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http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20100910-00000000-bshunju-pol
仙谷・枝野切りの要求を拒否した菅。小沢は追いつめられて出馬した――
「本当に微力の不肖の身ではありますが、きちんと正々堂々と選挙戦に臨んで参りたい」
翌日に代表選告示を控えた八月三十一日、首相・菅直人との会談を終えたばかりの民主党前幹事長・小沢一郎は、憮然とした表情で正式に立候補を表明した。
その前夜、小沢と菅の“伝書鳩”と化した前首相・鳩山由紀夫が菅との会談に臨み、小沢と菅、鳩山の三人による集団指導を意味する「トロイカ体制」を維持することで一致し、全面戦争回避の可能性が高まっていた。
「ポストは要求しない。人事は総理の判断でおやりください。トロイカ体制の維持で小沢さんはいいと言っている。私が責任を持ちます」
全面降伏に近い鳩山の言葉に疑心暗鬼になりながらも、菅は小沢がそれで降りるなら鳩山の仲介に乗るつもりだった。
菅は鳩山との共同会見後、帰路に着こうとした鳩山を追いかけていき、深々と頭を下げた。
「本当にありがとうございました。本当に……」
だが、小沢の腹は違った。
鳩山は“伝書鳩”にもなりきれていなかった。ロシア訪問を挟んで三回も鳩山は菅に会ったが、菅の側近たちの間からは、「鳩山さんは一体何をしたいのかわからない」という戸惑いの声が広がっていた。二転三転した小沢出馬を巡る迷走は、菅と小沢の両方に都合のいい説明を繰り返し、姑息にも「トロイカ体制」で自らの復権をも狙った鳩山の空騒ぎに過ぎなかったのだ。
「普天間問題と同じだ。アメリカと沖縄の両方にいい顔をして行き詰った」
騒動が終結した後、ある民主党議員が吐き捨てた。
■「仙谷だけは許せない」
「結婚というのは、するまでが一番楽しいんだよな」
八月二十五日夜、東京・赤坂の中華料理店「四川辣房(しせんらーぼう)」。行きつけの庶民的な店で麻婆豆腐を頬張りながら、小沢が秘書につぶやいた。二〇〇三年、民主党と自由党が「結婚」したときの党首は菅と小沢自身だった。小沢の言葉には、菅に三行半を突きつける、つまり自らが代表選に出馬して菅と対決する――という意志が込められていた。この直前、菅と鳩山の一度目の会談が行われていた。
「現在の政策、人事シフトを小沢さんは快く思っていない。挙党一致の態勢を組んでもらえないか」
こう切り出した鳩山に菅が応じた。
「それでは、鳩山さんと小沢さんは最高顧問でどうでしょうか」
実権のない閑職の提示だった。小沢と鳩山は菅の言葉を「ゼロ回答」だと受け止めた。
翌朝、小沢は早朝に東京・六本木の鳩山事務所を訪れ、鳩山と会談した上で、最初の出馬表明をしたのだ。
「親方は出ないんじゃないか。出馬をはやし立てる山岡(賢次)や松木(謙公)の顔を立てるのも疲れてきたよ」
「菅との条件闘争になり、選挙にはならないんじゃないか」
小沢の出馬表明の四日前、東京・深沢の小沢邸に程近いファミリーレストラン「華屋与兵衛駒沢公園店」。家族連れで賑わう日曜日の店内の片隅に、見るからに場違いなスーツ姿の男五人が額を寄せ合っていた。
小沢の元秘書で側近の衆院議員・樋高剛と川島智太郎、やはり元秘書で政治資金規正法違反の罪で起訴されて民主党を離党した石川知裕、そして現役の秘書も含む「小沢軍団」の面々だった。
「鳩山グループは菅に流れるのではないか。現状ではこっちは百五十人程度で、過半数ラインには届かない」
この見立てに反論する者はなく、厭戦ムードが漂っていた。側近たちも、直前まで小沢の真意を掴みあぐねていた。
その二日後の二十四日午前、東京・赤坂にある小沢の個人事務所を、小沢のお膝元で「城代家老」を務める岩手県知事・達増(たっそ)拓也が訪れた。
「反小沢というのは、一種の病気です。そんな政治家には理念も政策もない。日本全体が死に至る病いです。私は昨日の小沢政治塾の講演で『小沢先生が総理になっていない事実が日本の遅れを表している』と話してきたばかりです」
