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毎日新聞(2010年9月4日)よると、細野豪志幹事長代理が、「小沢氏支持」を表明したらしい。最近、小沢一郎に近いとか、小沢側近とか言われていながら、本来は前原グループの一員であり、しかも菅直人政権下でも幹事長代理の要職にある細野豪志が、ここで、原口一博総務大臣に続いて、「小沢支持」を明確にした意味は小さくない。おそらく、マスコミが垂れ流す「反小沢情報」の洪水の中で、態度を明確にしていない100人前後の中間派の議員達の動向に少なくない影響を与えるはずだ。
***民主党の細野豪志幹事長代理は3日、党代表選で小沢一郎前幹事長に投票する意向を表明した。静岡県函南町で記者団の質問に答えた。細野氏は前原誠司国土交通相のグループに所属する一方、小沢氏にも近く、「いろんな人間関係を乗り越え、政策で判断した」と語った。***(毎日新聞(2010年9月4日)
ところで、僕は、テレビや新聞をあまり見ないし、また読まないので、すべてを把握しているわけではないが、やはりテレビや新聞を中心とする伝統的メディアの、今回の民主党代表選報道における偏向振りは、黙認できないほどひどいと思われる。たとえば、昨日の朝日新聞の「天声人語」を、昨日は休みだったものだから、行きつけの喫茶店でゆっくり読んでみたのだが、これが、何気なく傍観者風に書いているようなのだが、よく読むまでもなく「小沢一郎批判」で終始しているのには正直のところ驚愕した。
***小紙の世論調査では65%が菅首相をあげ、小沢前幹事長は17%だった。他紙も似た傾向のようだ。民意という川は、菅さんを浮かべ、小沢さんを沈めたがっていると見ていいだろう。民主的なコントロールとは、素人である大衆の方が、結局は、しがらみに巻かれた玄人より賢い結論を出す、という考え方で成り立っている。(「天声人語」)****
言うまでもなく、ここに書かれているものには、多くの隠蔽と演技・偽装がある。もうすでに常識化していることだが、新聞の世論調査というものが大衆の意見だという思い込みである。あるいは、新聞社の行なう世論調査なるものが正確に大衆の意見を反映していると思い込ませようとする意思である。
新聞やテレビの情報発信力も影響力も、今やネットやブログの台頭によって危機的状況に追い詰められ、追い越されようとしていると言われているが、このコラムの筆者は、ネットやブログの世論調査なるものの存在をまったく無視し、黙殺し、つまり隠蔽しようとしていることがわかる。
新聞の世論調査なるものはたしかに「65%が菅首相、小沢前幹事長が7%」であるかもしれないが、ネットやブログによる世論調査ではこれが逆になっているという事実を、つまり「65%が小沢、菅直人が17%」という事実を無視して、民主党代表選の世論調査なるものと、大衆の意見を論ずるのは、片手落ちというものである。
新聞の世論調査が対象にしている大衆も、ネットやブログが対象にしている大衆も同じ大衆である。新聞の世論調査が正しく、ネツトやブログの世論調査が間違っている、とは言い切れない。新聞社の人間としてはそう思いたいかもしれないが、しかし、それこそ、むしろアナクロニズムというべきだろう。
「他紙も似た傾向のようだ。」と言うが、何故、そこで他紙の世論調査だけを持ち出して、ネットやブログの世論調査の数字を出さないのか。あるいは、こうも言えるだろう、新聞の世論調査が各紙とも揃って同じような「数字」を示しているということは、それこそ、何やら操作的、作為的な匂いがして、世論調査としてはかなり怪しいと言うべきではないのか。
ここには二つの隠蔽がある。一つは、新聞のライバルとして台頭してきつつあるネットやブログの世論調査の隠蔽であり、もう一つは、新聞の世論調査における情報操作の可能性の隠蔽である。「天声人語」の筆者が、それらを知らないはずがない。ただ無視し、隠蔽したいだけであろう。さて、もう一つの問題を指摘しておこう。それは、「玄人(政治家)」の意見より、「大衆」の意見の方が正しく、的確であるという偏見である。
