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れんだいこのカンテラ時評795 れんだいこ 2010/09/02 19:55
【2010.9.14民主党代表選の争点考その1、「菅派のネガティブキャンペーン」の卑劣考】
9.1日、民主党代表選のゴングが鳴り、明けて9.2日、公開討論会が行われた。菅首相は早くも激烈なネガティブキャンペーンを開始している。菅自身が如何に金権と無縁なのか、自身の政治資金収支報告書を明らかにして記載漏れのないこと、記載内容が「天の声献金」とも無縁なことを比較的に論ずるのならともかく、マスコミの小沢パッシングに悪乗りする形で小沢前幹事長の政治とカネ問題を取り上げ誹謗し、「お金にまみれた政治、政治文化を変えなければならない。クリーンでオープンな政治を目指していきたい」と吠え続けようとしている。
小沢前幹事長は、ロッキード裁判を欠かすことなく傍聴し、こういう時に備えて収支報告書に落ち度のないよう、むしろ手本の如くにガラス張りにしている。そういう小沢に対して菅が一方的に攻撃を続けるのなら、自身の政治資金収支報告書を公開して比較的に論ずるのが公平正義と云うものだろう。まともな報道機関なら、そこを問うべきなのだが、それを期待するのは野暮と云うものだろうか。
「菅式ネガティブキャンペーン」はまもなく食傷されよう。なぜなら、政治的抱負や実績を述べて政治能力を競うのではなく、相手の弱点を激しく突く手法は国際金融資本帝国主義者の常用するネオシオニズム政治の特徴であり日本的感性に馴染まないからである。菅が平気でこれを繰り出していることは、菅が身も心も脳も籠絡されているネオシオニストの徒党であることを物語っていよう。我々は、その惨めさを見て取るベきではなかろうか。小沢は政治信条において「百術は一誠に如かず」を座右の銘にしている。菅は、煎じ薬にして味わうべきではなかろうか。
以上が結論であり、以下、「ネガティブ・キャンペーンとは何か」につき確認しておく。「ウィキペディアのネガティブ・キャンペーン(Negative campaigning)」その他を参照する。
「ネガティブ・キャンペーン」とは、要するに次のようなものである。「選挙戦術の一つで、相手の政策上の欠点や人格上の問題点を批判して信頼を失わせる弁舌手法を云う。マスコミの広告媒体を使っての、人物や組織のウィークポイントを集中的に攻撃する手法もネガティブ・キャンペーンと呼ばれる。根拠のなない中傷である場合もあるが、事実に基づいた批判もネガティブ・キャンペーンの範疇に含まれる。いずれにせよ、相手の信用を失わせることで、自分を相対的に高めることを目的としている。この他、あえて自分にとって不利になる話題を取り上げて、自分への注目を集める行為もネガティブ・キャンペーンと呼ばれることがある」。
れんだいこが思うに、この手法は一般的なものではない。日本政治史上に於いては、厳しく戒められていた外道政治手法である。特に、徳治主義を旨とし、切腹と云う責任の取り方を課せられていたサムライ政治の倫理に於いては内省なき他者批判はご法度であった。こうした政治手法は、国際金融資本帝国主義の影響下にあるところで多用されている。特に米国で常用されていることが、これを証左する。
政治学上、ナチスのゲッペルス宣伝相の「ウソも百万篇費やせば真実になる」弁が引用されるが、濡れ衣に近い。正しくは、こういう政治手法の本家本元はネオシオニズムであり、ゲッペルス宣伝相が同様の言を述べたとしたら、対抗上の失弁であったと思われる。ネオシオニズムのネガティブ・キャンペーン術磨きの歴史は古い。つまり筋金入りのものである。イエスがパリサイ派との論争で反駁したのも、このパリサイ派の思考回路であった。その選民主義、金貨蓄財主義、報復主義的論理と共に激しく弁難したものである。
最近の政治家は、ネオシオニズム・テキストで学習するせいか、こういうネガティブ・キャンペーンを習熟するのが政治能力の向上と勘違いしている風がある。本来の政治能力を磨くより、この邪道スキルの習熟に励む傾向がある。政局男として名をなす菅式弁舌は、この典型であろう。菅の政治歴三十年は、これを習得しただけのように思われる。
日本政治の能力は、この種の政治家の跋扈と共に歪められ、政治課題に向けての真摯な取り組み、事態打開と云う本来の能力を磨かず、政治を商売にする口先政治家、政治家の身分を現代貴族にさせた上での貴族主義的な遊び人風政治家を増産しつつある。こたびの民主党代表選はくどいほど菅の口からネガティブキャンペーンを聞かされることになろう。番外編の楽しみとすべきかも知れない。これぐらいの説明で良かろうか。
2010.9.2日 れんだいこ拝
