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アルルの男・ヒロシです。民主党代表選挙が終わりました。
懸念していたとおり、小沢一郎が菅直人に大差を付けられて敗北した。この結果を数日前から私は予想してツイッターでもつぶやいた。しかし、それでも小沢一郎の政治改革の理念に賛同して応援を続けてきた。
この代表選挙で勝利したのは誰か。それは既得権益者である。即ち、日本の真の支配者である太政官(だじょうかん)たち、高級官僚とそれに群がる大新聞、マスコミである。太政官たちをコントロールしているアメリカのジャパン・ハンドラーズたちも勝者である。
数日前から懸念していたことが確信に変わったのは、日曜日の日経新聞に来月下旬にCSIS主催の日米安保シンポジウムが予定されていることが告知されたからである。このシンポの顔ぶれは6月中旬にワシントンで新安全保障機構(CNAS)の日米安保50周年シンポに集結したアメリカのジャパン・ハンドラーズ、そしてその手先どもとほとんどまったく同じである。
安保改定50周年、どうなる日米関係 米csisとシンポ 10月19日、東京で :日本経済新聞 http://s.nikkei.com/9hRocA
おそらく私はブラックリストに入っているのでこのシンポジウムには参加できないだろう。だが、もし当選したみなさんがいれば、アメリカの手先の顔つきをよく観察してきてください。
さて、私は週末に地方に講演に出かけていた。その時に訪れたのは岡山市だった。岡山は江田五月の号令のもと、姫井由美子議員を除く、全衆参両議院が菅直人に投票したようである。その中でも柚木みちよしという議員は「小沢支持者」までを批判したそうだ。岡山には橋本竜太郎という名政治家が居た。厚生族の橋竜がいたからこそ、菅直人厚生大臣は薬害エイズ追及が出来たという声もあるくらいだ。江田五月は参院議長時代にデイヴィッド・ロックフェラーの来日に合わせてわざわざ面会に行った男だ。社会党の江田三郎の息子だが、最近は弁護士あがりの仙谷官房長官同様に、恐ろしい顔つきになりつつある。
私はツイッターなどで小沢一郎は出ない方がいいと何度か述べた。代表選挙の推移を見守る中でも「小沢はまんまと引きずり出された」と述べた。私は、選挙予測を良く外すのだが、今回は当たってしまった。
私が小沢が待つべきだとした理由は、「マスコミ世論」の動向である。マスコミ世論が真の国民世論かどうかはこの際置く。そもそも世論というのはつくられるものなのであるから、世論(public opinion)を云々することにあまり意味はない。『世論』という題名の本を書いたのは、第一次世界大戦時の戦時プロパガンダを担った、ウォルター・リップマンというアメリカのジャーナリストである。世間ではリップマンが立派な人物と言うことになっているが、この男はとんでもないワルである。リップマンは『世論』の中で「合意の製造/捏造」は可能である、と述べている。今、マスメディアが意図的な報道で行っていることは、まさにその「マニュファクチャー・オブ・ザ・コンセント」(合意の捏造)である。だから、マスコミのことを考えれば、菅直人が確実に政権運営に行き詰まる、年末まで小沢の側近達は待つべきだった。
それでも小沢陣営の国会議員の奮闘は特筆に値するが、問題は「小沢四天王」と言われた、松木謙公、樋高剛などの国会議員である。彼らは前回の民主党代表選挙でも、一年生議員らがホイホイと騙された結果、擁立した、松下政経塾の樽床伸二を担ぐことに同意してしまっている。同じく、北海道の三井弁雄なども同様に戦略眼が無かった。
立派だったのは、鳩山派の鹿児島の川内博史である。それから、新潟の森ゆうこ参議院議員や群馬の三宅雪子議員、石川の田中美絵子議員らも立派に動いていた。岩手の階猛(しなたけし)も立派である。
そもそも川内の努力によって党内にどれだけの小沢派が存在したのかはすでに分かっていた。それは鳩山政権崩壊直前に結成された、百数十人の普天間基地の県外・国外移転を求める議員署名である。これは一種の模擬投票になっていたので、これで小沢一郎であれ、誰であれアメリカに対等関係を求める側が劣勢なのは分かっていた。