達増が遠回しに出馬を促すと、小沢は「はははっ」と笑いを浮かべ、冷たい麦茶を一気に飲み干した。テーブルには、元防衛事務次官・守屋武昌が綴った「『普天間』交渉秘録」が置かれていた。
小沢は「いいことを塾生に話してくれたな」と応じ、こう続けた。
「国から地方への財源移譲で改革を抜本的に進めれば、月二万六千円の子ども手当だって賄えるんだ。国民の期待に応えていかなければ民主党は見放される」
小沢の動きが本格化したのは達増と会った日の夜だった。東京・紀尾井町のホテルニューオータニ六階にあるダイニングバーの個室。小沢は樋高とともに、鳩山と前官房長官・平野博文に向き合った。小沢は胸に秘めていた思いを吐き出すかのように、一気に語り始めた。
「我々が辞めて支持率が回復したにもかかわらず、あの消費増税発言で参院選は四十四議席。辞めても辞めなくても同じような数字だったじゃないか。それに、なぜ菅は落選した法相・千葉景子を辞めさせないのか。挙党態勢を作らなければならないのに、菅内閣は鳩山内閣の居抜きだ。私が唱えた主張や政策もどんどん消えていく。民主党の衆院選マニフェストを実行するにはどうしたらいいか」
そして小沢はこう言った。
「鳩山さんに調整を一任したい」
鳩山が菅との仲介役を務める意向を示すと、小沢は核心に踏み込んだ。
「仙谷だけは感情的に許せない。公明党とのパイプ役も担えないだろう」
キーワードは「仙谷」と「公明党」だった。
幹事長・枝野幸男は無論のこと、「反小沢」の親玉である官房長官・仙谷由人を切り、小沢サイドにポストを明け渡せば、菅の再選支持もやぶさかではない――。そして、参院で野党が過半数を占める「ねじれ国会」では公明党の協力が欠かせなくなる。二〇一一年度予算や予算関連法案の成立を睨んだとき、自分以外に公明党・創価学会との調整を図れる人間はいないという自負が小沢にはある。
実際、七月二十八日に行われた創価学会の極秘会議「最高協議会」では、民主党とのパイプ作りが主要なテーマとなったが、かつて学会批判の急先鋒だった菅や仙谷は「仏敵」であり、「実質的な交渉ができるのは小沢しかいない」と、小沢の復権を期待する声が相次いでいた。
ちょうど七年前の二〇〇三年夏、民主党代表だった菅と政調会長だった枝野は、小沢率いる自由党との合併をめぐって激しいやりとりを交わしている。
枝野「小沢とは一緒にやっていけません。一緒になるなら私にも考えがあります」
菅「お前の気持ちは分かるが、感情が政治的な判断を鈍らせる時もある」
枝野「感情じゃない。政治観、政治論の問題です」
菅「小沢さんの破壊力はとてつもないものがある。放っておけばこちらに向いてくるかもしれない。民主党がそれに耐えられるか分からない。一緒になって矛先を自民党に向かせておいた方がいい」
自らの力では抵抗不可能な敵に対峙した際、恐怖感を解消するために、その敵側にまわって同じような振る舞いをとる「恐怖との同一化」と呼ばれる心理的な現象が起きることがある。一種の自己防衛本能で、子供が真夜中にトイレに行くときに幽霊のまねをするのが典型的な例だ。小沢と手を組もうとする菅の理屈は、一見、非常に現実的な戦術論に見えるが、実はこの「恐怖との同一化」の側面を併せ持っていた。
自由党との合併以後、小沢の自宅で開かれる新年会に顔を出すなど、唯我独尊で知られる菅にしては神妙なほど、この七年間小沢に気を使い続けてきた。
一方で、菅は小沢の政治とカネの問題や米軍普天間飛行場移設をめぐる迷走で鳩山の政権運営に行き詰まりが見えてきた今春、自らの登板を予期するかのように、親しい関係者にこう語っている。
「小沢さんから担がれた首相は、みな自分のしたいことが何もできないまま哀れな最期を遂げている」
関係者は「自分が首相になったら小沢さんとは一線を画すつもりだな」と受け止めた。
