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「週刊ポスト」9.17日号
平成22年9月6日(月)発売
小学館 (通知)
7年前から秘かに書き進められていた驚天動地の「革命計画書」をスッパ抜く
小沢総理の「新日本改造計画」
──あなたは「ここに描かれた日本」をどう考えるか
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「国民不在」「政策なき政争」とは、政治報道の常套句だ。小沢一郎氏に対しては、これに「政治とカネ」の枕詞がつく。朝日新聞は8月27日の社説で小沢氏の出馬を「どうしてここまで民意とかけはなれたことができるのか」と批判した。しかし、民意を問う手段こそが選挙だろう。起訴される可能性があれば出馬すべきでないといい、与党最大派閥のトップが代表選に出馬することを「あいた口がふさがらない」(朝日)と叩くに至っては、もはや民主主義さえ否定する暴言というしかない。なぜ彼らは「小沢」と聞くだけで、そこまでヒステリーになるのか──。
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五部構成・500ページ
確かに一連の政治報道はおかしい。が、エリート揃いの大マスコミの記者たちが、民主主義の原則や「推定無罪」すら知らないはずはないのだ。例えば小沢氏の「政治とカネ」についても、国民の多くは報道に接して「けしからん」と思っているが、「ではどんな問題なのか?」と訊かれて答えられる者は少ない。実はこれが重大疑惑ではないことを記者たちも知っているから(詳細は省くが、「強制起訴」が取り沙汰される疑惑とは、「土地購入の報告が、実際の購入の翌年にされている」という「期ずれ問題」だけである)、「説明不足だ」「国民は納得していない」とは書くものの、疑惑の「中身」はほとんど報じない。
「政策不在」報道も同様だ。管直人・首相と小沢氏の共同記者会見(9月1日)は両者の政治理念、基本政策を問う絶好の舞台だった。ところが、記者たちはあえて政治とカネの問題を強調して政策論を軽視した。本来なら、小沢氏が掲げた「独立行政法人、特別会計は原則廃止」の公約などは、日本の仕組みを根本から変える大改革である(※1)。
その理念と手法と実現性について、突っ込んで聞きたい国民も多いはずだ。
それに気付く記者は少なくないが、彼らは記事にはしない。なぜ、そうまでして小沢氏の理念・政策を隠したいのだろうか。
権力願争が好きな「政局の男」というイメージの小沢氏だが、実は、周囲から「政策オタク」と呼ばれる一面がある。安全保障や経済について、専門家を招いた個人的な勉強会を頻繁に開いており、・そこで政策論を戦わせることは趣味のようでさえある。小沢氏の政策といえば、自民党時代の93年に発表して70万部を超えるベストセラーとなった『日本改造計画』が有名だが、その後も新進党代表選で掲げた「国民との5つの契約」、自由党時代の「日本一新11碁本法案」、そして民主党の衆院選マニフェストなど、すでに実現されたものも含めて多くの政策を打ち立ててきた。それらは小沢氏のホームページなどで公表され、誰でも読めるが、小沢氏自身の発信力の弱きとメディアの無視によって、国民が知る機会は少なかった。
本誌は、その小沢氏が7年前から密かに書き続けてきた最新の、そして最終の、といってもいい 「国家ビジョン」を入手した。
手元に「草案」と書かれた構成案がある。五部構成で、「第一部 共生の世紀」から始まり、政治・行政改革をまとめた「国民主導政治をつくる」、憲法や安全保障など基本政策を記した「日本の原則」、そして社会のあり方を問う、「自主自立の精神から始まる」、そして自由競争経済を語った「フリー・フェア・オープン」まで原稿用紙800枚、500nに及ぶ。
いわば「小沢革命の計画書」で、民主党のマニフェストや今回の代表選公約と重なる部分も多い。「小沢政権」が成立すれば、ここに書かれた「日本改造」が進められる可能性が高いが、これを読むと、なぜ「小沢の政策はつぶせ」という勢力が根強いかもすぐわかる問題資料≠ネのである。
※1「独立行政法人、特別会計は原則廃止」の公約/霞が関の各省から独自財源(18特会。総額170兆円)を取り上げて財政の仕組みを簡素化し、都市再生機槙など役割を終えた104の主要天下り団体(独法)を原則廃止して政府を大胆にスリム化するもので、実現すれば官僚の既得権は大幅に縮滅される。
小沢は「左傾化」したのか
実は小沢氏自身、かつてこの「幻の国家ビジョン」に言及したことがある。
