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れんだいこのカンテラ時評787 れんだいこ 2010/08/28 12:23
【小沢再登場の合理性考】
2010民主党代表選が「菅対小沢の一騎打ち」になるや、マスコミの小沢パッシングが又一段と激しくなった。この連中は、「政治とカネ問題」を執拗に論(あげつら)うが、「言論とカネ問題」で買収供応されている国際金融資本エージェントであることが次第に周知されつつある。そう云う訳で「為にする批判」を繰り返しているのだからしてまともに付き合う必要はないのだが、これに誤魔化され一定の影響を受ける者も見受けられるからして、適宜な批判をしておかねばならない。
「御身保全式代表選立候補論」のナンセンスについては先のブログで言及したので、ここでは「蟄居した筈なのになぜ再登場したのか叱責論」について検討しておく。結論は、小沢は好き好んで再登場したのではなく、歴史的要請に応えて再登場したのだと回答しておこう。以下、簡略にこの流れを確認しておく。
鳩山首相は、政権末期に於いて各所に無能を呈示し、これでは参院選が戦えないとする党内ブーイングが強まった。それまで党務専念で政務に口ばしを入れないことを旨として来た小沢幹事長は、その圧力に押されて官邸に談判に向かった。その結果、ツ―トップ同時辞任となった。この流れを見れば参院選対策が主因であったことが分かる。後継した菅政権は「小沢的なるもの排除」を露骨化させ、それが支持率をアップさせるという形で出航した。この勢いで参院選を迎えたが、これに見事に勝利しておればツ―トップが再登場することもなかった筈である。
ところが、参院選に突入して菅政権が為したことは、何ら持ちだす必要のない消費税10%値上げ論であった。それは党内議論を経ぬままの官邸独裁の形で発表されプロパガンダされて行った。候補者は面喰い防戦一方を余儀なくされた。菅政権は党内ブーイングを受け底辺生活者救済に言及し始めた。が、あちこちで年収制限を云い換え、やれ300万円、350万円、400万円ボーダーライン説を飛び交わした。同じ口からのデマカセ発言であったが、果たして健忘症によりこういうチグハグ発言になったのだろうか。意図的故意のデタラメ発言と捉えるべきではなかろうか。これが有権者の怒りを誘った。昨年の衆院選では自公政権にお灸を据えるとした有権者は一気に民主党にお灸を据えることに転じた。これにより参院選挙は惨敗した。
この惨敗は、明らかに仕組まれたものであった。つまり、先の参院選は八百長選挙であった。なぜなら、消費税10%値上げ論の突如の持ち出し、年収ボーダーラインの次から次への云い換えが不自然過ぎるからである。民主党が負けるようにシナリオされ、菅首相がこれに乗ったと見るべきであろう。そういう目て見ると、鳩山は坊ちゃん政治であったが、菅はピエロ政治のように映る。鼻に大きな赤い玉を乗せ三角帽子を被れば似合いそうである。
しかも、菅政権は、選挙結果に対して何一つ責任を取らなかった。仮に首相引責にまでは及ばないとしても、せめて幹事長は責任を取るべきだった。仮に幹事長引責にまでは及ばないとしても、せめて選対責任者は責任を取るべきだった。仮に選対責任者引責にまでは及ばないとしても、せめて落選閣僚は交代させるべきだった。驚くことに菅政権は何一つ対応せず、あろうことにその舌で9月の代表選出馬を宣言した。菅の政治履歴にこういう醜態が刻印されたことになる。普通はオワである。
菅政権は、鳩山政権の命取りになった普天間基地移転案としての辺野古案に対してもあっさりと受け入れを表明した。2009衆院選公約のマニュフェストに対しても一たびは実現させ、後に軌道修正するのならともかくも、やらぬ前から早々と見直しを公然化させ始めた。こうなると一事万事であるからして、菅の約束は全てが空約束と受け止めざるを得まい。政治の不信極まれりではなかろうか。
この菅政治を見て、先に辞任したツ―トップが動き始めた。参院選対策として辞任した結果が参院選に敗北し、鳩山政権時には配慮されていた挙党態勢が壊されて片肺飛行化し、マニュフェストの改竄が公然化し始め、消費税10%値上げ論が出したり引っ込められたりする。菅政権登場以来3カ月を超すが、景気浮揚上の有効な政策の何一つが打ち出されず、官邸内で熱い議論がされている風もない。これを見て、党内が菅政権不信任の動きを強めたとして、それは健全であっても逆ではなかろう。故に、ツ―トップの再登場は致し方ないと受け止めるべきであろう。
この党内ブーイングの與望を担って小沢が遂に起った。かって一度は首相を掌中にしていたのを断った小沢が、こたびは迷いをふっきって政権取りに向かったことを意味する。これが今日までの経緯である。どこに叱責されねばならない謂われがあろう。政治をマジメに考える者なら等しくエールを送る話ではないか。これを逆に説き、我らを説教するマスコミの御仁とは何者ぞ。
マスコミは執拗に「政治とカネ問題」を持ち出し、小沢の失格性を論う。しかしながら、云われているところの秘書寮建設問題では検察が起訴できなかった。つまり、相当無理のあるコジツケ捜査であったことになる。ならばと得体の知れない勢力か告発し、検察審査会がこれを受け、マトモな議論を経ぬまま政局の節目ごとに起訴相当だの不起訴不当だのを出し続けている。つまり政治利用されている。マスコミ諸君は、この間の攻防書面を読解する能力がないのか、為にする批判であるから目を通す必要もないのか、相変わらず十年一日の如くの破れ太鼓式「政治とカネ問題」を吹き続けている。
検察以上に検察的に小沢疑惑を奏で続けているが、これは決してマトモではない。冤罪の可能性ある者を弁護するのではなく、冤罪承知で犯人扱いしようとしている。これが昨今のマスコミのペンの正義である。後世の史家がブゼンと判ずることになろう。これに関わった者はペンの責任を取れ、これがれんだいこの申し渡しである。この変態は、ロッキード事件以来の悪しき伝統であるというのが、れんだいこ史観である。以上、「小沢起つ」の歴史的合理性を説いたつもりである。
もう一つ、云いたいことを添えておく。れんだいこは、民主党の政権交代前の小沢、鳩山、菅の立ち位置について、漠然とながら左から見て菅> 鳩山> 小沢と見ていた。しかしながら、今はっきりしたことは、小沢> 鳩山> 菅だと云うことである。何の事はない、保守系の権化のようにみなされている小沢の方が左派的で、菅が一番右寄りと云うことが判明した。菅は鳩山よりも右ということになる。してみれば、1970年代の市民運動のベ平連運動とも違う形で発足した社民連運動は本質的に右派系市民運動であったということになる。今我々は、そのなれの果ての菅を首相として見ていることになる。どうでもよい御仁ではなかろうか。その菅が格別に登用している仙石、枝野にしても、仮に履歴上は左派系だとしても同じムジナのペテン連中と云うことになろう。
2010.8.28日 れんだいこ拝
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