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ムネオ日記
2010年9月16日(木)
鈴 木 宗 男
http://www.muneo.gr.jp/html/page001.html
昨年8月30日の総選挙で民主党が圧勝して政権交代し、今日は鳩山政権がスタートした日である。
一年経って、鳩山政権ではなく菅政権になった。国民は政権交代しても自民党政権と変わらないと思っているのではないか。
55年続いた自民党・官僚政治である。この55年のしくみ、流れを変えるには、どうしてもある程度の時間が必要だ。道筋をつけるだけでも2年かかる。まだ1年で結果を出せと言っても、それは無理な話だ。
新しい菅内閣がスタートする。そこでしっかりと、政治は誰のためにあるのか、原点に帰って国民目線で政治主導のレールを敷くことである。
せっかく民主的手続きによって昨年、歴史的な政権交代が出来たのである。この厳粛な事実を大事にしなければいけない。
民主党の国会議員には「俺が政治家だ」、「俺が国民のための政治をやるんだ」という気概を持って、これからの政治に責任をもって戴きたい。
今日の東京新聞24面、25面の「こちら特報部」に、「収監直前 鈴木宗男議員語る」「政権交代 まだ魂入らず」「私は生涯政治家」という見出しの記事がある。
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収監直前 鈴木宗男議員語る 政権交代 まだ魂入らず
菅さんポピュリズムの勝利 小沢さん民主救った 自民に将たる器なし
季節はようやく秋へ向かいつつあるが、この人は冬を迎えようとしている。鈴木宗男衆院議員。先月、議員在職二十五年の表彰を受けたが、今月七日、あっせん収賄事件などについて最高裁が上告棄却。間もなく収監される。刑期満了後も公民権は五年間停止だ。民主党代表選では小沢一郎前幹事長を応援したが、敗北した。逆境の中、いま彼の目には人生の舞台である政治がどう映っているのか。 (出田阿生、秦淳哉)
「可視化議連に出るのも、きょうが最後でしょう」。15日午前、衆院第二議員会館の会議室。鈴木議員は民主党の「取り調べの全面可視化を実現する議員連盟」の会合に出席していた。
「司法の危機。なぜ(民主党代表選がある)この時期(に自らの事件について最高裁の上告棄却)だったのか」。この席でも、検察批判の“ムネオ節”がさく裂した。
上告棄却後、弁護団は異議申し立てをしたが、過去に認められた例はなく収監は秒読み。だが、まだ現職議員である。
民主党代表選では小沢陣営の「応援団」を務めた。その結果については「予想通り」と話す。
「菅(直人首相)さん圧勝に見えるが、中身は違う。党員・サポーター票は、菅さんが13万8千、小沢さんが9万票。6対4の差しかない」
「菅さんの勝因は現職の強みとメディアで連日、世論調査の数字を流されたアナウンス効果。ポピュリズムの勝利だ。9年前に(自民党総裁選で)小泉(純一郎)さんが勝った形に近い」
さらに「小沢さんは民主党を救った。(代表選で)自民党の新役員なんて吹っ飛んだ」と付け加えた。そう語りつつ、“小沢勝利”後の衆参両院のねじれ解消に動いていたことも示唆した。
「小沢さんによる政界再編は全くない。目指すのは党の改革でしょう。だけども、もし小沢さんが勝っていたなら、その際は参院や衆院の自民党から、民主党に来てもいいと私に言っていた人たちはいた」
応援団とはいえ、小沢氏とは因縁浅からぬ仲だ。1983年、中川一郎元農相の急死を受け、当時秘書だった鈴木議員は旧北海道5区からの立候補を決断。だが、一郎氏の長男昭一氏が後継として自民党の公認を得たため、無所属での出馬を余儀なくされた。「鈴木の公認は認めない」。一貫してそう主張したのが当時、自民党総務局長だった小沢氏だった。
「政治家鈴木宗男の育ての親は金丸信(元副総理)。同じく金丸さんを師と仰ぐ小沢さんが、私を公認しろという師の要求をはねつけた。しかし、客観的には賢明な判断。その時、彼をなかなかの人物だと思った」。本音か否かは分らない。だが、「政治家鈴木宗男」はそう言い切る。
古巣の自民党については「今は将たる器の人がいない。発信力、オーラを感じる人がいない」と関心が薄そうだった。与党育ち。権力の魅力も怖さも知り尽くしている。
その権力を民主党が奪ってから丸一年。秘書時代から41年を永田町で生きた彼の目に民主党政権はどう映るのか。
「政権交代はしたが、魂が入っていない」
(24面)
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私は生涯、政治家
機密費 沖縄知事選に回した 官僚支配に戦前のにおい 権力より声なき声を
