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「民主党の左派政権は、ライバルを殺すまで徹底的にやる。自民党では、そこまではやらない。ライバルが年を取るまで待つ」というような趣旨のことを、民放テレビに出演した「みんなの党」の渡辺喜美代表が、菅直人改造内閣の新人事を見て解説していた。
菅首相が、民主党国会議員412人全員参加の挙党態勢を公約しているのとは、裏腹に実際には「脱小沢」の布陣をスタートさせたからである。渡辺代表は、「これで民主党分裂のスイッチが押された」と断定していた。菅直人改造内閣「最長半年の短命政権」という意味である。
「左派政権は、ライバルを殺すまで徹底的にやる」という言葉から想起されるのは、以前にもこのブログで書いたフランス革命期の革命家のマクシミリアン・ロベスピエールである。ルソーを目指したジャコバン派のリーダーだった。ロベスピエールは、晩年の1年間は事実上の独裁者としてフランスを支配し、粛清による恐怖政治でかつての同志をはじめ多くの反対派を断頭台に送り、「ルソーの血塗られた手」と呼ばれた。
1794年7月28日、サン=ジュスト、ジョルジュ・クートンらとともにギロチンによって処刑された。私生活は至って質素で、紳士的な服装や振る舞いは広く尊敬を集めた。しかし、あまりにも高潔で純粋すぎたために、利や欲で動く人間を見極めることができなかったのではないかと見られている。
また、ロシア革命のヴォルシェビキ革命家であったレフ・トロツキーは、かつての同志・スターリンから追われて亡命先のメキシコで暗殺された。自宅を要塞化して防衛するが、1940年8月20日、秘書の恋人になりすましたラモン・メルカデルによってピッケルで後頭部を打ち砕かれ、翌日収容先の病院で死亡したのである。
スターリンの「暗殺リスト」に残っていた最後の大物革命家だった。この経緯は、映画「暗殺者」に詳細に描かれている。トロツキー暗殺に先立つ数年間、スターリンは大量粛清している。右派、左派、中道を問わず、「古参ボルシェビキ」をはじめ多くの人間を、権力のライバルとみなし、「見せしめ裁判」と呼ばれる公開裁判にかけて、死刑宣告によってことごとく抹殺した。
日本では、社会党の右派と左派が1955年10月13日、統一したものの、後に激しい路線対立が起こり分裂し、右派から民社党が生まれている。さらに構造改革路線を主張した江田三郎元副委員長(元々は、左派社会党出身、江田五月前参院議長の父)は、公明党・民社党との社公民路線によって政権を獲得することを主張した。
これに対して、成田知巳委員長らが日本共産党をも加えた全野党共闘を主張し、江田三郎の主張を聞き入れなかった。しかし、江田三郎は1976年、社公民路線を推進するため、公明党・民社党の実力者とともに「新しい日本を考える会」を設立する。
だが、これが社会主義協会系の活動家たちの逆鱗に触れることとなり窮地に陥る。1976年総選挙では落選、1977年の党大会では社会主義協会系の活動家たちからつるし上げられるなどした江田は社会党改革に絶望して、同年離党し除名となった。その後、菅直人とともに社会市民連合(社会民主連合の前身)を結成し、その年の参議院全国区選挙への立候補を表明した。
しかし、参議院選挙直前に肺癌のため急逝し、代わりに息子の江田五月が急遽出馬して、第2位で当選した。江田三郎は、革新系政治家のなかでは、最も桃群を抜いて国民的人気を得ていた。このため、自民党の田中角栄元首相は、江田三郎をもっとも恐れていたという。今回の民主党代表選で、田中角栄の直弟子である小沢一郎前幹事長と江田三郎の直弟子である菅直人首相(江田五月前参院議長が選挙対策本部長を務める)が激突したのは、極めて因縁的である。
さらに、極左暴力集団で思い出すのは、赤軍派の軍事組織である中央軍と革命左派の軍事組織である人民革命軍が統合し、統一された「赤軍」(統一赤軍)として7月15日付で生まれた。赤軍派幹部の一人・森恒夫は、初めから党の統一を志向していた。だが、獄中の日本共産党革命左派神奈川県委員会議長であった川島豪らが、強く反対したため「連合赤軍」に改称された。両派は1971年12月上旬、南アルプスで初の合同軍事訓練を行った。
しかし、その場で両派は、対立し始めた。主導権争である。それでも、両派は、お互いの批判を受け入れ、表面上は友好ムードの中でこの合同軍事訓練を終えた。連合赤軍は拠点になる秘密基地を作るために、関東地方の山岳地帯へ移動を開始、森は毛沢東に倣って「長征」と称していたという。そして、軍事訓練と称した集会を開始したところ、たちまち内ゲバが始まり、組織は崩壊に向かって転落して行った。
このように、日本の左派陣営内でいざ対立が起こると、結末は、いずれも悲惨である。対立は、イデオロギー、革命路線、ヘゲモニー(主導権)争いなどがの原因となっていることが多いだけに、一旦激突し始めると、妥協を許さず、最後は「殺し合い」に行き着くのである。単なる利害得失であるなら、調整は可能なのに、それができない。
そこで渡辺代表が、「これで民主党分裂のスイッチが押された」と断定していた言葉が、ますます現実味を帯びてくるのである。菅首相は、小沢前幹事長の腹の底をよく読み取り、覚悟を決めて、「脱小沢」に徹して改造内閣を行っている。小沢前幹事長の腹の底とは、言うまでもなく「民主党分裂」である。
いまの民主党は、嫁姑の喧嘩、いさかいよりも深刻であり、もはや関係修復は不可能である。それは、左翼的な菅首相支持派と自民党的体質の小沢前幹事長支持派の根本的体質の違いがあるからである。牛を神聖化しているヒンズー教徒と豚を穢れたものとして食さないイスラム教徒の違い以上の大きな隔たりがあるかも知れない。
こうなると、同じ屋根の下で混在しているわけにはいかない。分裂は不可避である。となれば、次は手順とタイミングてある。手順は「小沢派・小沢支持派が揃って離党→新党設立→公明党→たちあがれ日本、新党改革、みんなの党→自民党の一部との中連立」であり、小沢前幹事長は、すでに手を打っているという。この後は、タイミングを計ることである。ただし、その前に、代表選で敵に走った「裏切り者」を見つけなくてはならない。スパイ防止のためである。
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