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もう止まらない小沢一郎総理大臣菅陣営、なすすべなく敗北へ
「菅さんはクリーニング屋?」
日本の命運を左右する決戦の火蓋がついに切って落とされた。
とうとう起ちあがった小沢一郎前幹事長に対し、その師匠の娘・田中真紀子元外相は、「マキコ節」を炸裂させながら、こうエールを送る。
「(田中角栄元首相が生きていたら)愚直で不器用な小沢さんが、ようやく『やる』という決断をしたな、と。日本を頼むぜ、いっちゃん―そう言うだろうと思いますね。父を思い、私も胸が熱くなりました。代表選は(小沢氏が)圧勝します。
小泉さんのときのように圧勝するよう最善を尽くしますよ。大体、菅さんが言うクリーンって、クリーンで政治ができますか。それはクリーニング屋さんに任せればいいんです」
ボスの出馬に、小沢グループの議員らは沸き立った。8月31日の夕方に行われた小沢氏と菅直人首相の会談を、息を詰めて見守っていた小沢ガールズらは、小沢氏が正式に出馬を宣言すると大喜び。姫井由美子参院議員や谷亮子参院議員、田中美絵子代議士らは、会見を終えた小沢氏に、握手を求めて駆け寄った。
小沢氏側近の一人は、菅首相に対して敵意剥き出しに、こう言い放つ。
「菅をもう一回、市民運動家に戻してやる」
小沢グループは、ボスが正式な出馬宣言をした5分後には、翌日行われる決起集会のビラを配り始めた。出るのか出ないのか焦らされた分、いざ出馬が決まると、矢が放たれるように一斉に動き始めたのだ。
一方で、菅首相は「交渉決裂」の後始末に追われた。「脱小沢」の旗を掲げて政権運営をして来たのに、代表選を前に小沢氏懐柔に走った菅首相の行動に対し、多くの議員が疑問を感じており、グループの団結には微妙な亀裂が生じていた。
首相の側近、寺田学首相補佐官は、小沢氏との交渉の経緯について、「人事面などの要求が小沢氏サイドからあったが、首相が信念に基づいてはねつけ、結果的に決裂した」という趣旨の説明を繰り返すことに。
しかし、小沢側近として知られる松木謙公氏は、余裕綽々でこう言い放つ。
「こちらは、人事面での要求など一切していない。名前も言いたくないが、あの広報担当者(寺田補佐官)が、若いから間違えたんだろう。いい、いい。許す」
菅直人と小沢一郎―。水と油のように異なる二人が、日本のトップリーダーの座を懸けて争う。
一市民運動家として出発し、得意の弁舌とパフォーマンスを駆使してわらしべ長者のような出世を果たし、総理の座まで上り詰めた菅首相。一方、かつて自民党の最大派閥でプリンスとして扱われながら、唯我独尊の政治姿勢によって幾度となく失脚を繰り返し、それでも20年にもわたって「無冠の帝王」として政界に君臨してきた小沢氏。
歩んできた道が違えば、これから造る日本の形も、まったく異なるものになるだろう。最後に勝利を収めたほうが、この「国難」の真っ只中にある日本の再建を担うことになる。
ただし、菅首相と小沢氏の双方が、「選挙後はノーサイド」と語っているが、それを本気にするような甘い政治家は、この戦いを生き残れない。民主党はかつての、仲良しサークルの野党ではなくなった。政権与党の代表の座、つまり総理の座を争うことは、最大最高の権力闘争だ。そして権力闘争とは、すなわちゼロサム・ゲームである。
勝ったほうは、力とカネ、そのすべてを総取りする。逆に敗れたほうは、すべてを失う。何より、菅首相が争う相手は、あの小沢一郎だ。自らの政敵は容赦なく叩き潰し、捻り潰す。首相は敗れれば、ほぼ確実に政治家としての「命」を失うことになる。
