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昨日、民主党代表選候補者討論会の後にあまりに腹が立ったので書いたエントリーに思いのほか多くのアクセスがあった。さらに、いただいたコメントを読んで、「同じように感じた人がたくさんいるんだナ」と改めて実感した次第である。上杉隆氏はこの討論会が「記者クラブ主催」であることに激怒したそうだ。その気持ちはもちろんわかるが、マスメディアの劣化をより多くの人が認識することができたという意味では、これはこれでなかなかに意義深かったのではないかと思う。
さて、この討論会を受けて書かれた本日の朝日新聞の社説を読んだ。これを読んだらまたまた腹が立ったので、またぞろこうしてエントリーを書いているわけだが、まずはその全文をお読みいただきたい。
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民主公開討論―政治観の違いが見えた
「古い政治文化」か、「新しい政治文化」か。これが民主党代表選の重要な論点に浮かび上がってきた。政権交代後も迷走の続く日本政治にとって避けて通れないテーマである。菅直人首相と小沢一郎前幹事長にはより深く掘り下げて論じてほしい。きのうの日本記者クラブの公開討論会では、菅氏が議論を仕掛けた。「『古い政治』は二つある。ひとつはカネの問題。もうひとつは数の力。小沢さんの政治のあり方は、カネと数の原理が色濃くある」そして、ほかの政党とも、国民との間でも政策を巡る議論を重ね、合意を形成する「熟議の民主主義」を確立し、新しい政治文化をつくっていきたいと語った。小沢氏を単純に「古い政治文化」の体現者と決めつけるわけにはいかない。政治改革を主導してきた急進的な改革者の顔も併せ持つ。ただ、自民党田中派以来の「数は力」の体質は否定できない。(※1)国政選挙での公認権や党の資金も背景にして、巨大なグループを築く。政策調査会を廃止し、自身が率いる幹事長室に権限を集中させる。そんな手法は、熟議の民主主義とは対極にある。(※2)公開討論会で小沢氏は、矢継ぎ早に問いただされた。(※3)小沢氏が首相になったら、連立を組み替えるのか。検察審査会で再び起訴すべきだと議決されれば、首相として自身の起訴に同意するのか――。どの質問にも「勝つかどうかわからない」などとして、はっきりと答えない。説明を嫌い、白紙委任を求める体質の表れと言われても仕方がない。(※4)官僚主導の政治から、政治主導の政治へ。「政」と「官」との関係のあり方については、両氏の基本的な考え方に大きな違いはあるまい。両氏を分かつのは、「政」の中での権力観だろう。クリーンでオープンな民主党を、と唱える菅氏は「全員参加」型の意思決定を唱える。 これに対し小沢氏は、明らかに権力集中型、トップダウン型である。(※5)かねて、みずからのよって立つ「政治集団を強化、拡大」すること、「権力の集中」や「権力の行使」をためらわないことの必要性を繰り返し説いてきた(「日本改造計画」)。
小沢氏の政治遍歴を貫いてきた行動原理とでもいうべきものだ。政治はプロセスよりも結果である。そんな考えもあるに違いない。しかし、国民に「痛み」を求めざるをえない時代、丁寧な説明や合意形成を軽んじて本当に政治が進むのか。(※6)この20年あまりの日本政治に大きな位置を占めてきた「小沢氏的なるもの」の是非が、代表選を通じ最終的に問われることになる。**********
あの公開討論からどうしてこのような文章を「作文」できるのか、まことにもって開いた口がふさがらない。もう全編にわたってウンザリするほどウソとデタラメ、世論誘導の思惑に満ち満ちしているが、とりあえずいくつか突っ込んでみる。
※1自民党田中派以来の「数は力」の体質は否定できない。
小沢一郎は自民党を出て以来、もちろん新進党で自民に対抗する勢力を作ろうとした時もあるが、その後、自由党という少数政党の党首になったんですけどね。つまり、この人はむしろ「数」よりも自分の理念を貫くタイプなのではないですか?ただし、その理念を実現するための方策を常に意識しており、それゆえに自自連立を試みたこともあったが、結局、自民党は数合わせだけしか考えておらず、自分の政治理念を達成するためにはほど遠い現実を前にして連立を離脱したのであろう。