れんだいこのカンテラ時評796 れんだいこ 2010/09/02 20:52
【2010.9.14民主党代表選の争点考その2、「菅派の角栄的なるもの政治弾劾」の愚見考】
民主党代表選は二週間の日程で争われる。この選挙戦で何が争点なのか。マスコミメディアの解説は「為にする小沢批判の見地からの菅続投プロパガンダ報道」に流されると思われるので、我々の目線で確認しておく。れんだいこが、菅式論理論法の詭弁を俎上に乗せ、逐一晒して見ようと思う。
第一に確認すべきは、既に先の投稿で明らかにしたように、菅首相自身が持ちだしたことでも分かるように、ロッキード事件を廻り、これを契機として始まった「角栄的なるもの政治」を政治訴追し、その政治の後継者である小沢政治批判に結び付けて行くのか、「角栄的なるもの政治」の是の面を再検証し、歴史見直しして行くのかの争点である。
多くの人民大衆の意識は既にロッキード事件を風化させている。故に、菅首相が出馬声明に於いて敢えてロッキード事件を持ちだし「私の政治の原点」と強調したことの意味が分からないであろう。しかし、れんだいこ史観によれば、これこそまさしく真の政治闘争軸であり、その限りで菅首相がロッキード事件を持ちだしたことの意義は大きい。もっとも、菅首相は、政治とカネ問題に纏わる政治糾弾の原点としてのみロッキード事件を捉え、ネガティブキャンペーンに利用しようとしているようで、同事件の持つ複合的な政治的意味を矮小化させている。つまり、菅の意図に反して菅の政治能力のお粗末さを晒している。とはいえ、ロッキード事件自体を持ちだしたことの意義の方を評価すべきであろう。
れんだいこに云わせれば、ロッキード事件は、戦後日本政治を廻る在地土着派による自主自律政治を掣肘し、現代世界を牛耳る国際金融資本の御用聞き政治へ水路を開いた一大政治謀略事件であり国策捜査事件であった。現在50代以上の者は記憶しているであろうが、当時、現在の小沢パッシングなぞ比ではない、けたたましい角栄パッシングが連日続けられた。それも、御用評論家は云わずもがなとして与党自民党のみならず野党諸党をも巻き込んで、否それどころではない右翼から左翼、労組まで、否それどころではない検察から裁判所の最高機関まで巻き込んで角栄包囲の政治訴追運動が展開された。日共の宮顕、不破、上耕の異常な出張り、こともあろうに社共、労組が御用提灯を提げて目白邸を包囲すると云うバカ騒ぎが演ぜられた。一体、この狂気を誰が画策したのだろうか。
こうして、日頃は政治的ポジションが大きく異なるにも拘わらず、「角栄の政治訴追、政界追放」と云う一点で野合した醜悪な共同戦線運動が繰り広げられた。当時は、今日のようにインターネットがなかったので、これを不快に思う人民大衆の声は公にされず、故に一方的な角栄パッシングとなった。これに対して新左翼系がさほど動かなかったのは僥倖の見識であった。れんだいこは、そのように理解している。
菅首相はこたび、この時の喧争を是として、「私の政治の原点」とのたまわった。結構、結構。ならば、これを逆手に取り、ロッキード事件とは一体何だったのか、「角栄的なるもの政治」の本質とは一体どのように捉えられるべきものであったのか、「政治とカネ問題」とは如何なる政治制度の宿アなのか、今後如何に合理的なものにすべきなのか、これを問う絶好の機会にしたいと思う。但し、これを述べればかなりの紙数を費やすので、この概要を知りたければ、自薦ながられんだいこサイトの「角栄論」で確認すれば良かろう。角栄政治の何たるか、ロッキード事件の闇についてそれなりに言及している。
(tttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/kakuei/)
菅首相に問いたいのだが、菅がロッキード事件を「私の政治の原点」として、角栄の政治訴追、政界追放を是認するのは勝手だとしても、「角栄的なるもの」を政界追放した結果として、その後の日本政治は果たして良くなったのか逆なのか、これに応えねばなるまい。
れんだいこの見立てによれば、「角栄的なるもの」が機能していた日本政治は国内的には世界が羨む史上未曽有の経済成長を遂げ、対外的にも日米安保同盟下の制限を受けつつも戦後憲法の掲げる国際協調と平和創造に向けて大きな役割を果たしていた。何より政治の裏表がはっきりしていた。政権奪取前に掲げた政策課題は政権発足後直ちに着手され実行に移された。「政治とカネ問題」では今日的基準では色々不首尾な面があったが、大きく見れば必要経費のようなものであった。何より、そういう面を埋め合わせても政治の実効による成果の方が大きかった。これを評価すべきではなかろうか。現下の政治尺度は、この仕事の功績を見ずに、「政治とカネ問題」に対する異常執着している気がしてならない。
