http://www.asyura2.com/10/senkyo94/msg/440.html
Tweet |
http://fusenmei.cocolog-nifty.com/top/
小沢一郎は自分が総理大臣に就任した暁には記者会見をオープンにすると断言している。ところがこれについて言及している大手メディアはない。日頃、小沢一郎をオープンでないと非難しているメディアは、記者クラブ主催のクローズドな会見がオープン化されるのがよほど気に入らないのだろう。
また、小沢が総理になれば新聞、テレビのクロスオーナーシップの問題にも手をつけるだろうし、さらに官房機密費というカネと政治記者、ジャーナリストの関係もオープン化される可能性がある。つまりメディアにとって小沢総理誕生は既得権益を奪われた上に過去の悪事が晒されるという最悪の事態、悪夢が現実のものとなる事態だ。
現状、それをなんとしても阻止するのが全メディアの一致した至上命題なのであって、その本性が日に日に露わになっていく。昨日の朝日新聞の天声人語。これがひどかった。
=憂き世の日々に埋もれて、たまには温泉へ=
都市伝説で名文とか勘違いされ続けて来た朝日新聞の「天声人語」だが、その素晴しき哲学、倫理観のなさを7日付けコラムで晒してくれてた
「民意という川は、菅さんを浮かべ、小沢さんを沈めたがっていると見ていいだろう」
「だが小沢さんの出馬には、どこか「私闘」の影がさしていないか。権力ゲームでジリ貧になる焦りから勝負に出たような――。このあたりの陰影に人は鈍くはない」
まあひどい表現であるが、つまるところ朝日新聞は「菅さんを浮かべ、小沢さんを沈めたがっている」のであって、そこには全面的に「私闘の影がさして」いる。既得権益が「ジリ貧になる焦りから勝負に出た」のであろうが、ネット時代の今、「このあたりの陰影に人は鈍くはない」と言えるだろう。
そして今日の朝日新聞社説。
*****
民主党議員へ―派閥の論理と縁を切ろう
民主党の国会議員に望みたい。今回の党代表選は事実上、日本の首相選びである。国民に代わって選択する極めて重い責務を委ねられている。その自覚を持って、自分自身で悩み、投票先を決めてもらいたい。残念なことに、責務への自覚が足りないのではないかと疑われる発言が、いかにも無造作に飛び出している。「私は小沢一郎さんに、総理にまで導いていただいた。ご恩返しをすべきだ」という鳩山由紀夫前首相の発言が典型である。一個人としてなら恩返しは美徳だろう。しかし、一国の最高指導者を義理や私情で選ばれたのでは国民はかなわない。自分だけならまだしも、グループの仲間にも同調を呼びかけている。鳩山氏に限らず、選挙で世話になったから、などと聞かされると、あまりに内向きの発想に驚かざるをえない。
理想論だけでは政治はできない。そんな一面があることは否定しない。首相になるには数が必要だ。そのために自民党の派閥領袖(りょうしゅう)は資金集めに奔走し、選挙やポストで便宜をはかり、兵を養ってきたではないか、と。しかし、日本の政治はその改革の歩みの中で、「数の論理」「派閥の論理」を乗り越えようと試みてきた。(※1)
中選挙区制では一選挙区に同じ党の候補が複数立ち、派閥対抗で争った。小選挙区制に改めれば党と党の戦いになる。サービス合戦は政策競争に変わり、公認やカネ配りの権限も執行部に移り、派閥の存在理由は薄れていく。かつて政治改革はそんな絵を描き、現実もそう変わりつつある。にもかかわらず、党内に巨大な議員集団を作り上げたのが小沢氏である。民主党と合流したころの自由党は30人ほどだったが、いま小沢グループは約150人。代表や幹事長として選挙や資金の実権を握り、党の力を背景に手勢を拡大していく姿は、改革の狙いからは明らかに外れている。(※2)幸いどのグループにも、上の方針をうのみにせず自分で考えようとしている人々がいる。態度を公表していない議員らが両候補の公開討論会を近く開くのも、それぞれ判断材料を得るためだろう。当然のことだが評価したい。支持者に意見を求めながら、共に悩んでいる議員もいる。それも歓迎だ。恩返しというなら、世話になった党の幹部よりも、一票を投じてくれた選挙民を大切にする方が筋が通る。いっそこの際、各グループこぞって自主投票を決めてはどうか。民主党への評価が高まるに違いない。本来なら、総選挙を通じ有権者が直接、政権党と首相を選ぶ時代である。派閥の論理とはきっぱり縁を切ろう。あくまで有権者に基盤を置きつつ、自らの頭で考え投票する。それでこそ議員は「国民代表」の名に値する。*****
ここまでくるとこれは論説ではなく、ただ単なる自分たちの願望を勝手な論理で民主党議員に対して訴えているだけだと私は思う。ま、それだけ必死なのだろうが、、、