つまり民主主義は「数の力」であることを知りながら、時にそれよりも理念を優先するのが小沢一郎だと言える。ただし、やはり最終的に自分の理念を達成するためには政権をとらねばならない。だから、民主党と合流し、その後、窮地に陥った民主党の代表となり、それこそ地道にコツコツと参議院選挙、衆議院選挙の勝利のために邁進してきたわけだ。
一方で、当たり前の話だが政治にはカネがかかる。だからカネを集めなければならない。それは当然のことで、だから政治資金収支報告書をこれ以上ないほど透明にした上でカネを集め、その資金をもとに私塾を開催したりしている。これは、たとえば河野太郎なる人物とは対極の位置にあるといっていい。河野は常に与党内野党として文句をたれているだけであった。そして野党に転落し、「新党を作る気はないのか?」と問われると、「父親(河野洋平)が(新自由クラブで)カネにとても苦労して、借金を返し終わったのもつい最近だ。
そんな苦労はしたくないから自民党を改革する」などと嘯く。つまりこの男にとって政治家として命をかけるよりも、代々受け継いだ資産を減らさないことの方がプライオリティが高いのである。アメリカの大統領選挙を見れば、それが資金力の闘いであることは当たり前の話で、オバマにしてもクリントンにしても他の誰にしても、必死にカネを集めながら支持者の数を増やそうとしている。そしてアメリカ国民はそれを見て、政治家としての力量をはかるのである。にもかかわらず日本ではカネを集めることをことさらに罪悪視する。問題はどうやってカネを集めて、そのカネをどう使うかなのであって、そこにおいてクリーンかどうかという判断基準が初めて登場しなくてはならない。
※2政策調査会を廃止し、自身が率いる幹事長室に権限を集中させる。そんな手法は、熟議の民主主義とは対極にある。この件については以下のポッドキャストを聴けば、いかにこの社説がデタラメであるかはすぐにわかる(14分30秒あたりから)。
・小島慶子 キラ☆キラ 2010年08月31日(火) ゲスト上杉隆
http://podcast.tbsradio.jp/kirakira/files/20100831_pate_uesugi.mp3
※3公開討論会で小沢氏は、矢継ぎ早に問いただされた。小沢一郎がどのように答えようともまったく無視してしつこく繰り返し「問いただした」結果だろう。それを「問いただされた」と書くのは説教強盗のようなものである。
※4どの質問にも「勝つかどうかわからない」などとして、はっきりと答えない。説明を嫌い、白紙委任を求める体質の表れと言われても仕方がない。検察審査会の議決について問われた小沢は「逃げません」とはっきり答えている。ウソつくな。
※5クリーンでオープンな民主党をと唱える菅氏は「全員参加」型の意思決定を唱える。
これに対し小沢氏は、明らかに権力集中型、トップダウン型である。あのさー、自らの記者会見をず〜〜〜っとオープンにしているのは小沢なんだよ。ダークでクローズな記者クラブという既得権益を絶対に手放そうとしないあんたらが、どの面下げて「全員参加」などと言えるのか!バカも休み休み言え!(どんどん怒りが増してきた)。
(※6)しかし、国民に「痛み」を求めざるをえない時代、丁寧な説明や合意形成を軽んじて本当に政治が進むのか。先の参議院選挙で「丁寧な説明や合意形成を軽んじて」、いきなり消費税増税を持ち出したのは菅直人だろうがよっ!それが「国民との間でも政策を巡る議論を重ね、合意を形成する『熟議の民主主義』」なのかよっ? ええっ?デタラメ書くな、このゴロツキ記者ども(私がとても愛読し、尊敬しているブログ、「憂き世の日々に埋もれて、たまには温泉へ」様の口調でお伝えしております)。
独裁国家において民主化のリーダーが弾圧されるのはよくあることだ。その際、権力と一体化したメディアは外部からの情報を遮断した上で徹底的にウソとデマを垂れ流す。結果、独裁者の支持率は常に圧倒的である。朝日新聞を筆頭とした記者クラブメディアがやっているのは、まさにこれと同じことだ。そして、この代表選で最終的に問われるのは、まさにその記者クラブメディアである。
※今週の「久米宏 ラジオなんですけど」のメッセージテーマは民主党代表選です。
http://www.tbs.co.jp/radio/kume954/ 日本のマスメディアでは数少ない、もはや希少ともいえる真っ当な番組は必聴!なお番組へのメールのあて先は「kume954@tbs.co.jp 」です。
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