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党首選に一般国民参加を扇動する手法の問題点 - 政党政治の否定
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菅直人とマスコミは、この代表選が総理を選ぶ選挙であることを強調し、国民に直接参加を呼びかけ、世論を動員して党員・サポーターや地方議員に圧力をかけるよう要請している。テレビの報道番組は、どの局も露骨に菅陣営に与し、視聴者に向かって行動を起こすよう扇動していて、昨夜(9/1)のNHKの大越健介もそうだった。大越健介は、菅直人に対して、もっと強く消費税増税を訴えろと発破までかけていた。消費税増税は、わずか2か月前の選挙で国民に拒否された政策公約である。
NHKは放送法の第1条と第3条をどう考えているのか。大越健介の偏向と非常識は極端で目に余るものがある。公共放送のNHKのキャスターとして適正と言えない。さて、この菅陣営とマスコミが扇動している一般国民の民主党代表選への積極参加の問題だが、まず、こうした政治報道は、これまで一度も見たことがない光景だ。自民党総裁選は、マスコミは視聴者が辟易するほど公共の電波で大量に宣伝放送を流したが、そのときですら、国民に向かって、自分の支持する候補者を総理にするべく自民党の議員や党員に直接声を届けろとは言わなかった。関心を持って見守りましょうというレベルのメッセージだった。宣伝はしたが扇動はしていない。その異常さと気味悪さを冷静に確認する必要がある。「ファシズムの中の代表選」という認識は、眼前の現実を言い表す表現として決して誇張ではない。
以下、政党政治の本来性の観点から、もう少し問題点を掘り下げて考えよう。結論から先に言えば、この一般国民への選挙動員の手法は、政党の代表選挙の意義を失わせるものだ。例えば、政党政治の本家と言われる英国で、労働党や保守党の党首選挙において、ある候補が党員以外の一般国民に圧力行動の参加を促し求めるという事態があるだろうか。党員が党のリーダーを選ぶ選挙なのである。これでは、労働党の党首を選ぶのに、敵である保守党の党員にも間接参加を働きかける矛盾を意味する。政権党の党首選は、確かに一国の首相を選ぶ選挙となるが、英国の保守党が党首選を催行するとき、労働党員を含む一般国民に選挙を左右する圧力行動をかけるよう強引に嗾けるなどという想定は考えられない。そんなことをすれば、保守党の党首選びに労働党の意思が反映し混入するからだ。
実際に、テレビで大越健介と古館伊知郎に参加を呼びかけられている国民は、参院選で自民党に投票した者たちであり、自民党の政策を正しいと判断している者が半分なのである。すなわち、第一に、菅陣営の手法で党首選をやれば、民主党に敵対する勢力の政策意思が民主党の党首選に混入し、その結果、当選する党首の政策は、自民党と民主党を足して二で割ったようなものに薄まる結果に導かれる。原理的にはそうなる。民主党の政策が、民主党の綱領や理念から離れる危険性が助長される。
例えば、消費税増税の問題について、民主党支持者の多くはそれに反対の立場だろう。比較して、自民党支持者は賛成の者が少なくない。政党支持別に消費税増税の賛否を問えば、世論調査の数字はその傾向が出る。そのとき、民主党の代表選で消費税増税が争点になり、二人の候補の間で政策が分かれ、自民党支持者も含めた国民一般に代表選への参加が呼びかけられ、地域の民主党議員事務所に声を届けろと言われ、自民党支持者が積極的に動き、消費税増税に賛成の候補に投票しろと圧力がかったときはどうなるのか。それを国民の声として地域の民主党議員が受け止めてしまったらどうなるのか。そういう問題がある。地域の民主党議員が拾わなくてはいけないのは、自民党支持者の声ではなく、民主党支持者の声である。
事務所に届けられる声は、必ずしも民主党の政権継続を認めた立場からの政策要求ではない。これは、マスコミが街で拾って放送する「国民の声」も同じで、彼らの中には自民党支持者が多くいるという事実を忘れてはいけない。民主党の代表選にネガティブな反応を示し、「国民不在だ」とか「政策不在の抗争だ」と言っているのは、マスコミに洗脳されて口パクしかできないB層もいるが、少なからず自民党に政権が戻ることを期待する国民であるという疑いを持っていい。政治に対して無色透明な「市民」などいない。セレクトされてオンエアされる「街の声」は、本当は「マスコミの声」である。
第二に、政党が選ぶ政党の指導者は、その求められる資質や能力や思想は、国民全体の指導者と必ずしもイコールではないという問題である。例えば、オバマは共和党の指導者としては認められない。マケインは民主党の指導者としては認められない。二人は、それぞれの政党支持者が選らんだリーダーなのであり、二党に選ばれた二人が対決するのが大統領選だ。もしも菅陣営とマスコミが言うように、政権党の党首選には広く国民が参加するべきで、一般国民の政策意思が反映された結果になるべきだと言うのなら、最初から首相公選にすべきで、英国のモデルを移植した二大政党制の制度で政治をする意味はないだろう。また、党首選のポイントに、一般国民の票も入れ、実際に投票を受け付ければいい。そうすれば、より広範な国民の意思が党首選に反映される。
