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れんだいこのカンテラ時評793 れんだいこ 2010/08/31 21:56
【2010.8.31民主党代表選ゴング考】
2010.8.31日、来る民主党代表選一騎討ち候補同士の菅首相と小沢前幹事長の直接二者会談が行われた。両者は、1・選挙戦を正々堂々と闘うこと、2・選挙後にしこりを残さず挙党体制を確立することの二点を確認し、「9.14民主党代表選」を申し合わせた。事前の根回しによる「トロイカ体制復活取引による小沢前幹事長の代表選出馬取り止め策動」は蜃気楼となって消えた。かくして、「9.14民主党代表選」の火蓋が切って落とされた。
これをどう評すべきか。れんだいこは、日本政治史上久方の大型の権力闘争勃発と看做し歓迎する。現在の政党の中で、こういう活力ある党首選ができるのは民主党だけと云うことを賛辞したい。かっての自民党を除き、老舗の社民党、共産党、公明党ではこれができない。密室政治批判を得手としているが、手前らの党首選自体が似たり寄ったりだというのに。これがまず第一座標となるべきであろう。
次に、申し合わせ1の「正々堂々選挙戦誓約」の推移を確認したい。両陣営がこれを如何に守り、如何に逸れるのかを見守りたい。次に、票数の帰趨を確認したい。国会議員票、地方議員票、党員票がどう出るのかに興味が湧く。次に、申し合わせ2の「選挙後の挙党体制確立」の出来栄えを確認したい。最後に、マスコミメディアの公正報道ぶり、或いは菅陣営に加担する言論大砲ぶりを確認したい。凡そ以上の関心を引くのが、こたびの代表選であろう。
とはいえそれらは選挙戦の表層的な意義である。我々は、真の政治的意味を確認しなければならない。れんだいこが思うに、こたびの選挙戦は本質的にかなり重要である。と云うか、本質的にかなり重要なところを廻って闘われる可能性が強い。これを端的に云えば、時計の針が今から35年前に戻る。1970年代半ばの田中政権退陣、続くロッキード事件による田中―大平同盟への鉄拳制裁以降35年来の日本政治の変質に対して、これを是とするのか非とするのかが問われている。
ロッキード事件そのものの解析はここでは行わない。問題は次のことにある。ロッキード事件以降の日本政治は、それまでの戦後ハト派的政治が掣肘され、代わって現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義の御用聞き政治へ転換させられ、その流れを加速させた。この際の歌い文句は金権政治批判であった。且つ公共事業批判であった。且つ日米同盟の軍事的同盟への加速化であった。この三基準を廻って、これを是とし、それまでの戦後ハト派的政治を非とするのがロッキード事件以降の日本政治の流れとなった。以来、35年経過している。
昨年の2009年衆院選に於いて民主党の歴史的圧勝により政権交代がもたらされたが、その一番手政権として登場した鳩山政権、二番手政権として登場した管政権は、この抗争軸において全く無能を晒した。民主党内右派も又国際金融資本帝国主義の御用聞き派であることを歴然とさせた。鳩山政権、管政権とそれ以前の自公政権の違いは、本質的に同質政治であり、単に政治手法の違い程度のものでしかないことをはっきりさせた。
この見立てにつき、菅首相が早速に証明してくれている。菅首相は、直接二者会談後の記者会見で、財政再建と云う名目での消費税増税路線を打ち出した後、ロッキード事件をわざわざ持ち出し次のように述べている。概要「(菅首相が)政治を志した原点がロッキード事件に対する憤りだった。政治の生い立ちという意味では、小沢一郎前幹事長とわたしとはかなり違ったところからスタートした。そういった意味で、政治とカネの問題で混乱したり左右されたりすることがないような政治をぜひつくっていきたい」。
ここで見て取るべきは「政治とカネの問題」の方ではなく、ロッキード事件を持ちだしたことであり、これを廻って、追及した菅と首をかしげた小沢の違いであろう。菅は、ロッキード事件の被告となった田中角栄の愛弟子である小沢一郎に対する政治の原点的な敵意、対抗意識を剥き出しにしている。その言に従えば、小沢と菅は元々「水と油の関係」であり、交り合わないことを確信的に述べていることになる。