見た目はやる気十分、共同会見でも「小沢氏が国会の予算委員会に出席している姿を想像できない」などと挑発し続けた菅首相は、しかし内心では、小沢氏との一騎打ちになったことに、よほど動揺したようだ。菅首相支持議員の一人は、「首相が"躁"状態になっている」と懸念を深めている。
両陣営が決起集会を開いた後の9月1日の夜。菅首相は自身を支持する野田佳彦財務相のグループ(花斉会)の会合に顔を出した。その後、NHK出演が控えていた首相は、わずか5分足らずその場にいただけだったが、興奮した様子でこうまくし立てた。
「明治維新には西郷隆盛の力が必要だったけれども、維新後はああいう末路になった。これが大事だ」
ああいう末路とは、西郷が維新後に政府と対立して下野し、やがて西南戦争で敗死したことを指す。実は野田氏は民主党内でその風貌から「西郷さん」と呼ばれており、その面前で言うべきことではないだろう。そんな自分の「KY」ぶりにも気づかず、小沢氏のことで頭がいっぱいな首相は、同氏を、「まもなく死ぬべき運命」とまくしたてたのである。
同席した議員らは、驚き、そして呆れた。
「調子に乗って舞い上がっている。どこかで締め直さねば危うい」
実際、菅首相はこの発言を知った後見役の江田五月前参院議長から、「身を慎め」と、叱責の言葉を受けた。陣営が一様に、先行きへの不安を感じた一幕だった。
「明治維新じゃない。関ヶ原だ」
そして小沢氏の陣営の中では、菅首相に対する反感はますますヒートアップしている。
ある小沢派議員は、西郷に見立てて小沢氏の敗北を予言した首相を、こう言って嘲笑う。
「喩えが間違っている。今回の代表選は明治維新ではなく、関ヶ原の戦いだ。舌先三寸で大名を丸め込み、寄せ集め集団の上に乗っかっただけだった石田三成。対して、実績も経験も抜群で、その実力によって諸将を畏怖させ、まとめ上げた徳川家康。どっちが三成でどっちが家康か、見れば分かるだろう」
関ヶ原の戦いは、数の上では石田三成の西軍が有利だったとされる。豊臣秀頼を擁しているという大義名分=世論の後押しも石田方にあった。しかし、小大名かつ不人気だった三成は軍を統率することができず、徳川家康の老獪な謀略作戦によって裏切り者が続出、東軍が勝利を収めた。この歴史は日本人なら誰もが知っている。
現代の"関ヶ原"で、果たしてどちらが勝つのか、その見通しについては後述する。だが、菅首相はすでに、石田三成同様「信じてはならない者」を信じてしまい、前哨戦で小沢氏に後れを取った点は否めない。
それは言うまでもない、鳩山由紀夫前首相である。鳩山氏は7月下旬、いち早く菅首相支持を打ち出していた。「私と菅さんは、一緒に民主党を作った特別な関係。菅さんがいなければ、政権交代は成しえなかった」。そう言って、首相についたフリをした。
ところが周知のように、鳩山氏は豹変する。菅首相に対抗して小沢氏が起つ、と見ると、いきなり「小沢氏を支持することに大義がある」と言い始め、民主党を混乱の渦に陥れたのだ。
風見鶏ならぬ「風見鳩」となった鳩山氏の言い分は、「党の分裂回避」。小沢氏が出馬を決めれば、小・菅の亀裂が決定的になり、自分が作った可愛い民主党がバラバラになりかねない・・・というのだが、「鳩山外務大臣とか鳩山幹事長というポストの話が飛び交った。双方に、自分を高く売りつけようとしたのではないか」(民主党ベテラン代議士)という見方は根強い。
もともと、「有言不実行」が原因で支持率が激減し、総理の座から滑り落ちた人だ。ハナから信じてはならない地球外生命体だったが、鳩山氏同様、常にブレて揺らいでいる菅首相は、この宇宙人の「和平交渉」に飛びついたのである。
