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公共事業予算分配で分かる民主党の暴走-民主主義の終焉(疾風怒濤 -非連続線上の飛躍)DATE:2010/02/18(木) 01:14 CATEGORY:鳩山亡国政権
民主党と自由民主党の大きな違いは、国家権力の行使に節度があるかだろう。自由民主党の金権負腐敗には目を覆う部分はあったが、国家権力の行使には極めて慎重であった。
自由民主党には、暴走抑止装置としての「党三役」や「派閥」が存在し、「党三役」や「派閥」による権力の均衡が維持されてきたからだ。自由民主党は、権力が分散している分、互いに牽制しあうことで自浄効果が多少なりとも存在した。また、自由民主党政権と事務次官会議の間に権力の均衡があり、官僚機構内部にも縦割り行政による省庁間の権力の均衡が存在した。そこに限定的な力を有する族議員が存在し、他省庁の族議員と熾烈な競争があり、バランスが維持されてきた。あらゆる場面で、国家権力の暴走が抑止されるシステムになっていた。
しかし、小沢民主党は、党内改革によって、小沢幹事長に権力を過剰に集中させることを、民主党執行部、議員、党員及び支持層によって容認された。更に、国権の最高機関である国会を冒涜する議員立法原則禁止を設け(民主党内)、ここに三権分立という国家権力の均衡さえも破壊を試みる。
勿論、日本国憲法違反である。
そして、事務次官会議の廃止、陳情の窓口を小沢幹事長に一本化する等して、徹底した権力集中をはかっている。それでは飽き足らず、戦前の失敗を繰り返す皇室の政治利用までしようとする有様だ。
つまり、自由民主党は「民主主義」を尊重するが、民主党は「民主集中制=レーニン主義」を実践している。族議員はその族の範囲内の限定的な権力に対し、小沢一郎は全権を掌握しようと試みている。
つまり、後者には、国家権力の暴走を抑止するシステムは存在しない。もはや、憲法さえ形骸化してしまい民主主義ではない。
このような恐ろしい権力集中をはかる小沢一郎が民主党の幹部である限り、
民主党が公約に掲げていた「地方分権」など不可能である。
地方の財源を「中央政府=民主党執行部」が握ることで、地方の集票を優位に進めようとしている。野党時代の民主党が、批判していた自民党のやり方そのものである。もし、地方分権があるとしても、それは民主党の県連が権力を握ることになるのではないだろうか。
民主党の政策は、国家暴力としての徴税権を駆使して集めた税金を、民主党支持層に厚くばらまく。貧困層を、「最低時給1000円に引き上げる」「派遣から正規雇用に」と空手形で欺き見殺しにするが外国人には大金のばらまく、主婦を「子供手当て」で釣り上げ、農家に「個別保証」、民主支持の土建業者には「公共事業」という具合だ。
このような愚かな手法につられる国民は、
目先の小銭の為に民主主義を捨てることになる、と気が付くべきだろう。
国家予算を自身の権力維持のために使い始めたら、最早、それは民主主義ではない。独裁政治の始まりである。このような暴挙を許すも、許さないも、「国民(=愚民)」次第である。
ナチスドイツも民主主義から誕生した事を思いだすべきである。
(後略)
http://suimei777.blog11.fc2.com/blog-entry-173.html
【参考リンク】
真のファシズム
http://www.asyura2.com/0601/senkyo26/msg/125.html
投稿者 松浦 日時 2006 年 8 月 29 日 22:38:26: nX3mGLaD7LQUY
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