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17日夜、友人のクールなジャーナリストから電話が入った。「仲間と飲んでいるんだが、『難題山積だというのに、菅改造内閣は何をしたいのか、全く分からねえ』と侃々諤々の大騒ぎだ。『役人の模範答案がないので、はっきりしたことが言えないのだ』とかんぐる奴もいる。
ノーサイドだっていいながら、鳩山系から、申し訳程度に、2,3人、入閣させたらしいが、小沢外しは見え見えだし、なんだか、報復人事で、まるで連合赤軍の内ゲバみたいだ。これじゃ、菅の終わりの始まりだ」。――電話の要旨はこんなことだった。
今回の党首選ほど奇妙なものはなかった。党首すなわち総理大臣を選ぶのだから、候補者は「政治主導」「国のかたち」「国民生活」「外交理念や普天間移設」「円高対策」など、国政の基本について、論戦をかわし、国会議員、地方議員、党員・サポーターはそれを判断の材料にして投票すべき選挙のはずだった。
しかし、初日の共同記者会見でその理想と期待は雲散霧消した。小沢一郎は骨太の政策を訴えた。菅直人は「雇用、雇用、雇用」と叫ぶだけだった。小沢は、自分の言葉で語った。菅の言葉は中身の乏しい「巧言令色」だった。小沢の横綱相撲に対し、菅は「政治とカネ」で揺さぶりをかけた、制限時間を過ぎて「待った」をいうようなものだった。
緒戦の言論戦で菅が圧勝すると信じていた記者たちは仰天した。「野党の一級の論客」が「訥弁」の小沢に、一発で土俵外に突き出されたのだ。驚いたのは記者だけではない。国会議員も党員・サポーターも、また、一般国民もびっくりしたことだろう。菅のトラウマは最後まで消えなかった。
政策は「小沢理論のパクリ」と揶揄された。みっともなかったのは、テレビ朝日の討論会で小沢に完敗した菅が、再度、テレ朝に単独出演し、弁明と釈明をしたことである。極め付きは、14日の臨時党大会の演説だ。小沢は「夢」を語った。
「私には夢がある。役所が企画した金太郎アメのような街ではなく、地域の特色にあった街で、お年寄りや子どもや近所の人がきずなで結ばれて助け合う社会。青空や広い海、野山に囲まれた田園と、大勢の人たちがそこに集まり、楽しむ、どこでも一家団欒の姿が見られる日本。一方で、個人が自らの意見を持ち、外国とも堂々と渡り合う自立した国家日本。そのような日本にしたい。
(中略)私は代表となっても、できないことはできないと正直に言うつもりだ。しかし、約束したことは必ず守る。(中略)日本を官僚の国から国民の国へと立て直し、次の世代にたいまつを引き継ぎたい。そのために私は、政治生命はおろか、自らの一命をかけ、全力で頑張る決意だ」。
菅も、とってつけたように「夢」を述べた。「私にも夢がある。元気な日本を復活させ、次の世代に引き継いでいきたい。私自身はボロボロになって倒れようとも、その先頭に立って戦い、バトンを渡す。それが私の新しい、そして、最後の夢だ」。
小沢は「国、社会、暮らし」とそれを支える「共生の理念」を語った。菅は民主党党首に再選されることだけを考えていた。自民党の総裁選挙でも、候補者はそれなりに天下国家を論じたものである。菅直人にはそれがなかった。彼が再選出来たのは、政策論争で小沢を打ち負かしたからではない。マスコミが一年半にわたって国民に擦り込んできた符丁(暗示)「政治とカネ」=「小沢は悪人だ」というネガティブ・キャンペーンの成果である。
菅勝利の追い風になった「脱小沢」とはなにか。一つは、仙谷官房、野田財務、前原外務、岡田幹事長、枝野幹事長代理など、無責任な、おしゃべり・サロン政党に郷愁を抱く「オリジナル民主党」である。小沢は「野党は政権奪取を最優先すべきだ。マニフェストは国民との約束だ。死に物狂いで守れ」という当たり前の「政党文化」を民主党に持ち込んだ。
まさに、「泰平の夢」を破る「黒船」だった。そして、民主党は政権を取った。「オリジナル民主党」の政治文化は「おままごと」であることが立証されたのである。彼らにしてみれば「軒先を貸して母屋を取られる」以上の屈辱だったにちがいない。「クリーンでオープン、公正・公平な民主党」とは似ても似つかぬネガティブ・キャンペーンの発信源のひとつでもあり最大の受益者でもあったのは、おそらく、彼らだろう。