代表選を通じて明白になったことがある。それは菅直人首相が、やはり市民運動家のレベルを出ない政治家だったということが露呈したことだ。菅首相は、演説で小沢一郎の演説の表現やアイデアに「抱きつき」、それを剽窃した。今日の最終演説では30秒にも渡って、民主党所属の国会議員が所属する職種をハローページ(職業別電話帳)のように列挙し、それで「適材適所。412人内閣を作りたい」という言葉を吐いた。これはさすがにひどいと全国のテレビの前のノンポリの有権者が思ったはずだ。
このままでは菅直人政権は予算を通せず行き詰まる。自民党やみんなの党、公明党まで全ての野党が菅政権を追いつめていくだろう。パーシャル連合で行くよりも彼らは早期の解散総選挙を目指すはずだ。小沢一郎であれば公明党との連立政権を実現し、自民党やみんなの党が追及を続けるものの、法案が通らない内閣にはならなかっただろう。
残ったのは菅民主党、そして自民党である。「ハローページ内閣」と「みんなでやろうぜ影の内閣」だ。実権を握るのは官僚である。責任を取らない官僚である。菅直人に投票した議員たちよ、そのことが分かっているのか?小沢一郎を熱心に支持した草の根の有権者たちは、「もう金輪際、菅直人や前原誠司が支配する民主党には投票しない」と決意しただろう。私もその1人だ。
前原誠司・沖縄大臣は、「小沢が出るなら俺が出る」と代表選告示前に菅直人を恫喝した。長島昭久、岡田克也とともに、前原も来月の日経シンポに登場する。前原を国交大臣にしたのは鳩山由紀夫前首相の責任である。国土交通大臣の職掌を理解せずに官僚の人事案に同意したのだろう。
今回、代表選を回避すべく仲裁に回った、鳩山はやはり政治家向きではない。このことを5月に続いて確認した。小沢政権になれば、鈴木宗男が重用されると一週間前まで思っていたが、その時は、鳩山もロシア外交で重用されるはずだったろう。しかし、鈴木宗男は代表選前の9日に、最高裁(証拠調べもろくにしなかった)に上告棄却され、政治生命を絶たれた。この際、鳩山を重用することは日本外交を混乱させる可能性が高い。これは本人の善意の問題ではなく、能力の問題である。まさかとは思うが、鳩山本人がこの展開を仕組んだのかもしれない。8月30日の深夜の菅と鳩山の共同会見は、秘密会談のあとに、双方が記者団に会見を開いたものであり、明らかに不自然だった。私と一緒にテレビを見ていた編集者も「あれは何か変だ」と言っていた。
だから、小沢一郎は負けることを覚悟で出馬したのでなければ、やはりマスコミと官僚組織の餌食になったのだ。これを西南戦争と表現する論調があった。まさにその通りで、不平士族の怒りを一身に背負って、官軍(菅軍)に立ち向かった小沢一郎軍団は惨敗した。それだけ日本のエスタブリッシュメントの壁は厚かったということである。何しろ1300年続いた律令制度である。骨の髄までそれが日本人のDNAに染みついている。イギリスの清教徒革命、アメリカの独立革命などのような市民革命を日本はまだ経験していない。それは律令官僚が国家を今も動かしているからだ。小沢一郎はそのことをしっかり意識しており、記者会見でも「太政官」という言葉を使ったという。だから明治維新のやり直しではなく、これは日本の国家そのものの変革であった。だから既成権力の抵抗はものすごい。そのことをもっと日本人の多くが知るべきだった。
小沢一郎は日本は普通の国になるべきだと唱えた。それは「正常な国」「まっとうな国」という意味であり、近代主権国家のウェストファリア体制における、国家対等の原則である。それはどこの国家に対しても平等であると言うことで、アメリカに対しても、中国に対しても日本は対等であるという意識を持つと言うことであった。だから小沢一郎は親米や反米を超えた本当の意味での国民政治家だったのである。
私は岡山の講演会の帰りに新幹線でツイッターを眺めながら、江藤淳の『南洲残影』(文春文庫)を読んでいた。この本は西郷隆盛と官軍(山縣有朋)との戦いを江藤氏が追想するという珍しい種類のエッセイである。その内容は、今の時代に通じるものがある。維新(政権交代)を成し遂げた官軍の権力闘争ということもあるが、民草の声を無視して暴政を行おうとする姿勢は昔も今も変わらない。私は司馬遼太郎の小説を読んだことはほとんど無いが、少なくともあの「坂の上の雲」に描かれた近代日本とやらを手放しで賞賛する気にはならない。
