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August 31, 2010
小沢一郎と日本の「失われた二十年」
■ もう少し涼しくなっているはずであるけれども、どうしたものか。
各種世論調査の結果は、小沢一郎に対する忌避感情が半端でないことを示している。
雪斎は、小沢一郎という政治家を全然、評価していない。
過去二十年、日本の政治は、彼を中心に回った。
だが、その二十年は、「失われた20年」となった。
小泉純一郎執政期は、小沢一郎が実質上、沈黙していた時期であった。
この時期の終盤は、漸く「デフレ脱却」がささやかれた。
小沢一郎が黙ってくれていた方が、日本のためになった一つの事例であろう。
石破茂自民党政調会長も、「小沢氏の影響力は徹底して排除する」ことを説いている。
彼も、自民党脱党、新生党、新進党、自民党復党という軌跡をたどった。
雪斎も、「永田町」で、石破氏と同じ風景を観ていた。
一時期、雪斎は、小沢一郎新進党代表・愛知和男政審会長という体制だった折、愛知政審会長の「参謀」役だった。
だから、小沢一郎という政治家が、「権力を持ちたいが責任は取らない」類の政治家であることは、その頃の経緯から知っているのである。
彼は、率直にいえば、インパール作戦を指揮した牟田口廉也と同じタイプの人間であろう。
もし、彼と袂を判った政治家が、政策上の不一致によって、そうしたならば、局面が変われば、再び彼の下に走ることもあろう。しかし、一旦、彼から離れた政治家が再び手を組んだ事例は、羽田孜元総理を除けば、ほとんど皆無である。現在、小沢一郎と鳩山由紀夫の近さは、その例外であろう。
そうした人物が過去二十年、日本政治の「中心」にいたのである、
小沢一郎を退場させることが、「失われた20年」に終止符を打つ第一歩である。
現在、菅直人内閣支持率は、反転傾向にあるけれども、その最たる要因は、彼が「脱小沢化」を進めているからに他ならない。
彼の個別の政策対応が評価されているわけではない。
故に、彼が「脱小沢化」を減速させるような妙な党内妥協をやると、折角、戻った人心も離反するであろう。そうなれば、菅直人も、民主党政治家としては「終わり」である。
この数日は、見物であろう。
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