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2010年09月10日 10:13
日本人全員必読:小室直樹氏「田中角栄の遺言、官僚栄えて国滅ぶ」
今朝ツイッターのTLを流し読みしていたところに、副島隆彦氏のお弟子さんである「アルルの男 ヒロシ」(中田安彦氏)のつぶやきに重要なURLが貼ってあった。 それは小室直樹氏が書いた内容のものであるが、これは日本人全員が読み理解すべきことであると感じました。
内容は長いので転載はしませんが、リンクを貼っておくので是非みなさんも各所で拡散させて、少しでも多くの日本人を覚醒させていきましょう。 完全に納得できる内容です。
ツイッターより
http://twitter.com/bilderberg54: "田中角栄の遺言、官僚栄えて国滅ぶ、小室直樹著 平成六年四月、クレスト社 " http://www2.synapse.ne.jp/takita/tanaka%20kakueiyugigon%20%20newpage7.htm ←クリック
(投稿者)以下、一部転載します。
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第五章デモクラシーとは何かへ
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田中角栄の遺言、官僚栄えて国滅ぶ、
小室直樹著 平成六年四月、クレスト社
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プロローグ誤解だらけのデモクラシー理解、
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12頁、02/4/15 15時45分
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デモクラシーには膨大な金がかかる、
田中角栄こそが、日本で唯一のデモクラシー政治家であった。こう述べると、意外の感に打たれる日本人は多い。しかし、
これは政治システムに対する無知にもとづく。
デモクラシーと言うと、多くの日本人は、完全無欠で人類が到達した最高の政治形態だと思っている。
とんでもない。デモクラシーの評価については、古代ギリシャ以来、論及されてきた。古来、批判者、否定者も多い。
デモクラシーの熱烈な支持者であればあるほど、その欠点に敏感である。
これは剋目すべきことである。はじめに、注意しなければならない点が二つある。
まず第一に、これは人間の自然状態ではなく、めったにないものだと言うこと。デモクラシーは、
3000年に一度咲くと仏典に言う優曇華の花のように珍しい。
今、曲がりなりにもデモクラシーらしき政治が行われている国は、
アメリカ合衆国とカナダ、それから西ヨーロッパ諸国、北ヨーロッパ諸国と、日本。
それ以外には、アフリカにアメリカを手本にして作った黒人国が二つか三つある程度だ。
それ以外の世界のほとんどの国は、独裁か、それに近い国である。
第二にデモクラシーとは、非常にか弱いものであること。フランス革命は、大革命をナポレオンに乗っ取られ、
二月革命をナポレオン三世に乗っ取られた。されに第三共和国成立後も、もうちょっとでブーランジェに乗っ取られそうになった。
デモクラシーのエッセンスを込めて作ったと言われるドイツのワイマール憲法からは、ヒトラーが出てきた。
このようにデモクラシーとは、非常にか弱いもの、内に危険をはらんだものなのである。
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13頁、02/4/15 16時12分
したがって、もしもデモクラシーを欲するならば、めったに無いか弱いものなのだから、常に守り育てていかねばならない。
そうしないと、あっという間に消えてなくなる。デモクラシーが、自然現象のごとく、当然そこにあるものだという考え方は、
とんでもない間違いである。
戦後、日本がお手本としたアメリカの、いわゆる独立の父たちが、最も苦労したのは、この幼い共和国を、
どうすればシーザーから守れるかと言うことだった。
そのころは、ナポレオンもヒトラーも未だ出現していなかった。ボナパルティズムやファシズム、ナチズムと言う言葉は無かった。
しかしながら、ワシントンは、はたまたジェファーソンはシーザーと言う例は知っていた。
共和国ローマからシーザーが出てきて、独裁的政治を行った。そのシーザーは殺したけれども、アウグスチヌス皇帝になってしまった。
だからアメリカ独立の父たちは、近代史の歩みの中で、これほどの経済大国になるなんて望みも考えもしておらず、ただ、
ひたすらみんなが自由で、シーザーが出てこなかったらそれでよろしいと願っていた。
アメリカの初代大統領ジョージ・ワシントンは、二期務めて、ぜひ三期目も大統領を頼むと請われたとき、固く辞して、
その席をアダムズに譲った。
アメリカ大統領の権限はきわめて大きいから、三期も大統領になるような人物が出てくれば、
シーザーになる恐れがある。それは望ましくない。だから私は二期でやめる。私は百姓から大統領になったのだから、また元の百姓に戻る。