僕も、大衆の集合的無意識とも言うべきものを重視することにおいては人後に落ちないが、しかし、「民主的なコントロールとは、素人である大衆の方が、結局は、しがらみに巻かれた玄人より賢い結論を出す、という考え方で成り立っている。」とまで言うつもりはない。おそらく、このコラムの筆者は、新聞の世論調査は菅直人が圧倒的に優勢だが、民主党の議員達の間ではそうではない、という現実を知っているが故に、こういう話を持ち出してきているのだ。
要するに、「小沢政権」を何としても潰したいのである。思わずホンネを出したと思われるが、こんなことも書いている、「だが小沢さんの出馬には『私闘』の影がさしていないか。権力ゲームでジリ貧になる焦りから勝負に出たような−。このあたりの陰影に人は鈍くない。」と。むろん、小沢一郎は、「強制起訴」を逃れるために立候補したのではないか、というわけである。
これは、語るに落ちると言うべきだろう。政権交代後の政治主導、普天間基地海外移設、消費税増税反対、財政出動による景気回復、地方分権の推進、従米属国的な植民地主義批判(対米自立)・・・。小沢一郎が、菅直人が首相に就任後に行なおうとしている政策に対して、ことごとく反対の立場に立っていることは明らかである。
ネットやブログには多くの「小沢ファン」なるねのが存在するが、彼等は小沢一郎の「私闘」を支持しているわけではない。小沢一郎に、日本再生に向けての政治改革と強力な経済政策の断行を期待しているのだ。朝日新聞の「天声人語」の筆者は、そういう問題を無視、隠蔽して、今回の民主党代表選をたんなる「私闘」の次元で解釈したがっているのだろう。
むしろ、朝日新聞を初めとする大手新聞は、「小沢内閣」の誕生を恐れていると言うべきだろう。その意味で、朝日新聞の「天声人語」こそ私闘そのものであり、私怨に満ち満ちていると言わなければならない。いずれにしろ、朝日新聞の社会的使命は、すでに終わっていると言って間違いない。
■朝日新聞「天声人語」( 2010年9月7日(火))
選挙のことを「デモクラシーの祭り」と言ったのは英国のH・G・ウェルズだという。SF作家として知られるが、すぐれた文明批評家でもあった。その「祭り」が残暑の日本で佳境に入ってきた。しかし一般の国民は踊りの輪には入れない▼この「首相選び」は政治史に残るだろう。だが、祭りばやしが高鳴るほど隔靴掻痒(かっかそうよう)の思いは募る。〈いつの日か直に決めたい国の顔〉と先の川柳欄にあった。「直に決めた」といえる去年の祭りを、むなしく遠く思い出す方もおられよう▼さて、どちらが首相にふさわしいか。小紙の世論調査では65%が菅首相をあげ、小沢前幹事長は17%だった。他紙も似た傾向のようだ。民意という川は、菅さんを浮かべ、小沢さんを沈めたがっていると見ていいだろう▼民主的なコントロールとは、素人である大衆の方が、結局は、しがらみに巻かれた玄人より賢い結論を出す、という考え方で成り立っている。バッジ組は、新人議員とて利害損得の渦中にあろう。民意が遠吠(とおぼ)えにすぎないとなれば、むなしさはいや増す▼もとより政治は対立を前提とする。そして政治家とは対立の中で勝者をめざす人たちだ。だが小沢さんの出馬には、どこか「私闘」の影がさしていないか。権力ゲームでジリ貧になる焦りから勝負に出たような――。このあたりの陰影に人は鈍くはない▼去年の祭りでの熱を帯びた参加は、たった1年で村祭りの傍観に変わってしまった。頼りなげな清廉にせよ不人気の剛腕にせよ、選ばれるのは村の顔役ではなく、国の顔である。
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