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2010-09-10 23:55:45
厚労省『村木元局長』冤罪事件の「無罪判決」が、大きく話題になっています。
検察の「不法」捜査に対する批判もかまびすしい。
検察の横暴を非難するも良い。
村木氏への「同情」の意の表明も良い。
これをきっかけに、「取り調べの可視化」を声高に叫ぶのも良いだろう。
しかし、事はそれほど簡単ではないのだ。
勿論、この事件そのものが、「検察官僚」の驕りと、彼らの「日本支配」の実態を良く表している。
これを突破口に、小沢氏への官僚マスコミこぞっての世論誘導への、今だに「盲目的」に大本営発表だけを信じている国民層への、啓蒙となる事を期待する向きも多い。
しかし、事はそれほど簡単では無い。
つまり、今回の「村木事件」に関しては、最終ターゲットが「村木被告」本人では無かった、と言う事を忘れてはならない。
自称障害者団体『凛の会』の「郵便料金違法行為事件」の、検察の真のターゲットは、石井一民主党衆議院議員であった、と言う事を忘れてはならない。
検察は2004年2月25日午後1時に、「凛の会」倉沢被告が石井議員に事務所で面会して依頼したとのストーリーを創作。
そのシナリオに基づいて『犯罪事実の存在』を主張した。
ところが、3月4日の法廷での証言および関係証拠資料から、石井議員が上述の2月25日に朝から夕方まで千葉でゴルフをしていたことが明らかになり、検察側主張がこの側面からも全面否定されることになってしまう。
その後の推移は、知られている通りである。
検察側証人となる筈の「厚労相職員」の供述は、後に総て「当人によって」否定され、「検察官の強要による証言であって、事実無根である」事が、裁判所に認められ「証拠採用」を拒否されてしまう。
つまり、「本ボシ」で無ければならない「民主党議員」を追求し損なってしまった以上、後は「付け足しに過ぎなかった」訳なのだ。
村木厚子元局長は、厚労省の「高級官僚」であった。
より大きな「タマ」を射止める為の、いわば「餌」であった村木氏は、石井議員の訴追が不可能になってしまった時点で、不要となってしまったのである。
検察当局は、「メンツ」にかけても、有罪に持ち込みたかったのでは有ろう。
しかし、同じ「官僚同士」としては、周辺の証言が証拠採用されなくなってしまった以上、枝葉に過ぎない村木氏の追求に、更なる架空のでっち上げを重ねてまで、「無理スジ捜査」を続けるエネルギーが、無くなってしまったのでは無かろうか。
検察側証人として、村木氏を有罪に導くべき「厚労省官僚」たちは、同僚である村木氏を、一斉に守ろうと努力を始めた。
こうなると、元々「検察のシナリオ」であった『冤罪事件』は成立しない。
それこそ「周り中一丸となって」村木氏の冤罪を晴らすべく、一致団結したのだ。
方や、小沢事件はと言えば。
或は、鈴木事件はと言えば。
これは、ターゲット自体が「自分達の命運を左右する」仇敵である。
ここは、何が何でも「落とさニャならぬ」と言う訳だ。
証拠とされる物も、証人達も不確かであろうが、証拠不十分であろうが、西松建設の元専務の様に証言をひっくり返されようが、そのような事はどうでも良い。
始めに結論有りき。
『結論こそが総て』
ゴールから遡ってスタートした「(根拠の無い)強制捜査」は、結局検察の威信に賭けて強引に押し進めたにも関わらず、結局「最初に定めたゴール」に強制的に誘導する事が、何をどうやっても出来なかった。
しかし、それで終わりにする訳にはいかない。
何しろ、彼ら「既得権を失いたくない人々」の、依って立つ基盤そのものが失われる事になりかねないのだから。
そこで、「無罪放免された」小沢氏を擁護する様な「世論」も「民意」も形成されない様になっている訳である。
流れは、変わらない。
風は吹かない。
村木事件はと言えば。
事情は違うのだ。
裁判官も「官僚」であるらしい。
裁判所は「役所」であるらしい。
役人が、役人に起訴され、役人が裁く。
しかし、最終目的が達せられなくなっている以上、更に世論の流れが変わった以上、「官僚連合」としても、互助会機能が働いてしまう。
結果は、1対2。
裁判官と厚労省官僚が組んで、検察を切るしか無かった。
そうしないと、世論の「検察の捜査方法」に対する風当たりは、取り返しのつかないところまで言ってしまう恐れが有った。
村木被告に対する「世論の後押し」が、小沢氏への「後押し」に変化して行く事になりかねない。
実に微妙なタイミングであったのだ。
事は「宗男議員冤罪事件』も、同じ事。
今、この時点で「風向きが変わると」、小沢首相の誕生に繋がりかねない。
判断を誤れば、命取りにもなりかねない。
そこで、タイミングを計算し尽くして、その波及効果も検証し尽くしての、「小沢バッシング」であり、「宗男議員の上告棄却」であり、そして「村木厚子元厚労省局長に対する無罪判決」なので有ろう。
もちろん、たとえ対象が「官僚」であろうと、「冤罪」は絶対に許してはならない」
無実で取り調べられ、無実で起訴される、その社会的、人道的、精神的、物質的被害は、回復の不可能な程の重大事である。
しかし、結局官僚達は、お互いに「庇い合った」のだ。
勿論、マスコミもその流れに沿って行動した。
阿吽の呼吸。
小沢氏に対するやり口は、全く別である。
鈴木氏に対するやり口も、全く別である。
とことんまで、世論の誘導を止めない。
検察に不利な証拠や状況は、決してマスコミに流さない。
別の意味での「官僚互助精神」で、裁判所も検察に対して「協力的」である。
マスコミは、世論の流れを変える様な動きは取らない。
いくら「宗主国」の後押しや、圧力が有るといえども、国民の為にと言う座標軸は、彼らには決して生まれない。
大久保秘書の審理も、石川議員の審理も、一向に始まらない。
始めても、有罪に持ち込める道筋が立っていないからである。
検察の「ゴリ押し」は破綻している。
それでも、小沢を「首相にしない」為に。
『検察審査会』であろうが、『在特会』であろうが、利用出来る駒が有る限りは、「撃ち方止め」には絶対にならない。
その「検察」連合軍の必死なあがきが、有る事実を明らかにしているのだ。
つまり、小沢氏の「存在の意味」である。
まず「省益」有りき。
続いて「官僚」有りき。
そして「マスコミを含む財界」有りき。
それらが行動原理である、「日本の利益を損なって来た」集団が、日本に君臨している。
その背後には、それらを陰で操り、巨万の直接利益と、軍事的、経済的、政治的優位性とを営々と貪り尽くして来た、アメリカの影の勢力が、総ての動きの源なのだ。
その「闇の勢力」の一掃を企てる『小沢一郎』は、倒さねばならない。
死力を尽くして。
かくて、事ここに至ってまで、脳性麻痺を起こしたかの如くに「政治とカネ」と叫び続ける。
ピーチク、パーチク。
村木氏の、無罪判決は、喜ばしい出来事では有ります。
「小沢氏を目標とする」冤罪に対しては、終わり無き戦いが、今日も続く。
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