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大メディアの精神的貧困(永田町異聞)
新恭 2010年08月30日11時13分
http://news.livedoor.com/article/detail/4976318/
筆者はこのブログで、「気分本位」ではなく「事実本位」でものごとを判断したいという思いを、おりにふれて書いてきた。
もちろん、「事実」とは何かを問われれば、話はがぜん哲学的になり、簡単に答えは出ない。
ここでいう「事実本位」とは、思い込みや、テレビの断片情報から受けるイメージなど、判断を歪めるさまざまな呪縛から自らを解き放ち、可能な限りさまざまな資料にあたって、すなおに解釈したい、ということである。
今朝、読者のお一人から非常に端正、かつ誠実な文面のメールをいただいた。かりにDさんと呼ばせていただこう。
Dさんは「政治については、どちらかというと無力感を感じるままに疎んじてまいりました」と自己紹介したうえで、次のように書いている。
「しかしながら、最近の小沢バッシングについては、小沢支持・不支持という立場を超えて異常だと思ってまいりました。ひょっとしたら小沢疑惑なるものは、濡れ衣なのではないだろうかと思うようになり、一念発起して、陸山会政治資金報告書、登記簿謄本、確認書、関連法律、検察審査会議決等を、すべて自分の目でチェックしてみました」
一人の政治家の発言から一挙手一投足にいたるまで、毎日のように尾ひれをつけて批判を繰り返し、仏頂面の写真に「政治とカネ」のレッテルを貼りつけて、悪党イメージをことさらにあおりたてる。そのマスメディアの異常さに、ついこの間まで政治に無関心だった人さえもが気づき、それによって国の危機を感じるようになっている。
Dさんは、自ら調べた結果をこのように書く。
「少なくとも懸案となっている04年、05年、06年の政治資金報告書について、記載漏れも、期ずれも、虚偽の記載も一切なく、パーフェクトに整合的なもので、小沢疑惑なるものは全く根拠のないものであることが分かりました。そして、すさまじい小沢バッシングに対して、私が確信した真実を対置していくことは、私のミッションなのだとも思うようになり、確認した事実について拙文を連ねた無料のチラシを印刷配布することを計画いたしました」
ついにDさんは、「確信した真実」をより多くの人に知ってもらうために立ち上がる決心をした。そして、チラシのなかに6月13日の拙ブログ「熊野を歩いた小沢一郎の心境」を引用したい旨、お申し出があった。
筆者は以下のような返信メールを送った。
「陸山会政治資金報告書、登記簿謄本、確認書、関連法律、検察審査会議決等を、すべてご自分の目でチェックされたとのこと。大変うれしく思っております。こういう事実にもとずいて判断する姿勢がマスメディアに欠けており、その報道の結果、私の周囲にも、『小沢一郎はゼネコンから何億も裏金をもらっている金権政治家だ』と本気で信じている人がたくさんいます。このような活動は貴重なもので、拙文がお役に立つなら、どうぞお使いください」
マスメディアによる小沢バッシングの異常さが、かえって小沢氏の素顔とまともに向き合う契機となった。そのような趣旨のメールはDさんのみならず、多数の方から届いている。
そういうメールに接するとき、日本人もまだまだ捨てたもんじゃない、という思いを強くする。
Dさんの取り組みは「事実本位」の一例として書いた。次に、「気分本位」の例を取り上げてみたい。これはどこの新聞でも、いつでも容易に探し当てることができる。
たとえば8月27日の朝日新聞一面で、星浩氏が書いた記事だ。
「小沢氏が代表選に手を挙げること自体、大いに疑問があるが、あえて出馬するのなら、疑惑について反省し、十分な説明をする必要がある」
「疑惑について反省」とはどういうことだろうか。小沢氏がいわゆる「政治とカネ」なる疑惑を世間に抱かれている。しかし、事実としては、不起訴である。
疑惑を抱いている主体は何だろうか。実体のない、移ろいやすい、抽象的な「世論」という代物であるとするならば、それはマスメディア自身がつくりあげているものだ。「世論調査」の結果は、マスメディアの姿を映す鏡でしかない。
その集団幻想とも言っていい「疑惑」を反省しろと言われたら、誰だってどうしていいかわからない。
「十分な説明をしろ」と言う。いつもの「説明責任」というやつだ。では「十分な説明」とは、どこまでの説明なのだろうか。具体的に示すべきではないか。
すでに小沢氏は記者会見を通じて、土地購入原資の出所を明らかにしている。おカネは小沢氏と小沢氏の複数の政治団体の間で動いているだけであり、他から流入している痕跡は全くない。
記者たちはそのことを十分知っていながら、小沢攻撃を際限なく続ける。小沢に批判的な記事は採用されやすく、小沢を持ち上げる記事を書けば、「ちょうちん記事」と切って捨てられる。
とどのつまり、彼らが不毛な小沢バッシングをやめることができるのは、小沢氏が「私は悪いことをしました。申し訳ありません」と言い残して政界を去るときだけ、ということになる。
報道のアマチュアであるD氏が、陸山会政治資金報告書、登記簿謄本、確認書、関連法律、検察審査会議決を熟読し、確信した事実をチラシにして配布しようとしている。
その一方で、政界にどっぷりつかってきた大新聞の編集委員が、いとも簡単に「疑惑を反省」「十分な説明」という空疎な言葉を使う。
この鮮やすぎる対照は、昨今のマスメディアの精神的貧困を如実に物語っている。
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