特徴的なことは、国債が発行されていない善政であったことであろう。それまでは、憲法憲法第7章の諸規定、戦後財政法のいわゆる健全財政主義原則の諸規定に従い、国債発行禁止を遵守していた。1960年代末までの田中蔵相時代まではこの原則を守り、高度経済成長路線を稼働させ歯車が噛み合っていた。この原則を破り禁じ手の国債発行に踏み切ったのが佐藤政権下の福田蔵相であり、大量発行に向かったのか三木政権であり中曽根政権であり、以降の歴代政権の慣わしとなった。今日の天文学的な異常累積債務はこうして積み上げられたのは衆知の通りである。
菅は、これをどう考えるのだろうか。国債発行をせずして高度経済成長していた良き時代が有るのであるが、これを是とするべきではないのか。逆に云うと、国債発行してなお且つ低成長にあえいでいるのはどういう訳なのか。菅が角栄批判に酔うのは勝手だが、角栄批判に興じるのなら、この辺りを政治責任に於いて説明せねばなるまい。
角栄時代までの政治に特徴的なその二は、消費税が導入されていないことである。それまでは、全国的に法人活動を活性化させ、その営業利益から法人税を取ると云う直接税方式を基調にしていた。景気下支えとしての公共事業振興により法人活動を活性化させ、その好循環の中で雇用が確保され、社員の正規雇用が当然視され、各々が受け取る給与から相応の所得税を支払った。この方式で国庫収入が増えて行った。今にして思えば、この直接税徴税手法こそ正当で範とすべきではなかろうか。
間接税式の消費税導入はこの経済循環をズタズタにさせた。企業は、利益が上がろうが上がるまいが売上に対して一定料率の消費税が課税されることにより、途端に経営を苦しくさせられることになった。その他その他経営環境を圧迫させるばかりの諸施策が講ぜられることになった。企業は、それらの対応策として正規雇用を打ち切り、臨時雇用社員に切り替えるなどして利益の確保に努めざるを得ないことになった。大企業は無理難題を下請企業に皺寄せすることになった。そのようにして生みだされた利益がハゲタカファンドにさらわれると云うケッタイなことになった。
こうした下手くそな政治のツケが廻り回って社会保障費の異常増大を促すと云う悪循環に陥っているのではないのか。その備縫策として補助金制、補償金制等々で対応しているが、これでは財源が幾らあっても足りなくなるであろう。その他方で、軍事防衛費が増大し、思いやり予算が計上され、今や至れり尽くせり予算化へと向かいつつある。普天間基地移転問題でも、グアム移転費、辺野古移設費がどれほど計上されようとしているのか、菅政権はこれを明らかにせねばならない。あれこれ思えば、消費税がない時代の政治の方を是とすべきではないのか。逆に云うと、消費税を導入してなお財政が逼塞し、消費税増税中毒に陥っているのはどういう訳なのか。菅が角栄批判に酔うのは勝手だが、この辺りを説明せねばなるまい。
時代は、消費税増税を要請しているのではなく、消費税廃止を促しているのではなかろうか。この地平に立って財政のムダを省き、真に景気浮揚に功のある諸施策を手当てし、もって税収の自然増へと導くべきではないのか。ここに政治家の能力が期待されているのではなかろうか。この点で、菅政治の対応は全く逆走している。こういう政治をやる為に命を賭けるなどと云われると、小泉政治の再来ではないかと危惧するのは、れんだいこだけだろうか。迷惑な意気がりでしかない。
その他云いたいことは山ほどあるが省略する。結論は、菅がロッキード事件を政治の原点として政界に入り今日に至っていることを勝手であり、愛想上は慶祝するにしても、その政治活動を通して日本が一体良くなったのか良くなりつつあるのか逆なのか、これを説明せねばなるまい。国債と消費税について云えば、これに依拠することなく経済発展を指導した「角栄的なるもの政治」と、これに依拠しつつ経済失速し続け、それどころか日本経済破綻へと指導する「反角栄的なるもの政治」のどちらが望ましいのか説明せねばなるまい。軍配は自明ではなかろうか。
菅は、小沢の政治履歴上の親角栄性をもって弾劾するネガティブキャンペーンに乗り出しつつあるがエエ加減にするべきではなかろうか。無知と恥の上塗りなのではなかろうか。反角栄プロパガンダには何の根拠もない。むしろデタラメであり、今こそ角栄政治の有能性を検証するべきである。これが云いたかった。菅派が繰り広げ始めている「角栄筋の小沢批判キャンペーン」に対して、それがどしたと反撃しておきたかった。今や長い迷妄から醒める時である。これが本稿の意義である。
2010.9.2日 れんだいこ拝
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