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民主党の代表選が終わった。結果は、ご存知のとおり、菅直人の続投、小沢一郎の敗北である。小沢一郎が、選挙期間中に、約束をしてくれていた地方への一括交付金の実施や、円高を活用しての海外への20兆円規模の投資、それから、記者会見のオープン化(記者クラブの無力化)など、仮に、小沢政権が誕生してくれていたら、この閉塞感だらけの日本に、どれだけ新しい風を起こしてくれるか、本当に期待をしていたのだけれども、残念な結果である。
しかし、昨年の政権交代以来、確実に、今、進んでいる日本の地殻変動が止まるはずもなく、むしろ、今回の小沢一郎の代表選出馬で大きく前進をしたと思う。振り返ってみれば、たとえば、三年前であれば、これほどまでに、検察や、マスコミのいかがわしさに気づくこともなかったし、まさか、アメリカが露骨なまでに日本に内政干渉をしてきていることも、官僚権力がここまで強大であることも、私を含め、ほとんどの人が知ることはなかったのではないだろうか。
今になってみれば、鈴木宗男議員が収監されるというニュースを聞いて、かなりの人が、「宗男さんは悪い人なの?本人が検察と戦うと言っているからには、検察の捜査がおかしいのではないか?」と、ちょっと立ち止まって、考えるようになったと思うし、小泉・竹中の経済政策を厳しく批判して、りそな銀行国有化をめぐる自民党のインサイダー取引を暴露した植草一秀氏が、痴漢ということで、逮捕され、本人は、「国策逮捕だ」ということに対し、どれほどの人が耳を傾けたであろうか。
しかし、今では、「国家権力はそれぐらいするかもしれないな」と、考える人が、かなり増えたことだと思う。いまや世論は大きく変わりつつある。政権交代後も、鳩山前首相が、首相の座をかけて、取り組んできた普天間問題の騒動を経験したことで、「日本はアメリカの属国なんだ」ということを、リアリティをもって、認識した人は多かったと思うし、今回の代表選を通じて、小沢一郎が積極的に、生放送で、長時間話せる番組にしぼって、テレビで自分の政策や、理念を語ったことによって、「今までマスコミはボロクソに叩いてきたけども、 小沢さんは、まっとうな、素晴らしい政治家じゃないか。むしろ、菅さんのほうが、中身は空っぽじゃないか」そういう声が徐々に、世論に浸透していったと思う。
そして、マスコミがヒステリックに世論誘導を繰り返せば繰り返すほど、国民の反発は強くなってくる。結局、マスコミは嘘ばっかりついて、自分たちこそが、官僚とも癒着して、利権にずぶずぶなんじゃないかと。いよいよそこに気づいてくる。
そして、大きいのがインターネットの力である。インターネットは、それまで、権力側に牛耳られていた情報へのアクセス権限を国民にも開放し、ツイッター、ブログを通じて、国民の間で、情報を共有できるようになった。
これは私たち日本人にとっては、歴史的な変化である。明治維新以来、日本においては、マスコミは常に権力の側にいて、国民をコントロールする手段として使われてきた。正力松太郎、ナベツネの例を持ち出すまでもなく、なぜ、マスコミ界の要人が、政界と密接な関係にあるか、ということである。
日本人は、どうしても、「お上」の言うことを、疑問を持たずに、そのまま受け取ってしまう性質がある。そこに、さまざまな角度の考え方をできるようになったのは、インターネットの登場によるところが大きい。「何が本当なのか?」「何を信じていいのか分からない」そのような戸惑いの声をよく聞く。しかし、それはまっとうな変化の兆しかもしれない。
私たちは、教科書に書いてあることや、マスコミの言うことを鵜呑みにしすぎていて、自分の頭で考えるトレーニングを怠っていたのではないか。インターネットを通じて、たくさんの情報を得ることができるようになって、自分の頭で考えて、何が正しいかを判断する。それが、21世紀に生きるわれわれが直面している大きな文明的な変化ではないかと、思う。
さて、結局、小沢一郎自身については、彼はこれまでずっと一貫して、言ってきたこととして、日本に民主主義を定着させるためには、そもそも国民自身が、自分の頭で考えて、自立しなければいけない。このことをずっと言い続けてきている。
政権交代についても、国民が参加する形のものでないと成功をしない。この本質を、小沢一郎はずっと前から見抜いてきた。だから、インターネットを通じて、国民の議論が盛んになったり、彼自身の理念や、政策が国民に直接届くことで、多くの日本人が、この国の将来と今を、真剣に考え始めた、ということは、何より小沢一郎の本意とするところではないか、と思う。
それは、首相になるなど、ということよりも、はるかに政治的な価値を持つ。大きな革命である。田中角栄や、西郷隆盛でさえも成し遂げることのできなかった。日本に民主主義を定着させるためのステップである。さて、かつて自民党で権力の絶頂にいた小沢一郎は、冷戦の崩壊を受けて、日本の将来を考えたときに、政権交代を可能な二大政党制を築き、本当の民主主義を行う必要があると。そのように、決意をした。
戦後55年体制は、結局は、社会党が自民党の議席数を越えないように、中選挙区の下、立候補数を制限して、政権交代が起こらないようにしていた。それは、事実上の宗主国であるアメリカの意向でもあった。当時は、冷戦の体制下である。
小沢一郎は、この55年体制をぶち壊すために、海部、羽田などの同志とともに、政治改革法案を成立させ、自らも自民党を割って飛び出し、新生党を立ち上げた。そして、細川連立政権の樹立と失敗。また、自民党に対抗する大政党として、新進党をつくっては壊し、野党暮らしを長くして、民主党との合併後は、本格的な大政党としてつくりあげて、今日に至る。