「菅さんのもとには、伸子夫人経由で、小沢和子夫人が『体調を考えたら、夫には総理になってほしくない』と言っている・・・などの声が届いていました。また、仙谷官房長官の見立ても、『小沢の出馬宣言はブラフ。出られるわけがない』というもの。菅首相が怖れたのは小沢氏と激突して総理の座を失うことですから、上手くいけば小沢氏が出馬を取りやめ、無投票再選を果たせるという希望的観測があったのです」(同)
だが、鳩山氏に事態の調停能力などなかった。8月30日、菅首相と鳩山氏は会談し、いわゆる「トロイカ+1」(菅、小沢、鳩山、輿石東参院議員会長)の四頭体制で、今後の政権を運営していく・・・ことで一致したかに見えたが、実はまったくの同床異夢。
「トロイカ+1」とは、小沢・輿石氏サイドは自分たちの「しかるべき処遇」を前提にしていたが、菅首相に、そこまでする気はなかったのだ。
もともと首相は「脱小沢」の看板を掲げ、仙谷氏ら反小沢派に担ぎ上げられている以上、立場的にも、小沢氏らの人事的な復権は認められるわけがない。
別の民主党ベテラン代議士がこう話す。
「結局、こうなることを小沢氏だけは見越していた。交渉が途中だった31日朝の段階で、小沢氏は周囲に『事態に変化はない。(出馬の)準備を進めてほしい』と言って事務所を出ている。実際、その日の午後になって、菅首相は前原氏らの説得もあり、やはり"合意"を反故にした。
鳩山さんは突然、交渉が頓挫して動揺していたが、小沢さんは『もういいよ。こんなもんだ』と、落ち着いていたそうです。夕方、それでも菅さんと会ったのは、代表選では鳩山さんの支持が必要になるため、彼の顔を立てた儀式に過ぎませんでした」
交渉が決裂した後、鳩山氏は「ボクのやったことはいったい何だったのか」と嘆き、側近には「菅さんに騙された」と怒りをぶちまけた。「しかるべき処遇」を楽しみにしていた輿石氏は、「なんでこうなる」と、呆然としていたという。
ただし小沢氏は、一連の経緯の末、より激しい戦闘意欲を燃やしていた。「菅を潰す」。その決意をいよいよ固めたのである。その夜、自らの選対本部を訪れた小沢氏は、出迎えた支持派議員の前で、
「おおうっ!」
と雄叫びを上げた。「顔は真っ赤に紅潮し、『オレはやるぞ』という気迫に満ち溢れているのが、こちらにも伝わって来た」(川内博史代議士)という。
仙谷も菅を見放した?
まさしく「天下分け目」の戦い。決戦の行方は、いったいどうなるのか。
政治評論家の有馬晴海氏は、「冷静に分析すれば、勝敗の行方は五分五分といったところでしょう」と語る。
「小沢氏にとっての逆風は、やはり世論です。3ヵ月前に政治とカネの問題が原因で辞めた人物を、簡単に国民は許しません。小沢氏有利との観測も多いですが、いま小沢支持を表明している議員も、地元では『小沢支持はやめろ』と突き上げられています。2週間の選挙戦の間に変心を余儀なくされる可能性があります」
その一方で有馬氏は、今回の代表選に「生涯の集大成」として臨む小沢氏と、そうでない菅氏の覚悟の違いを指摘する。
「小沢氏は、自分が代表選に出るかどうかも見えないはるか数ヵ月前から、準備を進めていました。地方のサポーター票固めや、野党との事前の連携工作はその一端です。そして小沢氏は、同氏のためなら命がけ、という極めて強固なシンパに囲まれています。その点も、消極的な理由で支持されている菅首相とは違う」
9月1日に、双方の決起集会に参集した議員は、それぞれ100人強だった。ただ菅首相に関しては、直前まで続いた和解交渉のドタバタを見て、「失望した」との声が広がりつつある。
「土壇場で小沢氏と手を握ろうとし、自分たちを見放しかけた菅首相に、仙谷氏も『オレはもう、知らん』と匙を投げかけました。
また、いちおう首相支持に回っている前原グループ(凌雲会)や野田グループの中からも、『こんな人は信用できない。いっそ前原氏を押し立てて戦おう』という声まで上がっていました。それでも菅支持に回っているのは、小沢氏が勝ってしまったら、自分たちは追放の憂き目に遭うのが確実だからという理由だけです」(凌雲会所属議員の一人)
