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平成22年8月30日(月)発売
小学館 (通知)
言わずに死ねるか! 連載第5回 憂国リレーオピニオン
●さらば亡国の民よ
敗戦のるつぼの中で過ごした少年期がかけがえのない記憶となって私を支えた 松本零士72漫画家
昭和20年8月15日の昼12時、愛媛県大洲市新谷の川の中に私は居た。それが日本国落城の瞬間であった。
「戦争が終わったぞー」と叫ぶおじさんが土手の上を走って行ったので、疎開していた母の実家に帰ろうとした時、田んぼのふちに座った大人達の、身じろぎもしない黒い影が畔道に見えたのが、永遠の記憶として脳裏に焼き付いている。
真昼間というのに雨戸は締め切ってあり、玄関をこじ開けて土間に入ると、祖母が刀を抜いて打粉を打ちながら、恐ろしい形相でじっとにらんでいた。「敵が来たらこれで刺し違えて死ぬ、おまえも侍の子なら覚悟せえ」と腹から絞り出すような声でそう言った。正に日本国落城の断固たる宣誓であった。
あれから65年、その時私は小学校2年、7歳、時は望むと望むまいと過ぎた。翌年、自分にとっては生まれ故郷の北九州小倉市に戻った。占領軍の充満する亡国のるつぼの真っただ中で少年期を送る事となった。
正に自分自身が亡国の民としての日時が続く事となった。占領軍の兵士個人に憎しみは感じなかったが、彼等にも戦いで死ねば悲しむ肉親が居るはずだ、という思いの傍らで、この前まで戦いの相手だった占領軍、個々の兵士に媚びへつらう人や、全部とは言わないが表裏一変した大人達の言動に、これが同じ日本人かとぼう然たる想いに打たれたのも事実である。
哀れ亡国の民よと、子供心にも染み込んで、今もその時の情景が浮かんで来る。
陸軍航空隊の戦隊長だった父は無事生還したが、戦場での悲惨な情況と多くの部下と士官学校の同期生総てを失った自身への責任感からか、戦場での話をしてくれたのは、私が高校生になった前後のころ。加えて、父が遺した日記帳からその真実が判った。
公職追放にもなったし、米軍航空基地に呼び出されたり、様々な事があって我家は極貧の極限まで零落し、私は関門海峡に飛び込んで魚取りまでやったり、親父について買い出しに山の村へ行ったりして、露店で野菜を売って一家七人が生きて来た。山道で荷を担ぎ、思わず「ふうーっ」とため息をついたら、「ため息をつくなっ、ため息をつくようなら二度と連れてこんぞ」と怒られた。以来、私はため息のつけない男になった。
その後日本は経済的には立ち直り、自分は少年の日の夢は果たす事が出来た。ただ日米講和条約の発効以来、独立国としての立場は回復したはずなのに、逆にこれが自縄自縛と化して、現代のこの瞬間まで続いているような気がする。
日本は一体何処へ行くのか? この国は国家として何を成さんとして、何を願い、何を目的として地球上に存在しているのか? 世相、信条、倫理観の喪失、支離滅裂の様相は世界でも例を見ない無残な情況ではないのだろうかと、暗澹たる想いに駆られる。四方八方に媚びを売り、プライドの片鱗も無く、運命の総てを他国に委ね、その日その日を食して生きる。亡国の民としての運命は、あの日、あの時以来何も変わらない。内輪では、罵署雑言が飛び交い、明日への夢も夢としてしか語れない、戦後65年、落城以来それは何も変わっていない。
この国はあらゆる物を少しずつ削り取られ、自ら贈り、いつか無となって、いずれかの国の勢力圏の新世界的植民地としてしか生きて行けないのだろうか。50年後、100年後にもこの国は現実に地球上に存在しているのだろうか? 流す涙も枯れ果てたミイラと化しているかも知れない、亡国の民の亡骸など見たくも思いたくもないのに、SF的に見えて来てしまう。
だが本当に目覚めれば、地球の未来、人類の未来の為に存分に活動する能力と勇気、知力を日本人は発揮出来るはずだ。もう人類同士が地球上で争っている場合でも時代でもない。地球の自然環境の保全、全生命体の生存を懸けた闘いが、現実に日本人の使命として訪れているのだ。
自らが生きた亡国の民の時代をもう忘れたい。さらば亡国の民よ!!
まつもと・れいじ/1938年福岡県生まれ。54年、高校1年生のときにデビュー。72年、『男おいどん』で講談社出版文化賞受賞。74年から放送のアニメ『宇宙戦鑑ヤマト』の原作、監督、総設定デザイン。代表作に『銀河鉄道999』など
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