しかし、逆に、民主党という政党の指導者を選ぶ意味や要素は失われる。政党とは、理念と政策を共有する同志の集団である。政党とは英語でPartyと言うが、Party(政党)はPart(部分)に由来する。と、山口二郎が言っていた。社会全体の一部分の利害を担い、主張を代表するのが政党である。部分は全体ではない。PartはあくまでPart。民主党は、代表選で民主党の理念を実現する指導者を選ばなければならず、民主党と自民党を足して二で割って政策を薄めた指導者を選んでも仕方がないのだ。したがって代表選挙は、民主党とはどういう政党か、何をめざす政党かを党員がクラリファイする機会でもある。
第三に、上の論点関連して、代表選で民主党が選ぶ指導者は、何より民主党という組織の基盤を強化し、地域で党員を増やし、選挙で勢力を拡大する能力を持った人間でなければならないという問題である。Partは拡大させないといけない。この点が、今回の代表選の政治で最も見失われ、報道が国民に隠蔽しているところの決定的事実である。党首選で選ぶのは、組織を作り固め、支援者の輪を広げ、選挙に勝つ党首である。議員の立場から本音を言えば、選挙で当選に導いてくれるカエサルのような戦上手のリーダーである。マスコミ報道の「国民世論」の支持率など関係ない。そんなものは移ろい変わるもので、数か月経てば状況が変わっている。マスコミが評価する指導者を党員は信用するべきではない。マスコミの保証書などあてにならないものだ。
菅直人は選挙に弱く、その資質は参院選で証明された。あのような楽勝の選挙を惨敗に導く愚昧な政治家を、民主党の党員や議員は党首に戴くべきではない。菅直人は幹事長のとき、民主党の地方組織を整備拡充する仕事が全くできなかった。党務の才能を持っておらず、不得手で、そのことが菅直人の派閥(菅G)の小ささとも関連している。その逆が小沢一郎で、小沢一郎が代表に就いて以降、地方での民主党の党勢躍進は著しいものがあった。政策が当を得て、組織戦略に手抜かりがなかったから、3年前と1年前の選挙で圧勝したのである。選挙を勝利に導いたカリスマは小沢一郎だ。このシンプルな事実は認めなくてはいけない。そして、代表選の争点として決定的なものだ。
演説の上手さやテレビ映りの良さも、確かに指導者を選ぶ上での重要な要素である。だが、どれほど見栄えや聞こえがよくても、頭がよくて政策理論の弁論に長けても、選挙に弱い党首では何にもならない。小沢一郎は、新人の候補者に対して、辻立ち千回とか、握手と名刺配りのノルマとか、そういう選挙活動の基本を叩き込む。その体育会系的なドブ板の特訓は、田中角栄譲りのもので、私のような古い世代の者は見ていて気持ちがいい。二世の官僚上がりとか、日銀出身とか元新聞記者とか外資系ファンド(ハゲタカ)出身とかの生意気な若僧が、口先八寸で評論家のようにテレビで舌を回しながら、新人議員だとか当選2回だと言って出しゃばる光景は、不愉快な気分が高じて仕方がないものだ。
そういう連中の跳梁跋扈は、自民党政権の時代で打ち止めにして欲しかった。元キャバ嬢の大田和美とか、生きるために仕事を選べなかった田中美絵子のような若者が、国民代表になってよいのであり、底辺の庶民の出発点から国民の役に立つ政治家に成長すればよいのだ。彼らを一人前に育てるのが小沢一郎の政治手腕であり、すなわち、小沢一郎の指導と薫陶を受けることで、どんな学歴や肩書きのない者でも、一個の有能な政治家に育つことができるのである。東大卒や慶大卒でなくてもよく、裕福な家の子弟の官僚や記者や研究者でなくてもよいのだ。今の時代、それは夢のある話であり、人々に希望を与える話ではないか。政権交代を媒介したマグマとエネルギーは、そういう深層のところにも根拠がある。
田中美絵子の言葉は率直で、私は同情を覚えるし、立派な政治家に育って欲しいと思う。本当のところ、普通の庶民は、親に恵まれた者以外は、若者も中年も稼ぐために仕事を選べないのが今の時代ではないか。大卒の新卒者でさえ、50社も100社も履歴書を送って、就職をさせてもらえない時代ではないか。人は、自分に与えられた環境と条件の中で生きて行かなくてはいけない。自分が持つものの中で、市場で稼ぎに代えられる何かを探さなくてはならない。誰しも同じだ。貴賤はない。田中美絵子の経歴情報は、決して不名誉なものではなく、国民代表の責務を果たす上で不具合なものではない。田中角栄にも学歴がなかった。学歴のなかった田中角栄だが、戦後の政治で国民にとって重要な実績を残している。
4年前、民主党の代表選で小沢一郎と菅直人の一騎打ちとなり、テレビ朝日のスタジオに二人で生出演して討論したことがあった。座席後方のパネルに、市川房枝と田中角栄の写真があった記憶がある。そのときは、菅直人のキャリアが正統的に麗しく見え、田中邸に秘書で詰め、経世会の陣笠から出発した小沢一郎の経歴を価値のないものだと思ったものだ。民主党の関係者、地方議員や党員サポーター、そして県連と連合の幹部は、この代表選に当たって、誰が次の時代を担う若手を発掘し育成できるのか、教育指導者としてどちらが適性と技能があるのか、実績があるのか、その点を間違えることなく評価して党首を選んでいただきたいと思う。選挙はまたある。勝って生き延びなくてはならないし、人材を育成して次の時代に備えなくてはいけない。
以上、政党政治の観点から、マスコミや菅陣営が唱える「国民の参加と圧力」の言説と手法について批判した。
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