(※1)しかし、日本の政治はその改革の歩みの中で、「数の論理」「派閥の論理」を乗り越えようと試みてきた。
私はこれが何を言いたいのかわからない。だって民主主義は最終的には数の論理でしょう。数がなければ通る法案も通らない。今夏の参議院選挙は民主党にとって政権運営を安定的なものにするために必要不可欠なものだったにもかかわらず大敗してしまった。参議院で数の力を失ってしまうということは、昨年夏の衆議院選挙での大勝の価値を半減(それ以下かかもしれない)させてしまうものである。その数の論理を否定するということは、要するに朝日新聞は民主主義を否定しているということだろう。
(※2)民主党と合流したころの自由党は30人ほどだったが、いま小沢グループは約150人。代表や幹事長として選挙や資金の実権を握り、党の力を背景に手勢を拡大していく姿は、改革の狙いからは明らかに外れている。
ヴァカか!そもそも民主党は数が足りないから政権をとれなかったのである。だから政権交代可能な数の候補者を擁立し、その候補者たちを当選させるべく小沢一郎が全力を傾注したのは代表や選挙担当の代表代行(衆議院選挙当時)、幹事長として当たり前の職務を遂行したまでのことだ。しかも最大限の結果を出した。これは褒められることであっても貶されることではまったくない。
「代表や幹事長として選挙や資金の実権を握り」党勢を拡大させて政権交代を実現したことのどこが悪いのか?ところがこの文章の悪どいところは、「代表や幹事長として選挙の資金の実権を握り、」(A)に続くのが「党の力を背景に手勢を拡大していく姿は」(B)となっているところである。
小沢が「選挙や資金の実権を握って」行ったのは参議院選挙や衆議院選挙で自民党に勝つことである。結果、所属議員が増えた。ところが(A)を受けた(B)ではそれが「手勢を拡大していく」ことにすり変わっている。だからよくよく読むとこの部分は何を言っているのかよくわからないが、要するにこのような文章を仕立て上げることで大雑把な印象として「小沢はカネと数の力で党内を支配しようとしている」という“空気”を作っているのだろう。
そしてその“空気”を民主党の議員たちにバラ撒いて「小沢に投票するな」とアジっている。この論理のハチャメチャさ、小沢に対する因縁のつけ方は、もはやチンピラヤクザ並といっていいだろう。
ところで、
昨日、久しぶりに図書館で朝日新聞の紙面全体を見てみた。そして改めて驚いたのは通販広告の多さだ。広告面はほとんど出版社の書籍、雑誌の発売広告か通販の広告しかない。書籍、雑誌については媒体社がどのぐらいの料金を払っているのかわからない。ただこの業界はお人よしだから新聞社側から見れば一時よりも料金は下がっているだろうが、それでも依然としてネット率(設定された広告料金に対して新聞社側に入ってくる実際のお金)の高い客である可能性が高い。一方、通販会社はもともとは朝日などはほとんど相手にしていなかった客である。原稿がきれいではないし、客側が望んでいる料金は朝日から見ればとてつもなく安い。ところが、もはや家電や自動車といったかつての気前のいいクライアントは新聞には出稿しなくなってしまった。アホのように利益率の高い客はいなくなってしまったのである。こうなると背に腹はかえられないから、広告料金を下げてでも通販会社の広告を掲載するようになる。
通販会社というのは非常に費用対効果(ROI)を見る目が厳しいクライアントである。それでも、これまで広告を出せなかった朝日に出稿できるなら、、、ということで最初は多少、割高でも(朝日としては割安にしたつもりだが)広告料金も支払うだろう。そして最初のうちはそれなりのレスポンスがとれる。
しかし、何回も出稿しているうちに必ず費用対効果が合わなくなる。そうなると、クライアントは広告料金の値下げをしてくれと言い出す。最初のうちはこれを拒否することもできるが、そのうち「だったらもっと安いところに出す」とクライアントが言い始めると、値段を下げないわけにはいかなくなる。そうやって広告料金はどんどん下がっていく。
いま朝日新聞の広告局はこのスパイラルに陥っているはずで、広告収入が激減している営業現場は相当に焦っているはずだ。しかし、そんなことを何も知らない編集局の人間は、今日もデタラメな記事をバラ撒いて読者の信用を日々失っている。
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK94掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。