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市民運動家が権力を手にした途端…
僕の手元に、1992年5月刊行の「復刻 私の国会報告 市川房枝」が有ります。53年〜81年の五期25年間、無所属の参議院議員を務めた市川女史の「簡素なパンフレット」計26冊を、生誕100年記念事業で一括上梓(じょうし)したものです。
「菅氏は昨年(1976年)12月5日の衆議院選挙の際、東京都第7区から無所属候補として立候補した。この時は立候補を内定してから私の応援を求めて来た。彼等の意図は理解するが、衆議院の無所属は賛成できないので推薦応援はしなかった。然(しか)し50万円のカンパと、私の秘書、センター(民主政治をたてなおす市民センター)の職員が手伝えるよう配慮し、『自力で闘いなさい』といった。ところが選挙が始まると、私の名をいたる所で使い、私の選挙の際カンパをしてくれた人たちの名簿を持っていたらしく、その人達にカンパや選挙運動への協力を要請強要したらしく、私が主張し、実践してきた理想選挙と大分異っていた」。
その7ヶ月後の参議院選挙に今度は社会市民連合から立候補する菅氏に、「7月10日の参院選挙に対する私の立場」と題して市川女史は、「衆議院で落ちたから参議院に出る、それも無所属が望ましいのに、社会市民連合という政党に参加したのは賛成しがたい」と苦言を呈し、「彼は彼の代表している『参加民主主義をめざす市民の会』の総会で、『会に相談なく、会が参加しているように誤解させた』ことを責められ、退会したと新聞に出ていたが、それはきわめてまづい。彼の大成のために惜しむ次第である」と“正辞”(せいじ)しています。
星霜(せいそう)を経て去る4日、「原点を大事に忘れないでいきたい」と新宿駅西口での街頭演説前、代々木の市川房枝記念会を久方振りに訪れた菅氏は、「政治と浄化を訴えつづけられた市川先生の思いをこれからも大切にしてゆきます」と記名帳に記しました。
「理想なき現実は、ひたすら欲望を追求し、打算と腐敗をつくりだす。私たちが見せつけられているのは・・・市民運動家が権力を手にしたとたん、権力闘争が習い性となってしまった凡庸(ぼんよう)な俗人の顔である」。
その洞察力と筆致力に予(かね)てから一目も二目も置く作家の高村薫女史が既に先月上旬、「AERA」誌の連載で看破していた一節を、文筆に於いても政治に於いても凡俗に過ぎぬ僕は、復誦(ふくしょう)しました。
カテゴリー:日刊ゲンダイ にっぽん改国
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