま成長してしまったために、その欠落感を埋めるために父性的なものに憧れ、ファーザー・コンプレックスが形成されるとされる。」
同じくマザーコンコンプレックスとは「マザーコンプレックスとは、母親に対して子供が強い愛着・執着を持つ状態を指す。なお、これは正確な心理学用語ではなく和製英語の俗語である。俗にマザコンとも略され、この場合、母親に強い愛着・執着を持つ子供のことも指すことがある。」
精神医学的な認識はさておいて、ここで言うファーザーコンプレックスについて考えて見ます。
従来のファーザーコンプレックスというのは、現実に存在する強い父権に対して逃避したり、求めるという心の動きでした。
現代の子供には、父親が実在していても、その強い父権というものが感じられないのです。
心理学的には子供自身が「その欠落感を埋めるために父性的なものに憧れ」ファーザーコンプレックスを抱くようになるとされていますが、この場合現実の欠落間ではなく、丁度父親をなくした子供が仮想の父親を想定して抱くようなコンプレックスに陥っているのではないでしょうか。
そうして、結局はないものねだりから対極のマザーコンプレックスのようなものに陥り、父性を忘れ母性的な人間として成長するものと思います。
最初に言いましたように母性が強い社会の現象は「個人間の平等という価値観については、個人間の非差別、同一視を指向する性癖が主導権をもつことになるのでしょう」
こうして現代日本社会は、自我の未成熟な人間が多く、旗幟をはっきりさえることを嫌い、個人の全体との調和、協調やばかりに執着する優柔不断な国民性を醸成してきたのです。
随分と長らく書いてきましたが、要するに平和ボケした民意と言うものを心理学的に分析しただけであります。
失礼をば、いたしました。
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