その江藤だが、『南洲残影』の中で以下のように不思議な予言めいたことを書いている。
(引用開始)
私の脳裏には、昭和二十年(1945)八月末日、相模湾を埋め尽くすかと思われた巨大な艦隊の姿が甦って来る。日本の降伏調印を翌々日に控えて、敗者を威圧するために現われた米国太平洋艦隊の艨艟(もうどう)である。(中略)その巨大な艦艇の幻影を、ひょっとすると西郷も見ていたのではないか。いくら天に昇って星になったと語り伝えられた西郷でも、未来を予知する能力があったとは思われないというのは、あるいは未来の合理主義者の賢しらごとかもしれない。人間には、あるいは未来予知の能力はないのかもしれない。しかし、国の滅亡を予感する能力は与えられているのではないか。その能力が少なくとも西郷隆盛にはあり、だからこそ彼は敢えて挙兵したのではなかったか。
江藤淳『南洲残影』(50頁から)
(引用終わり)
ご存じの通り、「坂の上の雲」を目指してイギリスの手先をやってきた大日本帝国は、途中で天狗になって当時の先進国である英米に無謀にも挑戦した。西郷は薩長の維新の中心人物であるから、日本がイギリスと手を結ぶことで、イギリスと属国契約を結ぶことで自らを守ってきたことは知っていたはずである。それで、イギリスと結んだ維新内閣に対して決起した。
小沢一郎も同じである。小沢はもともとは『日本改造計画』の出版に当たってアメリカの支持を得た。にもかかわらず、政権交代を成し遂げた後は、“見かけ上は”反米のスタンスを取るようになった。
小沢は代表選の演説の中で「このままではこの国が危ない」と何度も訴えた。具体的政策も理に適ったものだったが、それよりも重要なのは、小沢が民主主義国家の基本原則を何度も訴えたことである。すなわち、政治家が国民の代表であり、官僚はその政治家のグランドデザインを実行するという主張である。官僚を排除するのではなく官僚を上手く利用し、最後は政治家が責任を取るというまさに教科書のような主張である。この民主主義の基本を菅に投票した一年生議員はどのくらい理解していたか。(これを知りたければ、故・小室直樹先生の『田中角栄の遺言−官僚栄えて国滅ぶ』クレスト社を読んで欲しい)
だから、この国は菅内閣を続投させることで、確実に無策の、官僚主導の、国家戦略無き、国家として確実に衰退していく道を選んだことになる。この国の指導者はどこまでもアメリカにベタベタとくっついていくことで自らの安全が守れると考えた。世界はアメリカ以外の国々が台頭している。いつまでも米国型の国際関係論が通用する時代ではなくなっている。もっとむき出しの国家の生き残り合戦が始まった。日本は資源を外に依存している。その点でアメリカとは違う。日本は中国と隣どおしである。その点でもアメリカとは違う。
アメリカのネオコンは防衛ロビーの利益のために中国を刺激するような安全保障政策を立案すればすむだろう。しかし、日本はそうは行かない。今回起きているような尖閣諸島や離島における領土問題がこれから次々と発生する。これを解決するには囲碁の手を読むような手腕が必要である。今の菅直人内閣の閣僚にそれはできない。仙谷官房長官は中国側を刺激しており、着地点も用意しているとは思われない。
これでは国の将来が危うく、過激化した若者層(ツイッター画像で「日の丸アイコン」を付けている)はますます過激な右翼に接近していくだろう。日本会議系の国会議員は民主党にもいる。その点で仙谷・前原以下のネオコン民主党議員を私たちは監視しなければならない。
同時に、この景気低迷の中、財政出動をしない、法人税減税と消費増税をセットでやり、官僚の既得権を温存する政治家を次の選挙で確実に落選させなければならない。その焦土から次の日本の国民政治家が誕生する、小沢一郎の屍を越えていける政治家だけが次の国民政治家になれる。今はそのように願いしかない。
そうでなければ、官僚の後ろ盾がなければ存続し得ない、戦前の「鉢植え内閣」が連続し、そのうちに日本は統制国家経済に突入し、また「いつかきた道」を歩んでいくだろうから。
臥薪嘗胆。
アルルの男・ヒロシ拝
http://nekotomo.at.webry.info/201009/article_4.html
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