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菅演説で感じた”サヨク”と”左翼”の違い(太陽光発電日記)
http://yokotakanko.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-c065.html
市民運動家というと、一般市民から見ると正義感にみちあふれ、行動力がある人かもしれませんが、革命家からみると、そこにとどまったままそのネタで食べつづけている人間は、”日和見クズの卑怯者”でしかありません。
”小林よしのり”という漫画家が両者を区別する表現として、”サヨク”と”左翼”の使い分けをしていましたが、私の場合も両者の区別をしていまして、”私心””自己保身”が強いものを”サヨク”vs”義侠心””自己犠牲”が強いものを”左翼”という表現を使うようにしています。
その意味では、キューバ革命の英雄”チェ・ゲバラ”は”左翼”といえますが、市民活動を売りにしてきた”菅総理”というのは、典型的な”サヨク”だといえます。
画像 サヨク的与良正男VS左翼チェ・ゲバラ
http://yokotakanko.cocolog-nifty.com/photos/uncategorized/2010/09/05/photo.jpg
アメリカ軍の弾薬輸送阻止を叫んだ暴動がおき新宿駅が火の海になった”新宿騒乱”がおきるとか、ベトナムでおこなわれているアメリカ軍の理不尽な殺戮行為に対して爆発したベトナム反戦・反米闘争の余韻がのこっているあの時代に、”市川房江さん”をトップ当選させる市民運動にどんな意味があったのかと感じてしまうわけで、”正義の味方の自分自慢のイベントを楽しんだだけでないの?”という率直な感想を持ってしまうわけです。
一方目を転じて、商品の本質的な価値である再生産価値で物流をみた場合、当時は、今の中国みたいに、都市は地方から安く調達し、高く売るピンはね構造が定着していました。
都市生活者は、地方からのぴんはねの余禄のおかげで、地方と比べてはるかに豊かな暮らしを与えられていたと思います。
その都市生活者が、地方の貧しい暮らしをなんとか豊かにしようと必死に資金を集めて政治活動している政治家を”金権政治”と批判し、”クリーンな政治”を標榜してきたわけで、その欺瞞性に目をつぶり、”自分自慢”しているような”鈍感な””サヨク”の”上滑りの正義”から人がだんだん離れていったのは当然の帰結ではないでしょうか。
真剣にものごとを追求して認識を深めていけば、そうした根源的な問題にいきつくはずですが、”サヨク”のひとたちは、居心地がいい”自分自慢”の立場に安住し続け、どんどん時代から取り残されていったわけです。
民主党代表選挙の菅総理の演説をきいていると、20年前の映像を見ているような感覚にとらわれてしまいます。
”自分大好き”で”自分自慢できる””居心地のいいところを渡り歩く”人生は、苦がない代わりに自分が磨かれることもなく、結果的に醜態をさらすことになるのだと思い知らされました。あの年齢になって人生の年輪を感じさせない薄っぺらさかげんは致命的に思えてしまいます。
そうした安直な正義の味方の”サヨク”的気質を代表していたのが”朝日新聞””毎日新聞”だったと思いますが、ここ最近の精神崩壊を起こしているような無残な論調は、真実から目をそらした”卑怯者”のくせに”正義の味方面”してふんぞり返ってきたことへの天罰の表れかもしれませんね。
先日、毎日新聞の与良正男氏とか岩見隆夫氏の姿を5年ぶりにテレビで見たんですが、ものの見事に醜く変身していたので驚きました。
若いときは見た目はごまかせたりしますが、年をとると人生がにじみ出るオーラが決め手になります。何をしようとごまかしようがありません。普段の心がけが大切だと思いしらされました。
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