さようなら、さようならと、ワシントンは帰っていったそれが前例になって、アメリカでは大統領の三選を非常に嫌う。
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14頁、02/4/15 16時42分
フランクリン・ルーズベルトの時代になって、初めて三選、四選が行われたが、そんなことがこれ以上続いては困ると言うわけで、
三選禁止が合衆国憲法に入れられた。デモクラシーとは、それくらい注意深く守ってやらなければならないものなのである。
また、レーガン元大統領は、スターウォーズ構想(戦略防衛構想=SDI)を膨大な金をかけてやろうとしたとき、反対する人々に
「こんな計画をしてアメリカを守ると言うのは、核戦争の後でもデモクラシーが生き延びられるためだ」と説明した。
核戦争のようなものすごいことが起きて、人類そのものが全滅するかもしれないような危機状態になれば、
たとえ人類が生き延びようとも、デモクラシーなんていっていられるものではない。
仕方が無いから、独裁者に後始末をやってもらうしかないと、国民は感じるに違いない。そんなことがあってはならないから、
膨大な金をかけてでも、スターウォーズ構想を実行してデモクラシーを守るのだと。
つまり、デモクラシーはべらぼうに金がかかる。それはデモクラシー諸国における常識である。
デモクラシーを自然状態に放ったらかしておいても存続しつづけるなんて、彼らは決して考えない。
まことに貴重なものだから、膨大なお金を賭けても、これを維持する値打ちはあると思っている。
ところが日本人の考え方はまったくの逆。政治改革に関する議論は、金権政治はよくないから、金がかからない政治にしょうというのが、
犯すべからざる大前提になっている。これは、実はデモクラシーの否定につながる。
金をかけてでも守りたいのがデモクラシーなのに、金がかからず、腐敗、堕落さえしなければいいと言う。思い出してもみよ。
大正デモクラシー(とうじ、民本主義と訳された)が、相当に発達したにもかかわらず、一気に崩れたことを。
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15頁、02/4/15 17時21分
議会の政党が、政友会も民政党も金権政党に堕落して、汚職に次ぐ汚職、国民は、これに愛想を尽かしたからだが、
その直後に訓部独裁政治が始まった。
すなわち、日本人には汚職をデモクラシーのコストと考えるセンスが無かった。膨大な金がかかるものだということを国民が理解しなかった。
そこで軍人と右翼が暴れて、血盟団事件、それから五・十五事件、二・二六事件が起こり、ついにデモクラシー葬り去られた。
ところがその後に出来たのが近衛文麿の政治であり、その後の軍人政権。
今度は堕落しない。近衛文麿は、生まれながらにして天皇陛下の次に偉いのだから、悪いことをする必要が無い。
その後の軍人も、イヤイヤながら首相になった。だから首相も閣僚も金に関しては清潔だった。だが、その政権が歩んだ道は、
あの戦争ではなかったか。
イサヤ・ベンダサンは「日本人は水と安全はタダだと思っている」(日本人とユダヤ人山本七平訳・角川文庫)と言ったが、
日本人はデモクラシーもまたタダだと思っている。これは欧米民主主義国家においては、とんでもないこと。
デモクラシーは膨大なコストをかけて購うものだ。
今、マスコミの使命は、デモクラシーを水と安全みたいにタダだと思っている日本人に、そうではないのだと気付かせることにある。
ところが、それを書くものは皆無に近い。つとに、上智大学の渡部昇一教授が「腐敗の時代」(文藝春秋社1975年刊)で指摘したが、
金権腐敗をたたけばたたくほど、デモクラシーが逼塞し、ファシズムが台頭することに、今の未熟・未経験なマスコミ人は思いが至らない。
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16頁、02/4/15 18時31分
いや、このたび日本で国権を乗っ取っているのは、シーザーでもナポレオンでもヒトラーでもない。役人なのである。
日本人がデモクラシーの本質に無知で、田中角栄を殺したために、角栄の呪いが天意か、立法も司法も行政も、日本の三権はすべて、
役人が独占するところとなってしまった。下克上は日本史の通例ながら、今や、公僕変じて権力者となる。
あに、偶然ならんや。しかも・・ここが致命的な点なのだが、日本人はまだ、事の重大さに気付いていない。
暗愚な殿様が、シイ殺されるまで簒奪者に気付かないように。
日本のマスコミは、汚職を報ずるときには、春先のどら猫のごとく喧噪をきわめる。だが、役人の横暴を伝える段になると、
監督官庁を恐れるあまり、われ関せず焉。
政治家がことごとく官僚の傀儡と成り果てた事実を白日の下に晒しても、風する馬牛も相及ばずで、関心を示さない。
官僚による政治がいかに恐ろしいか。その解明が本書の主テーマの一つである。
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政治家の最大の任務は何か
角栄は、しゅうふくせしめ、自由自在に駆使した。角栄ありてデモクラシーあり。角栄死してデモクラシー亡ぶ。