政権交代後、鈴木議員は民主党と与党会派を組んで活動してきた。中でも力を注いできたのが、官房機密費の追及だ。
今年7月には、98年の沖縄県知事選で、当時の小渕政権が普天間飛行場移設方針に沿う稲嶺恵一候補の応援に官房機密費から3億円を回したと発言した。これに対し、当時官房長官だった野中広務氏は「支出の事実はない」と反論した。
鈴木議員は「この発言の後、野中さんと直接電話で話した。当時、小渕恵三首相は『沖縄はカネがかかるな。官邸の機密費で足りなければ、外務省から来ている金があるから』と言っていた。外務省からの金とは20億円とも言われた報償費。その言葉をあなたも聞いたはずだと野中さんに言うと、野中さんは『ああそうだな』と認めた」と再反論する。ちなみに、本誌の取材に対し、野中氏は再び「そんな話はしていない」と全面否定した。
その沖縄との因縁も深い。かつて米軍の砲撃演習場を自らの選挙区に移した一方、辺野古移設に奔走した。いまは一転、「辺野古の美しい海をコンクリートで埋めてはいけない」と訴える。
「前首相の鳩山(由紀夫)さんが(辺野古移転の)従来案に戻ったのも外務と防衛官僚に丸め込まれた結果」と語る。「菅さんは草かんむりが取れて、(官僚の)官さんになってしまった」
その官僚政治の打破のため、近年は衆院に提出された全議員分の半分を占める質問主意書を連発してきた。だが、かつては官僚と“蜜月”だった鈴木議員がなぜ、いま官僚批判に熱心なのか。
その理由を彼は軍国主義へ転げ落ちた戦前とおなじにおいをいま、社会に感じるからだと説く。
「昭和5(1930)年以降、独り善がりの正義感に取りつかれ、情勢認識を誤った軍事官僚とそれを後押しした民衆のポピュリズムにより、日本は軍国主義へと傾倒した。いまも一部官僚の動きと、小泉政権を生んだポピュリズムをみれば、そうした危険がよみがえっているといえる」
ただ、そうした認識を持ちながらも、鈴木議員は国政の表舞台からは公民権停止期間も含め、6年以上、姿を消さざるを得ない。若い政治家たちに何を求めるのか。
「今の若い政治家は偏差値は高いが、地頭の良くない人が増えた。東大出は襟裳灯台より役立たない」と冗談交じりに評する。2006年に起きた民主党議員による「偽メール事件」を例に「そもそもメールなんていいかげんなもの。そんなものに引っかかる」という。
時代は変転する。02年の逮捕で権力中枢から追放された。いま、彼の肩書には「死刑廃止を推進する議員連盟」「(冤罪の可能性が指摘される)袴田巌死刑囚救援議員連盟」などが並ぶ。いわゆる「人権派」に転身したように言われる。
「自分は変わったつもりはないが、権力に取りつかれていると見られたこと自体が私の間違いだった。権力側にいた時は前しか見ていなかった。逮捕後は横や後ろを見て、声なき声を受け止められるようになった」
15日も国会議員会館の彼の部屋には、支援者が次々訪れていた。間もなく刑務所に入る。覚悟を聞くとこう答えた。
「(受刑中は)毎日が修行だと思って、新しいスズキムネオをつくりたい。8年前は極悪人扱いされたが、今は大勢の人が激励してくれる。議員資格があろうがなかろうが関係ない。私は生涯、政治家ですから」
(25面)
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ご一読戴ければ有難い。
本日、最高裁判所第一小法廷より、先週の10日金曜日に行った異議申し立てに対する回答が届いた。それに対するコメントを報道機関に送ったので、以下掲載したい。
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平成22年9月16日
関係各位
本日、異議申立て棄却の通知が届きました。その内容は「異議の申立てがあったが、この申立ては理由がないので、裁判官全員一致の意見で本件申立てを棄却する」というものでした。
今月10日に異議申し立てをし、15日付けで棄却になっていますが、現在、刑事事件に関しては日本一の弁護人といわれる弘中惇一郎先生、佐藤博史先生が憲法、法律に基づき異議申立てをしましたが、わずか5日間で門前払いされるという扱いに驚いております。本当に日本は法治国家、民主国家かと、自問自答しています。
これからの手続きは弁護士先生にお任せしております。後援会はじめ激励戴いた、選挙区はもちろん、全国の心ある皆様には、このような結果になり申し訳なく、心からお詫び申し上げます。同時に、どのような状況になろうとも、支えて戴いている皆様、信じて戴いている皆様に、心から心から感謝申し上げます。
新党大地代表
鈴木 宗男
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