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マスコミの勝利とネットの敗北 - 菅直人に散見される躁と鬱の病理-世に倦む日日
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菅直人の躁と鬱_1
昨夜(9/15)の報道は、政府・日銀による為替介入が主要なテーマだったが、どのテレビ局もそれを「サプライズ」だと激賞し、円安に振れた状況を「成功」だと報じている。鼻白む提灯報道。菅政権はマスコミの傀儡政権なので、菅政権の政策については何をやっても百点満点の評価を与えて報道する。過去にも何度か為替介入のニュースを見たが、宮沢喜一が同じように介入で為替を数円だけ円安に戻しても、誰も「サプライズ」だの「成功」などと追従は言わず、冷笑して「無駄な努力」と「市場の逆襲」を言い捨てていただけだった。偏向キャスターの看板がすっかり定着した感のある大越健介は、昨夜(9/15)のNW9の中で、介入でこれ以上の円高を食い止めている間に、法人税減税で企業に利益が出る仕組みを政府は作れと言い、法人税減税の早期実施を要求していた。
大越健介の説明では、法人税減税を遅らせると、企業が海外に出て国内の雇用が失われるのだと言う。これは経団連の脅迫の論理の口移しだが、法人税減税の財源はどうするのか。大越健介は、子ども手当など鳩山マニフェストで掲げた国民生活の政策については、二言目には財源が無いと言い、財政悪化を招くのでバラマキは止めろと言うが、企業に減税するバラマキについては財源の問題は何も言わない。法人税減税は消費税増税とセットの政策だが、これを公共放送が政府に要求できる民意の根拠は何なのか。7月の参院選で、国民は消費税増税をどう審判したのか。
菅直人の躁と鬱_2
テレビ朝日の一色清の方は、代表選後の党人事の報道で、挙党態勢か反小沢かで菅直人がジレンマにあるという状況説明を軽くした後、「菅さんは挙党一致に無理に拘らず、強いリーダーシップを発揮するべき」と述べ、挙党態勢は捨てて、反小沢路線を貫徹した人事と政策で政権運営するように督促した。すかさず古舘伊知郎が側面支援して、「ノーサイドなんてスポーツの世界だけの話で、政治の世界では綺麗事ですよね」と押し固める。昨夜のキーメッセージだった。映像で登場した田崎史郎は、「幹事長人事で小沢派に妥協したら、菅政権の支持率はすぐ10%下がるだろう」と、警告ではなく脅迫を言っていた。それにしても、今回は特に顕著だが、菅政権は人事情報がマスコミに筒抜けで、途中経過までザルのように漏れ伝わる。
川端達夫の拒絶理由とか、岡田克也と前原誠司の敬遠理由とか、これほど刻一刻の裏情報が詳細に表に出るのは異常だ。寺田学と仙谷由人が流している。情報を流しながら、挙党態勢を崩して反小沢で固めることを既成事実化する策謀だが、もう一つ理由があるだろう。マスコミと一心同体で権力を操縦することが、菅政権を最も安定と成功に導く運営方法だという「成功法則」があり、それに依拠し信仰しきっている。昵懇の記者には隠さず全て喋り、そのまま報道させる。マスコミは菅政権を悪くは言わない。逆にマスコミに情報を隠すと、マスコミの不興を買い、報道で仕返しを受ける。寺田学はマスコミの飼い犬と同じだ。
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今回の代表選を振り返って総括を試みるとき、やはり、あらためて「マスコミの勝利」の意義を痛感させられる。菅直人の圧勝はマスコミの圧勝に他ならない。結果はマスコミの世論調査どおりとなり、小沢一郎支持で傾いていた議員たちを強引に説得し、半ば脅迫し、次の選挙で勝たせないぞと威勢を示し、議員たちの投票を小沢一郎から引き剥がすことに成功した。想起しなければならないのは、7月の参院選の異常な報道で、あのとき、特に2人区で立候補した小沢系の新人候補に対するマスコミの罵倒と迫害は常軌を逸するものだった。石を投げろとテレビ(古舘・星・与良)が煽っていた。民主党の候補は、小沢派か執行部派かの色分けがテレビで周知徹底され、小沢派候補には投票しないように有権者に呼びかけがされていた。
その生々しい報道の様相は、誰の議員の脳裏にも深刻に刻みつけられている。衆院が解散され総選挙となったとき、次は自分が同じ目に遭うのだ。「有権者が恐い」のではなく、「マスコミが恐い」のが真相である。そして、今回、代表選の情報戦は、少なからずマスコミvsネットの対立構図となった。マスコミの世論調査が圧倒的に菅直人支持を出していたのに対して、ネットの世論調査はその逆の数字を出し、小沢一郎に対する期待の大きさを示していた。どちらが正しいのか。マスコミの世論報道の信憑性を疑う者は、9/14の結果がネット世論の正しさを幾許か証明することを期待したが、蓋を開ければ、結果の神はマスコミ側に明確に軍配を上げた。
菅直人の躁と鬱_4
