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今日の新宿西口での演説会、すごい熱気だったそうですね。
***それにしても、今日の新宿西口での小沢候補対する歓声には鳥肌がたった。あそこまで熱狂的な声援は見たことがなかった。ニコニコ動画生出演にも同行したが、約8割の方が小沢支持だった。マスコミの情報とのギャップが気になる*****
http://j.mp/c0v6Cg
小沢氏の存在が、はしなくも、マスコミの虚偽を白日の下に暴いているわけです。戦時下のマスコミの翼賛報道が、どんなに虚偽に満ちたものであり、国民を塗炭の苦しみに陥れるその一翼を担っていたのかが、現在では常識として語られるように、全マスコミをあげて、ひとりの政治家の言動を「すべて悪意に解釈して解説をほどこす」(世川行介「泣かない小沢一郎が憎らしい」巻頭言より)行為は、きっと、数十年のち、いや、もっと早く、日本言論界の「汚点」として語られることでしょう。というか、語られるような健全な世の中が、形づくられていなければなりません。
日本のジャーナリズムは、どうしてこんなに腐敗してしまったのでしょうか。というより、もともとあった腐臭を、消臭剤かなにかで糊塗していたのに、ここにきて、隠し切れなくなってきた、ということなのでしょうか。1971年の外務省機密漏洩事件、いわゆる「西山事件」に材をとった、事実に基づく小説「運命の人」(山崎豊子)を読むと、与党の実力者に深く癒着する、大新聞の政治記者の生態が、赤裸々に描かれています。
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「弓さんよ、田淵角造からなんぼ毒まんじゅうが届いているかね」鈴森が出し抜けに聞いた。「さてと・・。甘口は苦手の方でしてね」「水臭いことを云いなさんな。下駄履きで行き来する間柄じゃないか」確かに鈴森の家とは近く(略)きき耳をたてていた田川七介が、「あの人は、できると踏んだ相手には、誰彼なしにぶち込むからねえ、参考までに角造プライスを教えてくださいよ」「僕が辛党のことは知ってるでしょう」「するとウイスキーの化粧箱に上乗せしてあったわけだ」「小平番を自称する僕に、無駄弾を撃つわけがないでしょうが」とぼけ通したが、1週間前、田淵角造を混えた宴席の帰り際、田淵から背中をぽんと叩かれ「よぉ、特ダネボス!いっぺん、天下一品の”越後もなか”を試してくれ」と濁声で言われた。すぐ察しがつき、弓成は大きく手を振り、断ったが、翌朝早々、顔なじみの私設秘書が自宅へ”越後もなか”を届けにきた。政治家は、新聞記事の書かれ方ひとつで、生かされも殺されもするから、保険の意味で、盆、暮に、番記者はもとより各社編集局長に三十万、政治部長に十万、有能な若手には銀座一流テーラーのお仕立券つきワイシャツといった、通り相場の挨拶が届く。それ以外に昇進祝い、海外出張の折の餞別にも気が配られる。(略)弓成の自宅に届いた”越後もなか”は、三十万円が菓子折りの添えられていた。(山崎豊子「運命の人」第一巻より引用)
田淵角造は田中角栄、田川七介は田中六助、「小平」は大平正芳であることは、すぐ、わかります。大新聞の政治部の記者というものが、いかに、真夏の生もののように、腐敗しやすいものであり、また、こういうことが蔓延し、常態化していたことを示す、実に興味深いくだりです。少なからず証言のある、自分たちの「収賄行為」については口を噤む大マスコミに、しつこく、しつこく、重箱の隅をつつくように、政治家に「クリーン」をもとめ、「聖人君子」であることを強要しつづける資格があるのでしょうか?
尊敬するジャーナリスト、岩上安身氏が、興味深いツイートをされていました。これを読めば、マスコミ人の「小沢は悪だ。なぜならそれは小沢だからだ」という無茶苦茶な観念が、「信仰」の域にまで達してしまっていることが、よくわかります。岩上氏から快諾を得ましたので、ここに全文を、読みやすく整理する形で、引用してみます。
****昨夜、ある会合で新聞記者と議論になった。話題は小沢氏。彼は、小沢は悪だ、クロだと決めつけてはばからない。しかしその根拠は何もない。すべての記者クラブメディアが連日ネガキャンを張るのは正しいと言い張る。その記者は、小沢氏関連以外は常識的な話をする人物だった。それだけに、この件に関しての偏りぶりは尋常ではないと感じられた。自分自身は、小沢氏に関しても検察に関しても、まったく取材していない。自分自身ではっきり言い切って、そのうえで開き直り続けた。
仮にもジャーナリストが伝聞だけで「推定無罪」を踏みにじれるのかと私がいうと、なぜ、司法機関に従わなくてはいけないんだとすら言いきった。クロだという証拠は、もちろん手にしていないのに、だ。「小沢は謝ってないんだ、謝らせるまで毎日書き続けていいのだ」という。おかしい。
新聞は、どれだけ高みから見下ろしているのか。いつから司法機関を超えて、人を裁く権限をもつようになったのか。私は問い返した。新聞はうしろめたい思いはないのか? 押し紙は? 国有地を払い下げてもらった本社屋の土地は? 官房機密費は? 彼はその事実をすべて認めた。
なぜそうしたことは書かないかという問いに、「自分の上司がみんなやってきたことを書けるわけがないじゃないか」と居直った。「だが、おれたちは謝った」という。ん? いつ、どこで? 新聞協会の会報か何かでこうした問題を取りあげたことがあった、という。それですんだ、というのだ。
空いた口がふさがらない。一般読者が誰も知らないところで、アリバイ作りのように書かれた記事を持って、新聞業界全体の禊はすんだ、というのである。だが、官房機密費は誰も返還していないし、国有地はそのままだし、押し紙は今も続いている。
「俺たちは自分に落ち度があっても、小沢批判をやめたらいけないんだ」。なぜ? そう聞くとまた何度でも同じところに戻る。「謝っていない」。何について? 「企業団体献金をやめるといったのに、まだ受け取っている。許せない。謝れ。謝れ。おれたちは謝った。オザワ、謝れ」。その繰り返し。
酒の席とはいえ、ここまで没論理的になると、まともな議論にはならない。「おれたちは頑張ってるんだ」と、何度もその記者は繰り返した。「毎日、社員をどう食わしていくかで、精一杯なんだ」とも。そうした自己弁護のすべてが、記者クラブあげての小沢バッシングの正当化につながっていた。
たぶん、マスコミ業界以外の人間が聞いたら、どうかしているのではないか、と思うだろう。業界内だけでのみ通る屁理屈である。しかし、こんな屁理屈で「武装」して、実際に、記者クラブメディアは連日、異常なネガキャンを張り続けている。何のためにか、自分たち自身でもわからないまま。*****岩上安身氏のツイートより
岩上氏いわく、この記者は、小沢氏関連以外のことなら、きわめて常識的な言動をする人物らしいのですが、深く感じるのは、この記者は、まるでどこかのカルトの信者か、トンデモ理論を信奉する似非科学者のようである、ということです。こういう、自己(あるいは、自業界)中心的な言動は、もはや、「病理」であるといってもさしつかえないのではないでしょうか?
本日、菅総理が、演説で、「日本を良くするクスリを発明しました!」と、脱力してしまいそうなことをのたまっていましたが、マスコミを蝕む「病」の特効薬は、ありません。マスコミの体内に蠢く既得権益というウイルスの退治は、小沢新総理による「大手術」によるしかないのです。
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