デモクラシーが機能しえるための第一の条件は何か。
議会のおける自由な言論である。自由な討論によって国策が決定されることである。
18頁、02/4/15 18時52分
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角栄死して自由な(討論)が議会に滅びてすでに久しい。大臣・議員の発言は、ことごとく役人の口うつし。
自らの自由な意思は、そこにない。
この秋にあたり、言論(討論)の自由の意味を理解するより急なるはない。著者は、古今東西の史実を博引傍証して、
このことを立証しようとした。たとえば、尾崎ガクドウ(行雄)、犬養木堂(毅)、浜田国松、斎藤隆夫らの帝国議会における演説。
現在の日本国会における演説とくらべてみよ。
藩閥全盛の日において、言論が逼塞した戦中、戦前の「暗き谷間」の日々において、デモクラシー(民本主義)は、
今日よりはるかに健全に機能していたではないか。
討論こそ議会政治のエッセンス。角栄はこの真髄を理解し、体得し、実践した。
しかし、角栄以外の政治家は、そうではなかった。
討論は、まもなく、日本の議会から蒸発し、有名無実なものと成り果てた(昭和30年の国会法第5次改正)。皮肉なことに、いや、
当然のことに、
所謂五五年体制の発足と共に、デモクラシーは日本から去ったのであった。
このように、議会は自由な言論(討論)を見棄てたが、角栄は見棄てなかった。
自由な討論を通じて、次々と重要な国策を決定し、実行した。
国土総合開発、住宅政策、道路の整備、郵政の活性化、開放経済に基礎づくり・・と、重要政策は、角栄の帷幄(総司令部)
の中に運らされ、彼の雄弁広辞によって法制化され実現された。
これらの活躍によって、一介の匹夫より身を起こした角栄は、コウリョウ(小さな竜)昇天し、三十九歳で戦後最年少の大臣となった。
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19頁、02/4/16 7時52分
ちなみに、内閣制度始まって以来、三〇代で大臣となったのは角栄と森有礼の二人だけである。その後、自民党政調会長
(昭和三十六年。四三歳)、大蔵大臣(同三十七年。四十四才最年少)、自民党幹事長(同四十年。四十七歳)と、
議会の階段を駆け上って行く。小学校卒業で、何のバックもない田中角栄が。
急上昇の理由は、抜群の政治手腕もあるが、議会における大活躍が、万人を、世論を納得させたからである。
議員立法といえば角栄、角栄と言えば議員立法。この言葉が人口に膾炙したほど角栄は議員立法の権化であった。
角栄は陣笠時代(昭和20年台)、八年間に、なんと二六件もの議員立法に提案者として参画した。我が国の議会史に例を見ない。
田中角栄が初当選したのが昭和二十二年。早くも二十五年には国土総合開発法を作った。次いで、
電源開発促進法・・抜く手も見せぬ議員立法。日本の進路を決める重要な法律が三十代の代議士の手によって陸続と作られていった。
田中角栄は、討論によって議会を制し、議員立法によって日本再建を推進していった。
それとともに、角栄の地位も右のように鰻上り。
これぞ立憲政治。これぞデモクラシー。
議院内の活動こそ、議員評価の最大の基準である。選挙民もこれをもって議員を評価し、院内の地位も、これによって定まる。
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20頁、02/4/16 8時22分
こうこなくては、議会政治は作動しない。デモクラシーは機能しない。
人々は今太閤・角栄に出世をサンギョウして問う。何故に角栄は、かくも立身し得たるや、と。著者答えて曰く。
デモクラシーが健全に作動したればなり、と。
今では、角栄的出世は、まったく不可能である。
若くして初当選し、当選を重ねて年功を積み重ねるのは、ニ世議員、三世議員であって、
門閥なき角栄的人物の出る幕は、きわめて乏しくなりきたった。
昭和三十年、国会法第七八条が「実益のない制度として削除され」て以来78ページ参照)、自由討議の機能は国会で永遠に失われた。
討議による議員立法は角栄より後、漸次、零に収束していった。
今や、議員も政府も、その発言たるや、官僚が書いた原稿の棒読みとなった。「討議」は、官僚作のシナリオどおりに演じられるだけ。
形式化した議長発言までが官僚の原稿どおり。
このたびの平成大不況の風は、九一年夏の終わり頃から吹き始めた。もしやバブルが萎みはじめて不況がくるのでは。
人々は、政府の正しい予測に聞き耳を立てた。
実地の人びとの危惧を尻目に、政府の役人は平気の平左。これは不況なんかではない、国民よ安心せよ。当時の経済企画庁長官・某代議士の発言・・「景気は穏やかに減速しつつ、引き続き拡大している」は、今に伝えられる歴史的迷言。
その後の景気の行く末は、ご存知のとおり。その後の役人の景気予測は、これもご存知のとおり。外れて外れて、外れまくった。
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21頁、02/4/16 8時50分34秒
これほどまでに外れまくった景気予測。国民に大迷惑をかけた責任の追及は・・すべての鉾先は、役人に向けられたのだった。