民主党代表に就任した06年4月、定例記者会見で、「『日本改造計画』の続編のようなもの」の執筆に取り組んでいると明かし、「すでに6稿嶺で進んだ」と、珍しく問わず語りに饒舌を振るった。しかし、この会見でも記者団から著作の中身を問う質問は出なかった。
新著の存在は、もう一度、世に出たことがある。
小沢研究20年の第一人者で、本誌でも多くの小沢インタビューを行なってきた政治ジャーナリスト・渡辺乾介氏が、近著『小沢一郎嫌われる伝説』のなかで、小沢氏がここ数年、政治活動の合間を縫って新著に没頭してきたことを細介している。渡辺氏が語る。
「小沢氏が著作にとりかかったのは03年の自由党と民主党の合流の少し前からです。時間を見つけては論考し、理念と政策を体系化しようという作業でした。特に、07年の参院選で民主党が第一党になり、政権交代が現実味を帯びると、小沢氏は選挙直後から2週間あまり書斎にこもって論考に取り組んでいた。その頃には具体的に総理大臣になる覚悟をし、自問自答していたのだと思います」
小沢氏は代表選の政檜構想で、以下のような基本方針を掲げた。
〈「自立と共生」の理念と「国民の生活が第一」の原則に基づいて、政治、行政、経済、社会の仕組みを一新し、国家予算207兆円の全面組み替えを断行する〉
民主党の衆院選マニフェストとも合致するが、これだけでは抽象的すぎてわかりにくい。だが、この短く要約された方針のなかには、本誌が入手した「新・日本改造計画」の理念が凝縮されている。草案の「第一部共生の世紀」には「政治の新たなテーマ」という副題が付されており、「平和と地球環境」「自由と平等の狭間」「ジャパン・アズ・ナンバーワン」という三章が設けられている。この部分こそは、17年前に著書で提唱した「普通の国」から大きく進んだ国家論なのだ。
小沢氏の「普通の国」論とは、日本が国連平和活動への参加によって自由と平和のコストを応分に負担すること、あるいは経済では自由競争と規制撤廃、自己責任社会を確立して「小さな政府」を志向する新保守主義の立場だった。
それに対し、最近の小沢氏は大規模な議員団を引きつれて中国を訪問したり、「外国人参政権」を推進し たりするなど、外交・安全保障ではアジア重視が目立ち、保守派からは「左傾化した」と批判されている。
その理由が新著で明らかにされている。自立した主権国家を指す「普通の国」の先には、「主権」だけでは達成できない「平和と地球環境」を目指す国家の姿があり、それを実現するには「自由と平等の狭間」で起きる「富と権力、自由の偏在」を解消し、経済偏重ではない「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を実現すべきだというのである。
これは「保守政治家の変節」なのか。前出の渡辺氏は、そうは見ない。
「小沢氏が民主党代表に就任してまず取り組んだのは安全保障政策での党内論議でした。最も距離があった 旧社会党グループと国連待機部隊構想(※2)で合意し、党内をまとめた。小沢氏にとって、昔も今も安全保障問題は最初のテーマです。
アジア重視の必要性を感じたことにも理由があった。95年に江沢民・中国国家主席と金泳三・韓国大統領が会談した際、日本の軍事的進出を警戒することで一致した。日本人から見れば荒唐無稽な合意です。しかし、いまだにこんな誤解があるからこそ、日本の安全保障の課題はアジアだと考えるようになったのでしょう」
「民由合併」の本当の意味かつて保守派の旗手と見られていた小沢氏は、いまや「バラ撒きの旗手」と批判されることさえあるが、保守政治家として初めて「セーフティネット」を政策の柱に据えた理由も、新著が明らかにしている。
執筆資料にもなったとされる「小沢一郎政治塾」の講演での発言に、こんな一節がある。
「平等社会というものは、既得権化し、自己の努力、自己改革を怠った時には、それは単なる悪平等と、一部の権力、富の所有者と、どうしようもない無気力な堕落した大多数の社会を生んでしまう」 これを見ると、自由を重視する保守政治家の姿勢が強くにじみ出ている。これと小沢流バラ撒き″には、どんなつながりがあるというのだろうか。渡辺氏は、小沢政治にとって、セーフティネットは国民の自立を促す手段だと指摘する。
「小沢氏は選挙応援の際、大票田の都市部ではなく、過疎地域を重視することで知られている。中央政府の官僚統制が行き過ぎた結果、既得権による富の偏在が起きて地方の疲弊や国民格差の広がりを生み、社会を疲弊させたと考えているからです。社会や経済の活力を一取り戻すためには、まずセーフティネットを充実させて既得権を持たない国民を支援し、同時に官僚統制による既得権をなくすことが必要だというわけです。いわば国民を平等な条件で競争させるためのセーフティネットということです」