菅は「小沢と対峙することの恐怖」と「小沢に担がれることへの躊躇」の狭間で揺れ動いていた。だが、六月の首相就任時に「脱小沢」を鮮明にし、自ら小沢と対峙する道を選んだ。参院選の結果がどうであれ、いずれ恐れ続けた小沢との全面対決は避けられなかった。
■枝野は「俺が辞めてもいい」
二十六日、小沢が出馬表明したとのニュースを聞いた菅は「やっぱり」とつぶやき、顔をこわばらせた。
その日の夜、菅は恐怖心を乗り越えるかのように、あえて自分を戦闘モードに切り替えて、側近の二人の首相補佐官・阿久津幸彦、寺田学に宣言した。
「人事の要求を呑んで再選しても、二重権力構造になる。これで良かった。すっきりする」
当初、菅陣営は小沢の出馬表明前、枝野を交代させれば小沢の出馬はないと踏んでいた。枝野自身、惨敗した参院選直後に辞任するつもりだったが、仙谷に引き留められた。小沢との全面対立を回避するには「最後は俺が辞めればいいんだろう」と周辺に公言していた。
主戦論と代表選回避の両面作戦を取っていた仙谷も、幹事長交代で折り合いをつける腹だったが、問題は後任だった。小沢サイドは小沢自身もしくは山岡などの側近でなければ納得しないだろう。幹事長辞任までは譲れるが、その後の人事で折り合いがつく見通しはなかった。
人事をめぐる調整は平野が担い、菅は平野に「小沢や側近が就かない」との条件で幹事長ポストを渡すところまで降りた。しかし小沢側は平野を通じ、官房長官や政調会長の交代まで要求をエスカレートさせた。事実上、人事権の委譲を求めたのだ。菅が決別を宣言した「二重権力」そのものだった。両陣営の軋轢(あつれき)は水面下で広がっていき、仙谷は鳩山グループ分断のために、鳩山グループ会長・大畠章宏に接触するなど画策を図った。
もはや、菅も小沢も一歩も引けなくなっていた。
小沢が最終的に代表選出馬を決断した背景には、十月にも判断を出すとされる検察審査会の存在もあった。四月に引き続き、二回目の議決でも起訴相当と判断されれば強制起訴される。だが憲法七十五条は「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない」と規定している。
小沢は問題となった東京・深沢の土地など、小沢の政治資金管理団体「陸山会」が所有する不動産を中立的な財団法人に寄付することも視野に入れている。検察審査会の心証をよくする目論みだ。
起訴相当の議決を免れるのが最善で、そうでなければ首相、もしくは他の誰かを首相に担いで自身も入閣し、大臣の特権で訴追を免れたいのではないか――。
小沢が師と仰ぐ元首相・田中角栄はロッキード事件で一線を退いた後、キングメーカーとして君臨した。だが、首相を目指さない領袖の求心力は次第に低下し、田中派の分裂を招くなど晩年は往時の栄華とは対照的だった。追いつめられた小沢にとって、田中と自分が二重写しになっていたとしてもおかしくはない。
代表選は党所属国会議員、地方議員票に加え、一般党員やサポーターも参加する。党員・サポーター票は国会議員票の三割以上の影響力を持つ。小沢は報道各社の世論調査で菅に大きく水をあけられており、世間の視線は冷淡だ。
国会議員票は最大勢力の小沢グループが約百五十人。首相サイドは菅、国交相・前原誠司、財務相・野田佳彦のグループを合わせて計約百二十人。鍵を握るのは約六十人の鳩山グループ。鳩山は小沢陣営の選対本部顧問に就いたが、グループがまとまる保証はない。実際、八月二十四日の鳩山グループの幹部会合では十四対一で菅支持が圧倒的だった。
旧社会党系グループ(約三十人)、旧民社党系グループ(約三十人)、羽田グループ(約二十人)も表面上は小沢支持が多数を占めるものの、世論の逆風を受ける小沢への支持に心理的なブレーキがかかるとの見方は少なくない。
民由合併から七年、菅と小沢の最終決戦はどんな決着を見るのか。小沢総理が誕生するのか、それとも敗れた小沢が党を割り民主党は分裂するのか――。
賽は投げられた。 (文中敬称略))
(文藝春秋2010年10月号「赤坂太郎」より)
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