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昨夜、小沢さんはNHKの番組で「何もやましいことはない」と強調し、検察審査会による起訴議決となった場合の「訴追同意」を改めて明言しました。同時に、検察審査会についても「一般の素人がいいとか悪いとかいう仕組みがいいのか」として制度のあり方についても議論が必要との考えを明らかにし、波紋を呼んでいます。
この問題について、小沢さんには疑惑を招いた政治的・道義的責任はあり、国民が釈然としない思いを抱いていることは明らかです。何らかの形で、国民の納得が得られるようなきちんとした説明を行うことが必要だと思います。同時に、このような疑惑が再び生じないような制度改革に結びつけることが必要です。小沢さんの釈明を聞いて、それで終わりということでは生産的ではありません。
政治資金の透明化にむけての具体的な措置を講ずる必要があるでしょう。この問題を契機に、企業・団体献金の禁止というシステム改革に結びつけなければなりません。 しかし、同時に指摘しておかなければならない問題があります。法的には、すでに明確な決着がついているということです。この点では、小沢さんが「何もやましいことはない」と言っている通りです。この小沢さんの言葉は、検察の対応によって裏書きされています。
小沢さんの資金管理団体「陸山会」の政治資金規正法違反事件でも、政治資金報告書の虚偽記載についても、検察は小沢さんを起訴しませんでした。裁判になっても有罪にできるだけの材料がないと判断したからです。これに対して、第5検察審査会は「陸山会」事件について「起訴相当」とする議決を行いました。小沢さんを起訴して罪に問うべきだと言ったわけです。
しかし、これに対して、検察は起訴を見合わせました。裁判となって有罪にできるだけの新しい材料がなかったからです。この時点でも、小沢さんは法的に言って「何もやましいことはない」ことは明らかです。罪に問うことができないから、検察は起訴しなかったのですから……。
さらに、第1検察審査会も虚偽記載について「不起訴不当」の議決を行いました。「起訴せよ」ということではなく、「不起訴は不当だ」ということですから、少しトーンが落ちています。しかし、これに対しても、検察は起訴しませんでした。裁判になって有罪にできるだけの自信がなかったからです。
やはり、小沢さんには「何もやましいことはない」ということになります。検察は、そのことを知っているから、起訴しなかったのですから……。
さて、今、検察は息を潜めて成り行きを見守っていることでしょう。もし、第5検察審査会が再び「起訴相当」の議決をしたら自動的に起訴されることになるからです。その結果、もし有罪になれば、起訴しなかった検察の誤りが明確になり、その責任を問われることになります。もし、無罪になれば、検察の責任は問われなくとも、検察審査会のあり方が問題になるでしょう。
起訴しなかった検察の判断をくつがえして現職の総理大臣を起訴し、それでも有罪に問えなかった場合、検察審査会は責任をとることができるのでしょうか。起訴された段階で内閣不信任案が提出され、それが成立して倒閣となったにもかかわらず小沢さんが有罪にならなかった場合、誰がどのような責任を取れるのでしょうか。
この問題の経過を見る限り、現状では小沢さんが有罪になる可能性は極めて低いということは誰にでも分かるでしょう。これまで検察は、これほどに国民の疑惑が大きく批判が強かったにもかかわらず、小沢さんを起訴できなかったのですから……。それにもかかわらず検察審査会が起訴を議決した場合、いわばプロの判断をアマがくつがえすことになりますが、公判で対決するのはプロ同士です。
やはり、新しい材料が出てこない限り、有罪に持ち込むのは難しいでしょう。検察審査会の判断は、あくまでも一般国民としての「心証」によるものです。新たな捜査による新しい証拠の発見などに基づくものではないのですから……。
検察審査会は、このようなリスクを負ってまで「起訴相当」と議決するでしょうか。マスコミを賑わせている強制起訴を前提にした議論は、ただの妄想にすぎないのではないでしょうか。
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