新著では、セーフティネットは「第四部 自主自立の精神から始まる」で詳しく述べられ、「国民生活充実基本法」が提唱されている。「雇用」や「家庭基盤」を整備し、「年金・医療・介護を消費税」でまかなうとした。その一方で、「税制一新」と題した章では、税金を「社会への参加料」と表現している。小沢氏はかねてから就業者の2割、国民全体では6割が所得税を払っていない実態を問題視しており、収入のある者は、100円でも200円でもいいから納税し、社会を支える一員になるべきだという主張を唱えている。
だから、ここではセーフティネットと同時に「普通の国」以来の持論である「自主自立」の必要性が強調される。さらに「第二部 国民主導政治をつくる」では、「権力は限定し、競争させる」「地方分権」「官僚支配の構図」など、明らかに「小さな政府」を目指す政策が語られる。
この「自由」と「セーフティネット」の共存が、新著の際立った特徴である。つまり、「自由・公正に競争した結果の格差ならいいが、既得権との癒着で生まれた格差は排除する」というのが要点である。
小沢氏は、新著の執筆を始めた直後に自由党と旧民主党の合併を決めた。超保守派≠フ自由党と、旧社会党系勢力を抱えるリベラル派の民主党の合併は、現在に至るまで党内の路線対立を残しているが、渡辺氏の見方によれば、「小沢氏にとって、保守主義とリベラル政策を統合させる意味で、民由合併は理想的だった」という。そういえば小沢氏は、この合併に際して、「これが、私が所属する最後の党になる」と語っていた。
※2 国連待機部隊構想/有事の際にPKOを始めとした多国者軍の編成を行なうのでは、緊急の時に迅速な対応が取れないことから、国連に常備軍を創設し、日本にも自衛隊とは別の国連待機部隊をつくって参加させる考え方。
菅と小沢「脱官僚」の違い
しかし、「小沢ピジョン」が既得権益を徹底的に破壊しようとすればするほど、「小沢をつぶせ」という声が高まることは必然だ。
官僚機構はもちろん、その権力に寄り添って生きてきた一部の財界、族議員、そして記者クラブにどっぷり浸かる大マスコミなどは、それこそ霞が関のブラックジョークにあるように、太陽が西から昇っても反小沢≠ネのである。小沢批判の手法を皮肉ったポストが赤いのも小沢のせい≠ニいうジョークもある。
ただし、小沢氏は政治家であって学者ではない。まして総理大臣を目指すと公言したからには、「良い理論をつくること」より「実行する力」が重要になる。
脱官僚は容易ではない。霞が閑でいえば、各省の政策、予算の一項目ごとにその既得権によって守られている企業と雇用がある。例えば、高速料金が高いから、同じ路線で競合する鉄道、フェリー会社は経営が成り立っており、高速を無料化すれば社会全体の利益にはなっても、一部に強烈な反対論を巻き起こす。
小沢氏は代表選公約で、国の補助金を一括で地方に交付して自治体に自由に使わせる、子ども手当満額支給、最低保障年金の創設、天下り全面禁止、普天間移転の日米交渉をやり直す、などを掲げたが、どれをとっても霞が閑の猛反対を招き、内閣がいくつもつぶれかねない重いテーマだ。
17年前の前著と今回の新著の、紙面に現われない大きな違いがある。前著では基本理念は小沢氏自身が練り上げたものであっても、個別の政策については、自民党のニューリーダーとしての小沢氏を慕った若手官僚が協力していた。新著は、もちろん多くの専門家の助言を活かしてはいるが、官僚や、それに象徴される「既得権勢力」は一切排除して書かれた。それだけ、マスコミや官僚には受け入れがたい内容なのだ。
それでも、渡辺氏はこの改革は「小沢氏だからできる可能性がある」と見る。
「小沢氏の脱官僚は、必ずしも官僚と全面対立するものではない。小沢氏の言い方は、『官僚が優秀ならば、その力を国の中枢で使え。田舎町のドプ板のはめ方まで指図するな』というもの。
菅首相のように『官僚は馬鹿だ』といえば全面対立しかないが、小沢氏は官僚を説得し、その力を活かして改革したいと考えている。だから今でも霞が関には小沢シンパが少なくない」
既得権勢力が「小沢封じ込め」に成功するか、小沢氏が逆襲して「新・日本改造計画」が始まるか、いよいよ岐路が迫ってきた。
(写真)最後のマニフェスト℃キ筆は民由合併の時期から始まった(03年)
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