この結果、ネットの世論調査の信憑性は否定され、一般の信用を失い、単なる趣味的世界の一部情報としての評価が固まったと言える。このことは、ポータルサイトが提供する世論調査の評価のみに止まらず、ネットの政治言論の全般が説得力を失い、地盤沈下を余儀なくされたことを意味する。本来、ネットの言論はマスコミの虚偽と詐術を暴露し、マスコミ権力の情報支配そのものに対する批判と監視の役割を持つと自負していたはずで、その自意識、すなわち自らの方が真実と正義に近いとする自己主張は、まさに事実によって、マルクス的に言えば実践によって正当性が証明されるべきものだった。ところが、事実はマスコミの報道の正しさを証明し、ネット勢力の反論と抗議の誤りを証明してしまったのである。われわれはこの事実を率直に認める必要があるし、敗北した位置から、謙虚にネット言論の説得力を立て直す努力をしなければならない。
党員サポーター票は除外せよだとか、集計に不正があったなどと、殊更に陰謀論的な言辞を振り回して虚勢を張るのは無意味だ。投票日直前、ネットの中は根拠のない「小沢勝利確定」の流言飛語に沸き、デマを撒き散らしながらデマに踊って狂喜乱舞する一団の姿があった。愚の骨頂。ネタのレベルでの自己満足で止まるから、ネットの言論は言論として社会的に確立できないのである。マスコミの狂気と倒錯を衝くのなら、われわれがどこまでも理性と知性に即かねばならない。ネット言論への一般の信頼をどう回復するか。そこにコミットする者の責任と課題は重い。
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ネットの小沢信者たちがデマ情報に陶酔惑溺し、乱痴気騒ぎの「前夜祭」を繰り広げていた頃、政治の現場では親小沢派が切り崩され、怒濤の勢いで寝返りが起きていた。政治の言論は趣味で行ってはいけない。ウェーバーを読むことだ。一方、マスコミの側は勝ち誇り、自信を持ってこの国の権力者として君臨することを宣言し始めている。この戦いが関ヶ原の合戦であることは、菅直人だけでなくマスコミも同じで、あれほど菅優勢と書き、世論は圧倒的に菅支持だと報じながら、菅直人が敗北した場合はマスコミの立場がなかった。マスコミの威信が一気に失墜し、政治報道の説得力を失い、従来のような世論調査の乱発とそれによる大衆操作は困難になっただろう。
何より、6月から8月までの官房機密費の使途が暴露され、暴露されなくても暴露するぞと小沢政権に脅され、マスコミは小沢一郎の前で青菜に塩の状態になったに違いない。マスコミは権力を失っていた。現在、マスコミは勝利の快感に浸っていて、ほとんど忘我したような精神状況にある。特に与良正男に異常が甚だしく、平素でもすぐに興奮してエキセントリックな言動で画面を埋めるが、今回、大量のアドレナリンが脳に噴出充満して手がつけられない狂躁状態になっている。ゲッペルスたちの望月の世が続く。ゲッペルスたちの小沢弾劾報道は、この勝利を機にさらに嗜虐性を強めていて、教室のいじめのようなサディズムの衝動が蔓延している。弱い者を弄り回していたぶるような行動心理を検出できる。ナチズムをサディズムの視角で分析したフロムの理論が想起される。
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そうした人格心理的な角度からの関心を言うと、菅直人の最近の表情や態度というのも、何か尋常でないものを感じる。理性が壊れていると映るのは、私だけの偏見だろうか。まず、昔と較べて顔が変わった。どう変化したか精確な描写は難しいが、昨年までの菅直人と較べて別人格の容貌が漂う。それと、代表選の演説のときの手の振り方が粗暴乱雑で、壊れた機械が暴走しているような勢いで手を振り回している。見苦しくて、聴衆への説得を補助する視覚効果になっていない。何だろうかと不審に思う。指導力不足が言われ、「強い指導力」の演出が必要だと助言され、必死でアピールしようとしたのだろうか。小沢一郎と較べて中身がプアな演説内容を視覚的に攪乱させ、演説の比較評価を際立たせないようにしようと意識したのだろうか。
そうした効果の計算とか動機の気配も察知できるけれど、それ以上に、もっと本源的で身体的な原因と言うか、手の振りの暴走が「脳の異常」に起因しているように思えて仕方がないのである。野党政治家の菅直人は、理性と論理での論戦が得意で、相手の主張全体の矛盾を衝き、破綻させて論破する攻防が印象的だった。防戦に回ったときは詭弁で逃げたが、詭弁を詭弁と自覚する理性は持ち合わせているように見えた。現在は、一から十まで嘘の皮ばかりで、官僚言語による官僚政策の官僚説明に徹している。これは、野党時代に菅直人が批判の対象にし、論破の対象にしていたものだ。頭の中で自己の詭弁と変節を理解納得し、役割演技の欺瞞を続けても、身体でそれに拒絶反応する心理作用があるのだろう。その心理的抑圧が、「顔が変わる」という形で表出しているのではないか。
つまり、病的なのだ。菅直人を見る苦痛は、人間の変節と欺瞞を見る苦痛であるけれど、それと同時に、一人の男の精神の病を見る苦痛なのに違いない。心理学とか精神分析の領域については、私は無知で何も言える資格はないが、健康な人が少しおかしくなり、いわゆる躁鬱病を医師に診断されるときの変化とは、こういう症例を指すのではないか。
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