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「まさおっちの眼」http://blog.goo.ne.jp/masao19481/ より転載。
小沢一郎は昨日の代表選出馬会見で「日本が壊れている」と言った。親の子殺し、子の親殺し、小中学生の自殺などが今の日本では日常茶飯事になってしまった。そして親が死んでも年金を継続して得るため、葬式も出さず、白骨と同居している事件も相次いで発覚している。まさに市井の巷から本来人間としてあるべき姿が壊れつつある。火葬にした白骨ならまだしも、悪臭を放ち腐乱していく親の姿を同居しながら観続けていくというのは、想像するだけでも壮絶な絶望的な行為である。それができるというのは、すでに人間としての精神が壊れているのである。親が子を殺す、子が親を殺す、というのも人間としての「本能」が壊れているし、未来のあるはずの小中学生が自らの命を断つというのも実に絶望的な行為である。往時のチャップリンは「人生には、希望、勇気、そして少しのお金があれば生きられる」と言ったが、今の日本人には、希望も勇気もなくなったし、経済的にも厳しい人が多くなった。チャップリンのいう人生の三つの必需品が今の日本人には持てなくなって壊れていっているのである。その根底にあるのは「ひととの絆」の欠落である。他人への人間不信が蔓延し、それが肉親にまで及んで、日本人は、老若男女問わず、それぞれが孤独の淵を彷徨っている実情だ。人間はやはり人とのつながりの中で、初めて希望が生まれ、勇気がわいてくるものである。本来孤独のなかで創作する芸術家でも、やはり仲間やそれを評価してくれる人がいて初めて創作意欲がわくものである。まして市井の人たちならなおさらである。今の日本人のように「ひととのつながり」がいつごろから希薄になってしまったのだろうか。隣近所にうるさい田舎と比較して、他人に干渉しないというのが都会的センスといわれていた時代もあった。しかし今では他人に干渉する「おせっかい者」もいなくなり、日本人は本当に孤独、バラバラになってしまった。これには「思い」と「情」が深く関係している。「思い」は「想像力」と言ってもいい。自分や他人への想像力の欠如から、「思いやり」、つまり「思い」を他人や自分に「やる」ことが出来なくなってしまっているのである。「思い」の高まりがないから、愛情、友情、親子愛、などの「情」も希薄になってしまったのである。人間は理屈では動かない、情で動くのである。いつごろから、どうしてこんな日本人になってしまったのか、ぼくにもわからないが。
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