二つには、1,2年生議員の解散恐怖心だ。菅は「小沢なら解散するが、私はしない」と囁いた。私の友人の民間人は、数人の一年生議員に「『政策や力量・指導力では圧倒的に小沢さんだが、解散が怖い』と相談された。『菅さんだって、国会運営に行き詰まり、来春、野垂れ死に解散もあり得るよ』と答えたが、彼らの結論は『解散が怖いので、菅さんに賭けてみる』だった」と語っていた。
三つは「小沢さんの政策を菅さんがちゃんとやってくれるのなら、コロコロ総理を変えなくてもよいのでは」という微温派である。菅内閣が、実体的には「官僚支配内閣」であることが明らかになったとき、彼らはどうするのだろう。事業仕分けも三回目ともなると、役人が用意する飴玉もなくなってくる。役人の振り付けに喜んで踊っている「志」のない国会議員は別にして、まともな議員は、さぞ悩むことだろう。
そして、四つ目は「菅中枢」と情を通じあったマスコミと、それを無邪気に信じた「大衆」である。70歳以上の方は記憶にあるだろうが、1941年12月8日の真珠湾攻撃直後、日本軍がシンガポールを陥落させ、占領したとき、朝日、読売、毎日新聞は「観呼」の声を上げ、国民をそそのかした。全国で「鬼畜米英」「天にかわりて不義を撃つ」と提灯行列が行われた。そして、直後から敗戦の坂道をころがり落ちた。今回のマスコミの異常な「小沢叩き」が私には69年前の情景とダブって映るのである。
新宿の立会演説会で、突如沸き起こった「小沢コール」は、私の友人のオバチャンたちが火付け役であった。彼女たちは、マスコミの巧妙な世論誘導に反発して、「小沢、小沢」と叫んだのだ。それが、「燎原の火」の如く会場全体に燃え広がり、大阪、札幌にも飛び火したのである。新聞の「世論」も世論だが、「小沢コール」も自然発生的な世論である。
田中秀征氏は、「鳩山と小沢を結びつけたのは、菅のあざとさではないか」と書いている。「あざとさ」には「あくどい」という意味もある。自分の地位を守るため「あくどい」手段を講ずることを否定はしない。8月25日、安住選対委員長は、落選した小沢派の河上みつえさんに「生活が大変だろう。何に使ってもいいから」と300万円届けて来たそうである。
彼女は「結構です」と断ったが、人の弱みにつけ込む卑劣なやりかただ。岡田幹事長は「敗戦の責任者」の枝野前幹事長を幹事長代理にし、よりによって「選挙担当」にした。本来であれば、頭をまる坊主にして、八十八か所お遍路めぐりをしなければならない者を、責任を不問にして、要職に起用するとはどういう神経なのだろうか。
要するに、誰も責任をとらないで済む「新しい政治文化」を作ろうとしているのだろう。「クリーンでオープン、公正・公平」は、国民向けの「ファッション」にすぎない。小沢は10月24日の衆院補選について、党首選後の会合で「民主党政権を成功させなければならない。町村(信孝)に負けるわけにはいかない。『勝て』」と檄を飛ばしている。しかし、党中枢に渦巻いているのは、「小沢憎し」のどす黒い「憎悪の哲学」だけである。
それでも、代表選はやってよかった。小沢の話を聞いて多くの国民は、初めて民主党の「改革」を理解した。与野党の別、また主義主張を超えて、国会議員は「政治家の覚悟」を思い知らされただろう。菅も民主党の党首である限り、民主党の政策を実行せざるを得なくなった。
しかし、菅は官僚とアメリカに屈服する安易な道を選んで、小沢という羅針盤を捨てた。菅の改造内閣の顔ぶれが明らかになったとたん、アメリカの「高官」たちが、そろって「歓迎」の意を表している。菅とともに外相に「対米従属派」の前原がなったことには、ムキ出しの喜びぶりである。
菅は、風だけを頼りに船出をした。マスコミは、チャンスを見て旧勢力復活のために、暗躍するだろう。それが悲しいことだが現下のマスコミの本質と役割だ。旧勢力への「御恩返し」である。そう遠くない将来、小沢一郎の存在価値が「多数」に理解される日がくるにちがいない。気がかりなのは、「多数」がこのことに気づいたとき、「手遅れだった」ということになることである。
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