結束力に不安を残す菅首相サイドとは別に、小沢グループのほうは、露骨かつ下品とも言える作戦を臆面もなく展開し、問答無用の多数派工作を開始した。
民主党議員は、複数のグループを掛け持ちしている議員が多いが、凌雲会と一新会(小沢グループ)という、まったく相反する集団双方に名を連ねている議員もおり、その秘書が、小沢派の"攻撃"に辟易した様子をこう話す。
「巻き込まれたくないのでどちらからも距離を置こうとしましたが、小沢氏側近議員や秘書から、『なぜ一新会の会合に来ないのか』と怒鳴り込まれました。ウチの議員はビビッてしまい、いまは公務を口実にして、外遊に出かけています」
また、菅首相支持に回ったある新人議員が、菅派決起集会のビラを持って「小沢ガールズ」の部屋を訪問したところ、呪いの言葉を投げかけられたという。
「『あなた、恨み買いますよ。なんで裏切ったんですか』『あんなに小沢さんにお世話になっておいて、そんな態度でいいんですか。今後気をつけたほうがいい』とか言われました。女性議員ですよ? 何か非常に不気味な、恐怖政治の臭いを感じましたね」(新人議員)
「議員票は280対130」
もちろん、これほど露骨に圧力をかけられれば、「絶対に小沢など支持するか」と反発する、気骨ある議員もいる。しかし、ここで小沢氏が昨年の衆院選の前から打ってきた布石が、効果を発揮するのだという。
「新人や若手議員の秘書は、ほとんどが小沢事務所の息がかかっています。これは、すべての行動、人脈、資金の流れを、小沢氏に握られているのと同じです。だから、内心不満を持っていても簡単に叛乱を起こせないようになっているのです」(別の新人議員)
決起集会における演説で、小沢氏は'06年に初めて民主党代表になった当時を振り返り、「最初の仕事は、ここにもいる太田和美君が当選した衆院補選だった。その後の参院選も、昨年の衆院選も、私は先頭に立って戦ってきた」と、自らの実績をアピールした。
「お前らは、誰のおかげで議員バッジをつけている。オレが選挙を勝ち続けたからじゃないのか」
小沢氏はそう言っているように見えた。
"主従"一体となり、手段を選ばず総理の座を奪うことに邁進する、リアリスト&ニヒリスト集団の小沢氏一派。それに対し、「首相をコロコロ替えてはいけない」といった道理を掲げて手を組む、いわば理想主義集団の菅首相派。
良い悪いの問題ではない。殺るか殺られるかの仁義なき戦いにおいて、どちらがより強力な軍団たりえるかは、自明の理と言える。
具体的な「票読み」については後述するが、小沢派中堅議員の一人は、本誌の取材に対してこう豪語している。
「412票ある国会議員票は、280対130程度の数でこちらが圧倒する。地方議員票や党員・サポーター票でいくら菅が善戦しても、大勢は覆らない」
かつて、通常の手段では天下を簒奪できないと考えた徳川家康は、あえて石田三成に背を向けて東上。自分のもっとも得意とする平野での決戦で雌雄を決するべく、三成を挑発した。その思惑通り、三成が西で挙兵すると、家康は取って返して関ヶ原で決戦。わずか半日の戦いで西軍を打ち破り、覇権を確立したのだ。
関ヶ原で東西両軍が激突したのは、慶長5年9月15日(旧暦)のことだった。410年後の9月14日、再び日本の命運を賭けた戦いが行われる。国民は、その結末を見守るしかない。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/1159?page=5
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