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「監察医の涙」
2010年6月12日 第1刷発行(現在第5刷)
■ 虐待
今回の検死は小学校低学年くらいのまだあどけない男の子だった。子どもの検死はどの監察医も嫌がる。やはり幼い子どもの死体を見るのはいくら仕事とはいえ辛いからだ。
東京都二十三区内に変死が発生すると、まず警察に届けが行く。警察ではその事件の内容を把握したうえ、われわれがいる監察医務院に検死の依頼がくる。監察医と補佐と運転手が日ごとにチームを組み、刑事や立会官などと共に死体のある現場へ急ぐ。そうして検死が始まる。
死因が検死だけで分からない場合は、遺体を監察医務院に送り、解剖当番の監察医が解剖する。検死と解剖は交代制で行う。
警察から、検死する遺体は「六歳の男子」などという情報が入ると、現場に向かう足取りが重くなるのは事実である。
男の子の死体と対面した時、まずその男の子があまりにもやせ衰えていることに驚いた。真一文字に口を結んでいる。その表情を見て、どのように死んでいったかきちんと真相を解明するからな、という気持ちになった。
私は検死を始める時、いつも必ず両手を合わせ、遺体に黙とうをしている。まず彼に向かって、気持ちを込めて祈った。
明らかに幼児虐待であった。体のあちこちに症と傷があった。タバコの火を押し付けられたような火傷の痕もいくつもあった。古い傷もいくつかあったから、かなり長い間虐待を受けていたことが分かる。
この男の子は母親が十七歳の時の子どもで、生まれたばかりの時は子どもと二人で生活していたが、最近になって母親に年上の恋人ができたらしい。母子はその男と一緒に暮らし始めた。その頃から母親の様子が変わった。
近所の人と会って挨拶をしても彼女は目を合わさず、うつむくようにして去っていくことが多くなった。いつも手をつないで出かけ、人当たりのいい母親で、近所でも評判の仲のよい母子であったのに、その男と同棲し始めるようになってから母子で出かける姿は見られなくなった。
そのかわり、男が声を荒げて叱る声がしょっちゅう聞こえるようになった。「ふざけるな」という声や、「ごめんなさい」という子どもの泣き声、「やめて」という声、ドスンという大きな音も近隣の住民が聞いている。ベランダに出され「お母さん、お母さん、入れてよ」と言って、窓ガラスを叩きながら泣いている男の子も目撃されている。
元気な人懐っこい子どもだったが、通っていた小学校でも口数が少なくなり、一人でいることが多くなった。
ある時、近所の中年男性が、ポッンと道端に座っている男の子を見つけた。声をかけようと男の子を見ると、頬がはれで傷付いているのに気付いた。
「その傷どうしたの。誰かにいじめられていない?」と尋ねると、「僕が悪いことをしたからお父さんに叩かれたの。でも僕が悪いことしたからなんだよ。お父さんもお母さんも悪くないよ」と笑顔で答えたという。
実の父親を知らない男の子にとって、彼が初めでの父親だった。叱られ、叩かれ、厳しく冷たい父親を、気丈にもかばったのだ。
しかし、男の子への虐待は繰り返されていた。
数日後、彼は脳に強い衝撃を受けて起こる急性硬膜下血腫で亡くなった。
「ご飯を残した」という理由で正座をさせられ、父親に頬を殴られていた。それも何十発も、一時間以上にわたって行われたという。お腹を蹴られたりもしていた。それが日常茶飯事に行われていた。
それを母親は怯えるような目で見ているだけだった。
逮捕された父親は、しつけの一環だと言って悪びれる様子すらなかった。
もしかすると母親も男から暴力を受けていたのかもしれない。それは分からない。何の罪もない子どもに暴力を振るうことは言語道断だが、それを止めずにそのままにして死なせた彼女も同罪である。
最近、児童虐待の疑いがあっても、学校や行政は踏み込んだ対応をせず、その結果子どもたちのSOSのサインを見逃すことが多い。
親から暴力を受けている疑いがあるという近所の人の通報を受け、行政がその家庭を訪れる。しかし、父親から「そんなことはやっていない、この傷はしつけのためにやっただけだ。もう二度としない」と言われると、「はいそうですか」とそれを鵜呑みにし、それ以上追及することをしない。
学校も行政も毅然とした対応で、もっと踏み込んで追及しなければならないと思うのだが、行政上は難しい問題なのであろう。
いかなる虐待を受けても、子にとって頼れるのは親しかいない。どれほど痛かったか。辛かったか。耐えるしかないそのような子を見ると、涙をぬぐわずにはいられない。
もう子どもの検死はしたくない。深々と黙とうする以外になすすべのない自分を情けなく思うのである。059
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■ 刑事の涙
忘れられない事例がある。