れんだいこ史観によれば、小沢の政治上の天敵は小泉であるが、ここに新たに菅が登場していることになる。興味深いことは、敵の敵は味方と云う理屈で云えば、菅の敵は小沢、小沢の敵が小泉と云うことになるからして、菅と小泉は親しい関係にあると云うことになることである。実際、これは当たっている。であるとしたら、小泉時代の民主党の対応は芝居だったことになる。実際に口では闘っているふりをして裏では繋がっていたのではなかろうか。小泉長期政権の秘密はここにあったのではなかろうか。この時代の民主党代表が鳩山、菅、岡田、前原、小沢へと流れている。小沢代表になって初めて小泉政権と厳しい対決に向かった史実が得心できよう。
さて、その小沢が遂に起った。小沢の最後の政治闘争となるであろう小沢派の菅派に対する真っ向勝負が始まった。この動きは、国際金融資本帝国主義の御用聞き政治からの歴史的転換を企図しているように見える。日本の国益の自律自存を求める土着政治への憧景が内在しており、日本の国威的ジリ貧、経済的破綻、精神的文化的アイデンティティの喪失を見兼ねて、止むにやまれぬ決起のように映る。かっての日米同盟下ながらも、外務省のそれは別として政治家がそれなりに自主的外交し得た、角栄時代までの政治能力を復権させ、政治家が政治家として時代を主導できる「生きた政治」を目指すことを良しとしていると思われる。小沢はこれを「普通の政治」と云いなしているが、正確には「御用聞きでない普通の政治」と窺うべきであろう。こういう「普通の政治」は難しいのだけれども。
と云うことからすれば、「9.14民主党代表選」は、民主党代表選は当り前のこととしても、その視野にあるのは、日本政治の根本的な在り方を廻る闘いである。御用聞き派と自主独立派と云う両派による一大関ヶ原決戦と看做したい。菅派の勝利は、現代世界を支配する国際金融資本帝国主義の御用聞き政治を強める。自公政治的表からではない裏からの一層ののめり込みを意味する。恐らく日本は更に籠絡され、しゃぶり尽くされた挙句に溶解解体され、米国の一州か中国の一省に取り込まれる流れに向かうであろう。
これに対して小沢派の勝利は、日本の新しい在り方としての自律自存を求め苦闘することになるだろう。菅の道は安逸であり、小沢の道は茨である。処世法としては菅派のそれの方が賢い。だがしかし、政治家のあるべき姿としては人民大衆を食わす為の経済がどうなるかが肝心であり、菅派政治には明日はない、小沢政治には例え茨でも希望があると考えるべきではなかろうか。
れんだいこ予想では、小沢派が勝利する。それは、この間の政治への反作用であり、右に振れ過ぎた振り子が元へ戻ろうとする自然作用に似ている。問題は、この流れが如何にして暴力的に壊されるのかの危惧にある。小沢暗殺、小沢派要人テロ的暴挙も考えられる。だがしかし、油断はできないが衆人環視の現代社会で粗野な蛮行はやり辛いとすべきではなかろうか。当然その抑制力も働く。この緊張関係の中で、選挙戦と首相選出と組閣が行われる。組閣に興味があるが、今はそれを問う時機ではない。ましてや、小沢がそこまで御身保全し得るのかどうかも分からない局面においてをや。
それはともかく、小沢は遂に西郷どんになった。既に先の投稿で述べたが、かの時の西郷どんは勝利の執念が薄かった。その歴史的間違いを確認して、こたびは勝利に向かわねばならない。そして、日本の政治の根本的刷新即ち回天事業に向けて出発せねばならない。日本の国内政治の諸改革、国外政治の出番は小沢政治の始まりと共に始まる。この道には、世界平和と反戦に真に貢献し、21世紀の豊かな生産力を分かち合う新しい国際秩序を創造し得る可能性がある。これこそが真の日本の生き延びる道であり、頼もしい限りの前途洋々ではなかろうか。
そうだ、その前に、こたびの選挙戦で、誰がどのように立ち回るのか観察しておかねばならない。どうでも良いようなことだけれども、新時代を切り開く有能士を探すのが面白いからである。
2010.8.31日 れんだいこ拝
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