すなわち、政府の景気予測の発表者、経済企画庁長官某代議士を批判したものは誰もいなかった。
すべての批難と責任追及は、吉冨勝氏(下経済企画庁研究所所長)に集中した。
どうせ大臣・代議士の発言なんか、役人の口移し。傀儡を攻撃してもはじまらない。責任は傀儡師にあり。
人びとはみんな、こう思ったからであった。例は一つで充分だろう。責任のない木偶の業績は、評価のしようもあるまい。
かくて、議院内討論を通じての議員活動は、評価の対象でさえなくなった。議員が無気力、無能力な投票機械に堕したのでは、
権力が議会を去るのは当然ではないか。
あたかも、頼山陽が論じているごとく、平安末期以降、権力が朝廷を去ったように。
欧米のデモクラシー期における議会と比較しても見よ。
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チャーチルは、大学へも行けない劣等生であり、はぐれ青年であった。それなのに、ひとたび議会に入るや、メキメキと頭角を現し、
あっという間に大臣となった。さらに、ひとたび大臣となるや、たちまち彼の真価は発揮され、スウヨウナ大臣を歴任し、
四十歳そこそこで副総理(英国では大蔵大臣)になった。
めくるめくスピード出世の理由は、彼の雄弁にあった。と言っても海部(元総理)流に「弁が立つ」と言うのではない。
政府に対する質問が的を射、含意が深かったからである。
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22頁、02/4/16 9時15分56秒
大臣になって以後は、答弁が適切で、識見が高い政策が、有効であることが立証されたからである。
では、英国最大の首相と評されるディズレーリの場合は、どうか。
門閥全盛の階級・階層社会、英国において、まったくの門地を欠き、当時、被差別はなはだしきユダヤ人出身の彼が、
何故に首相までのぼりつめ得たのか。
議会における雄弁である。雄弁によって大英帝国を獲らしめたところに、極盛期英国立憲政治の真骨頂を見る思いがするではないか。
これによりこれをみるに、議会における言論の意義、角栄の偉業、かくぜんとしてくるであろう。
本書は、古今東西の歴史に懲して、言論の自由こそデモクラシー、立憲政治の要諦である。このことを徹底的に論ずることからはじめる。
次に役人が政治を操るということの恐ろしさ。このことは、冒頭でも述べたように、
軍人官僚が日本を誤らせたことによっても推察されると思うが、最も決定的で重要な点は何か。
役人は、与えられた状況の下において、与えられた法の下においてしか行動が出来ないことである。
換言すれば、与えられた運命に完全服従すると言う、どうしょうもない性質を持っている。
ところが、政治家として一番大切なものは、運命をいかに駆使するのかと言うこと。予測することの出来ない激変に、いかに対処するかである。
このことこそ、マキャヴェッリが最も強調することであるから、マキャヴェッリを想起しつつ、
その範例としてナポレオンについて観察することにした。
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23頁、02/4/16 9時43分
運命を駆使し、国民生活を安定させること。これが、政治家の最大の任務である。それはマキャヴェッリや、
中国で言えば法家の思想であると言われるかもしれない。
だが、必ずしもそうではない。孔子、孟子をはじめ、日本人が大好きな儒教の思想においても、政治家にとって一番大切なことは、
国民生活を安定させて、国民に秩序を与えることにある。
このように考えきたれば、角栄の功績がいかに大きく、その功罪の「罪」は、「功」に比べれば比較にならないくらい小さいものであることに、
思いが至る。
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日本のデモクラシーの死
最後に、戦後最大の政治家・田中角栄を葬った、あの暗黒裁判を分析し、
日本の裁判制度がいかにデモクラシー裁判とかけ離れたものであるかを証明する。
デモクラシー裁判においては、状況証拠がいかに揃おうと、確定的証拠がなければ、絶対に無罪である。
デモクラシー裁判の最大の目的は、国家と言う巨大な絶対権力から国民の権利を守ることにあり、
裁判とは検事に対する裁判である。検事は行政権力の代理者であって、強大この上なき絶対権力を背景にしている。
だから、検事が持ち出す証拠のうち一点でも疑問があれば、これは無罪。
たとえ、仮に証拠そのものが確実であったとしても、書庫を集める方法において少しでも法的欠点があれば、これも無罪。
これが、デモクラシー裁判の考え方である。そうしなければ、もう恐ろしいことに限りない。
国家権力から国民を守りきれないではないか。
にもかかわらず、田中角栄はロッキード裁判の一審、二審において、刑事免責されたコーチャン証言を根拠に、
しかも反対順門の機会を与えられずに有罪とされた。これがデモクラシーの死を意味することを、日本国民は知らなければならない。
02/4/16 10時1分57秒
(以下、略)
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