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下記ブログ記事を転載します。
http://blog.livedoor.jp/oibore_oobora/archives/51497856.html
%%%%%引用開始
+++++時事ネタ(松本五郎の足跡)
9月1日、2日、民主党代表選挙出馬記者会見、および記者クラブ討論をTVで視聴しました。明快に、しかも具体的に政策を説得力を以って語る小沢氏。氏には確固たる政治信念が貫いていると私は見ました。一方の菅氏、抽象的な言葉の羅列に終始しました。なんとか、「中傷・誹謗」の投げ合い合戦に小沢氏を引きずりこまんとの挑発的言辞を時折放ちます。助け舟を出すかのように「開いた口がふさがらない」で一躍有名になった朝日のH氏、ナベツネ新聞のH氏が悪意のこもった質問をぶつけます。しかし、小沢氏はまったく取り合わず、むしろ政策を語ることで、こうした挑発を小沢氏の正当さを浮き立たせるための引き立て役にしてしまったのです。「闇の帝王」と悪罵されてきた小沢氏が、実は「国民の生活第一」を軸に、広く深く日本政治の方向を考えていたことが、明らかになってしまいました。
2時間の議論で気づくことの一つが、菅氏の表情です。開始時では比較的穏やかでした。しかし、終了間際、「疲労困憊」が顔中に明瞭に広がっていたのです。政策をわかりやすく語れない、したがってその背骨たる政治理念にも乏しい菅氏を、岡田、前原、仙石、枝野といった各氏が支えています。これらの方々の政治信念にも疑問を投げかけたいと思います。これら菅氏の側近者達には何か別の邪な思惑があるのではないか?と。
さて、小沢氏の発言中、氏がチラッと顔を曇らせた瞬間がありました。それは理不尽な逮捕拘留をされた元秘書の大久保氏、石川氏(現代議士)がこうむった苦痛に言及した際です。目に涙が浮かんだように見えました。思えば、同様の苦痛はこの両氏にとどまりません。来週にも一審判決が出るという厚生省元局長の印紙偽造裁判では、容疑者にたいする検察取調官による苛烈な取調べ、詐術が一部週刊誌で公にされています。取調官の意に沿う供述が作成されるまで苦痛の尋問が続くのです。この取調べから私は一冊の本を思い出します。それは
「自画像、松本五郎の足跡、生活図画事件を体験した美術教師」、松本五郎著、アイワード社、2007年12月。
です。この本は一月ほど前に知人から借り受けたものです。著者は副題にもあるように、美術教師であり、北海道の教育界で長く指導的な役割を果たされた方で、今もご存命です。氏は1920年に鳥取で生を享けます。私は、現在、万葉集の解読を通じて、古代史の勉強をしています。鳥取=伯耆は「因幡の白兎」の神話の地です。私の古代史観からは、この地は出雲とともに官製古代史から抹殺された地でもあり、現在解読が進行中の二十三歌の舞台の一つです。弱者に関心を持つ私には解明したい地です。
1928年にオホーツク海に面した北海道・中標津に氏は両親に連れられて移民します。このときの様子も丁寧につづられています。ところで1970年に「家族」という映画が作られています。主役である倍賞千恵子さんの家族が広島を離れて北海道に移住する顛末を山田洋次監督が感動的なカメラで描いています。松本氏の移住はそれを遡ること40年余前です。移住と、それにまつわる困難は私の想像を超えたものであったでしょう。その記憶も本書に語られています。さて氏は長じて、1936年、念願の旭川師範学校に入学します。良い先生に恵まれ、友人ともども絵の世界を享受します。ところが卒業を控えた1940年12月に、この先生が「生活綴り方教室」を理由とした治安維持法で検挙・逮捕され、松本氏も1941年9月に同級生らと一緒に同容疑で逮捕されるのです。拘留一年余の1942年12月未決で釈放されます。苦難の獄中生活にも触れねばならないのですが、ここでは次の一節を紹介するにとどめます(173頁)。
%%%%%引用はじめ
「コミンテルンについて書けと言うので、知りませんと答えると、これを読んで書けという。何とか書いてもそれが取調官の意に沿わぬと勉強が足りないと書き直させられる。(中略)取調べに失望感を抱いて留置場にもどった。4−5日おきに取調べが繰り返され調書の量は膨大になった。自分の申し立ては菱谷(同時に逮捕された同級生)への圧力となり、菱谷の供述が自分の調書に利用された。二人は競争してにわか主義者振りを強調していた。「共産主義とは」、「唯物史観とは」などなど、留置所で読んだ付け焼刃の知識とはいえ相当理論的に深い知識を持っていると思われる調書となった」
%%%%%引用終わり
松本氏は出獄後、今度は戦争に駆り出され再度の苦難の日々を強いられます。終戦後、なんとか美術教師として生活の計を得、戦前の体験を繰り返してはならじとの思いを教育に注ぎます。
ところで、松本氏が自著で書く取調べ風景の叙述は、つい最近、石川さん、江副リクルート元社長、村木厚生元局長らがこもごも語る体験談そのものです。郷原信郎氏の幾つかの著作を見る限りでは、これらの方々限りなく白に近い、つまり冤罪と思われます。この松本五郎氏も冤罪で一年余も獄舎にとらわれ苛烈な拷問と取調べを受けました。実に70年もの時間の隔たりをここに見ることはできません。国家権力に睨まれたら最後、それによって受ける苦痛は70年間変わっていないのです。小沢氏の涙は石川氏等の理不尽に強いられた苦痛に思いを馳せた瞬間ではと想像した次第です。
翻って、70年前に同様の苦痛を強いられたあの共産党、優れた文学者小林多喜二が拷問虐殺されるなど痛ましい犠牲を払ったその共産党は、石川さんらの苦痛に思いを致し、検察に抗議の声をあげたでしょうか?むしろ検察を「もっとやれ」と鼓舞したのです。私が言うまでも無く検察は国家権力が保持する暴力装置つまり軍、警察と共に重要なその一部です。その検察の理不尽な取調べに対して思想信条を超えて被疑者を擁護するのでなく、暴虐を見て見ぬ振りして、むしろそのやり口を礼賛するのですから「開いた口がふさがらない」とはこのことです。確かに共産党は前回書いたようにどうかなってしまったようです。理不尽に囚われた松本氏にしっかりと弁明できるような真摯な総括を代々木に求めたいものです。
%%%%引用終わり
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