1993年の「日本改造計画」ですでに小沢は、グランドキャニオンには安全柵がない、という話を持ち出して、日本人は、「自立」した国民になることが、まず必要だ、このことが民主主義を日本に定着させ、「普通の国」として自立するための肝だ、ということを説いている。
だが、当時の日本人からすると、学校教育でも、マスコミ報道でも、「日本は三権分立が守られた、民主主義の国である」というように、信じ込まされてきていた。だから、いったい小沢が、何をいっているのかが、分からなかった。しかし、当時からすでに小沢は、日本に本当の意味での、民主主義は戦後生まれておらず、また、三権分立も守られていない、ということを、権力の中枢にそれまでいて、よくわかっていた。
だから、彼にとっては、孤独な戦いではあったが、「日本改造計画」から17年たって、小沢が伝えたかったことが、ようやく国民に浸透をしはじめたということだろう。また、「日本改造計画」では、小沢は尊敬する政治家として、大久保利通、伊藤博文、原敬、吉田茂の四人を挙げる。
そしてそのうちの三人が暗殺され、吉田茂もボロボロなまでに批判されながら、世を去る、といった事実も指摘している。つまり、小沢は、歴史的な仕事をする政治家は、常に、命の危険も伴い、激しい批判にさらされることもよく分かっていた。だから、「自分の命をかけて」という言葉を、時々、小沢が口にするのは、自らの仕事の危険性を、よく自覚しているからであろう。
だから彼は、マスコミの批判ぐらいでは、動じないのである。さて、これからの政局についてだが、まず、菅政権については、早晩、行き詰まると思う。国会運営が、そもそも立ち行かない。前回のブログ記事 でも書いたが、菅政権の実権を握る官房長官の仙谷由人は、元全共闘のリーダーということもあってだろうが、その権力の掌握手法が、左翼の悪い部分が出ていて、要するに、内ゲバ(左翼特有の内部闘争)で、粛正を繰り返しながら、権力を掌握するという手法をとっている。
一方で、外部との折衝に弱く、それゆえに、菅政権の政策は、「法人税減税、消費税増税、10%一律予算カット」をあげるなど、もはや、自公政権末期の麻生政権とほぼ同じなのだが、自民党や、公明党、それにみんなの党と、今の菅や、仙谷執行部がうまくやれないのは、左翼特有の、排他的な性質によるところが大きいと思う。
まず、そもそも、「ねじれ国会」である。小沢一郎の手腕をもってしても、難しいのに、菅や、仙谷などでは、とてもではないが乗り切れるものではない。そして、彼らは権力掌握のために、内ゲバを激化させ、ただでさえ、代表選期間中も、友党の鈴木宗男代表を国策逮捕批判が強い中、有罪確定をこの時期にしたり、小沢一郎と、青木愛議員に対して、不倫スキャンダルを、週刊誌をつかって、仕掛けたりしていたが、もはや、菅・仙谷執行部との信頼関係は、小沢支持派の議員や、それを支える有権者との間で、崩れつつあり、おそらく年内には、菅政権は退陣に追いこまれ、民主党そのものも分裂し、政界再編が起こると考える。
そのタイミングとしては、12月。政党助成金の支給対象月の締め切りにあわせて、内ゲバの結果、小沢支持派が民主党から分裂して飛び出ると考えている。昨年、民主党による政権交代がいよいよ現実味を帯びてきたときに、自民党系の評論家や、マスコミは、「民主党は『反自民』で集まっただけの、烏合の衆だから、旧・社会党の残党と、旧・田中派の寄り合い所帯がうまくいくわけがない。政権獲得後、早晩、行き詰まり、内部分裂をするだろう」ということをよく言っていた。
それは、現在の状況をみると、半分は当たっていたといわざるをえない。しかし、当時の彼らの見方からすると、55年体制的な、いわゆる「左」か、「右か」という色分けであった。だが、今起こっている政治的な色分けでいくと、「既得権益維持派(対米追従派)」か、「国民派(自主独立派)」かの違いである。
菅直人、仙谷由人、麻生太郎、小泉純一郎らは前者に色分けされるのだろう。そして、小沢一郎、鳩山由紀夫、亀井静香、福島瑞穂、平沼赳夫らは後者に色分けされるのだろう。もちろん既得権益そのものであるマスコミは前者である。幕末の日本が、「開国派」か「尊皇攘夷派」かで分裂したように、戦後ずっと続いてきた既得権益主導の政治を続けるかどうかで、今、日本は割れているのである。
これからおそらく、政界再編が起こる。小沢一郎は、いずれ自民党、公明党とのパイプを使って、野党も巻き込んだ政界再編を仕掛けるはずである。いや、もうすでに仕掛けているかもしれない。
90年代は自民党には、亀井静香や、野中広務という乱世に強い実力派の政治家がいたが、今の菅や、仙谷であれば、とてもではないが、政権与党の座にありながらも、政界再編を仕掛ける力量もないし、野党からの信用もない。だから、菅・仙谷主導で政界再編が起きることはない、と断言できる。
今回の民主党の代表選は、これから起きるだろう、国民まで巻き込んだ、大きな政界再編の嵐の始まりである。その結果、主義主張、政策や理念で色分けされた政党が誕生していくことになる。
そして、私たち国民も、インターネットを通じて、そのプロセスについて、なんらか参加していく形になるのだろう。やはり、民主主義である。これは、「お上」から与えられた政治システムではなく、われわれ国民の手で、つくりあげていくものである。政治は引き続き混乱するだろうが、生みの苦しみと信じて、ここは乗り切っていこう。一番よくないことは、私たち国民が、無関心であることである。
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