現場のある木造アパートの一室に行くと、小学六年生くらいの男の子と、小学二年生くらいの女の子の兄妹が母親の死体の前で呆然と立っていた。女の子の髪はきれいに切りそろえられてはいたものの、真冬の寒い時期だったにもかかわらず、薄いTシャツを着ていた。男の子はというと、シワシワのシャツに、つぎの当てられたズボンをはいていた。
数年前に父親が事故で亡くなり、その後母親が女手ひとつで幼い二人の子どもたちを育ててきた。その母親が子どもたちの前で突然死した事例であった。
死亡した母親は、何年も着ているのだろう、毛玉がたくさんつき、ところどころ虫にくわれた跡のあるニットを着て、ロングスカートをはいていたが、検死をしなくでも体の細さが見てとれた。
部屋はがらんとして物がほとんどなく、全体的に薄暗く、生活苦が見てとれた。あるのはちょうど三人座れるほどの卓袱台と、たたまれた一組の布団くらいだった。この布団で三人が寝でいたのだろうか。
流しには、洗いかけの食器が三つ残っている。よく見ると、その食器にはいくつも欠けたあとがあった。
そんな殺風景な部屋の片隅に、黒と赤のランドセルが置いてあるのが目に入った。
母親が子どものために苦労して働いたお金で買ったのであろう。自分が痩せ細ってしまうくらい楽ではない生活の中でも、子どもたちには新しいランドセルを何とか買ってあげたいという親心に胸が打たれた。
何もない部屋の中で黒と赤のランドセルが、やたら目立った。
二人は、横たわる母親の死体の前に立っていた。兄である男の子が妹の手をぎゅっと握りしめていた。
そして状況を呑み込めず「おかあさんはどうしたの? 病気? 何で寝ているの?」と泣きそうな顔で心配そうに尋ねる妹に対し、「大丈夫だから。大丈夫だから、心配しなくていいよ」と兄である男の子が繰り返し答えている。
「おかあさんが変」という男の子からの知らせを受けた隣人が通報したらしい。男の子は、涙を見せず、母親が亡くなった様子を淡々と刑事に話している。女の子は動かなくなった母をどうとらえているのだろうか。口をつぐんで兄の傍らに佇み、集まってきた私たちを不安そうに見ている。
この家族には親戚がない。残された二人の子には、まったく身寄りがなかった。母親が死んで、正真正銘この二人だけになってしまった。
男の子は泣いてこそいなかったが、どうしていいのか分からないという困った表情をしていた。お母さんがいなくなって、本当にこれからどうやって生きていけばいいのだろう。不安でいっぱいのはずなのに、妹のことを気遣う兄の姿に胸が締め付けられる思いだった。
男の子に話を聞いていた刑事が、話の途中で「ちょっと」と言って、突然その場から離れた。
刑事が泣いている。
「あまりにかわいそうで。うちにも同じくらいの子どもがいまして」と目を真っ赤にしているのである。普段感情を表に出さない刑事でも、残された兄妹と自分の子どもの姿を重ねてしまい、こみあげてくるものがあったのであろう。
刑事の涙を見たのは、この時が最初で最後であった。
検死の結果、母親は病死と分かった。懸命に働きすぎた過労死のようなものだった。男の子から聞いた話では、どうやらいくつかの仕事をかけもちして朝から夜中まで休みなく働きに出ていたらしい。時には明け方に帰ってくることもあったという。
男の子はいつも母親が帰ってくる音に聞き耳を立てていた。そして、ドアのガチャという音がして初めて深い眠りにつけるのだった。
「警察の人もいるし、区役所の人もいるから大丈夫だよ、何も心配することはない」と男の子に伝えた。何をどうしていいか分からず呆然としている幼い子どもに、「検死が終わったよ。これが診断書です」と従来通りのやり方で診断書を渡して帰るなんてことはできない。
区の民生委員を呼び、この子たちが安心して今後も暮らしていけるように面倒を見てほしい、どうか頼みますよ、とお願いして次の現場へ移動した。
あの時からもう四十年以上経つ。
今でもふと、その兄妹はどうしているかと思い出す時がある。兄妹のおぼろげな姿と同時に、黒と赤の二つのランドセルが鮮やかによみがえってくる。
民生委員と刑事に連れられ、日暮れの中を手をつなぎ、とぼとぼ歩く兄妹の後ろ姿が忘れられない。悲しい運命に遭った幼い子どもたちが、無事に成長し、どうか幸せに暮らしでいてほしいと願うばかりである。
不安のない生活が保証される国になるために、必要なことは何だろうか。023
上野正彦 うえのまさひこ
1929年、茨城県生まれ。医学博士。元東京都監察医務院院長。
54年、東邦医科大学卒業後、日本大学医学部法医学教室に入る。
59年、東京都監察医務院監察医となり、84年に同院長に就任。89年の退官後は法医学評論家として執筆、テレビ出演など幅広く活躍。厚生省医道審議会委員(死体解剖資格審議部会)、杏林大学医学部客員教授、日本被害者学会理事なども務める。代表作『死体は語る』は65万部を超える大ベストセラー。
株式会社ポプラ社
電話03-3357-2212(営業) 03-3357-2305(編集)
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