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れんだいこのカンテラ時評786 れんだいこ 2010/08/27 19:36
【「燕雀の鴻鵠論を嗤う」】
「小沢起つ」の報を受け、志ある日本人民大衆は安堵し決意を固めたが、我らがマスコミ諸氏は頑迷が過ぎる。相も変わらず売文売弁呪文を繰り返している。8.26日付け朝刊では「起てない小沢」を揶揄し、小沢が起ったとなるやカエルのツラにションペンで、翌8.27日付け朝刊では何食わぬ顔して「刑事被告人容疑者小沢論」を振りまき叱責している。平素云うところの「報道の公正」をかなぐり捨て、燕雀( えんじゃく)式正義論を振りかざしている。これはペンの暴力ではなかろうか、許されることだろうか。確認すべきは、しかも各社各紙がなべて均一の反小沢論を唱えていることである。これは果たして偶然だろうか。。
れんだいこにはすぐ解ける。一つは、現代世界を牛耳る国際金融資本帝国主義派の筋書き通りにプロパガンダしているに過ぎないと云うことである。つまり、マスコミ上層部は国際金融資本帝国主義派のエージェントで占められており、まともな評論をする意思も能力も持ち合わせていないということである。もう一つは、燕雀故の矮小正義論を奏でるしか能がない連中であるということである。この二要素が混ざってピンボケ評論、反動評論を垂れ流しし続けている。この習性は既に治癒し難しであり、我々が和製アルジャジーラ放送局、新聞を創り出さない限り処置できまい。
こういう連中が年収ン千万円を手にしながら駄弁を貪っている。これを逆に云えば、売文売弁の見返りとして高額報酬にありついている。この生態こそ不正義ではなかろうか。官僚の不正を批判するのも良いが、同じメジャーで手前らも計られねば不公平と云うものだろうに。マスコミ問題は、政権交代永続革命の或る段階で俎上に乗せねばなるまい。
それは何も政権交代革命を支持するとかしないのかを尺度にはしない。右であろうが左であろうが擁護派であろうが批判派であろうが構わない。肝要なことは、言論が真に言論足り得ているのかである。これを精査せねばならない。低レベルの言論にはそれに相応しい待遇でなければオカシイ。売文売弁で高給与待遇している不正を撃たねばならない。問われているのはまさしく「言論とカネ問題」であり、重みは「政治とカネ問題」と等価である。手前たちを自省せぬまま云いたい放題する精神はサモシイと云わねばなるまい。
そういう手あいの燕雀頭脳が、小沢代表選出馬の背景事情として、検察の訴追を免れる為に小沢が出馬したなる珍論を振りまいている。確認するだにバカらしいが、小沢は憲法75条の「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は害されない」の適用を求めて、御身保全の為に民主党代表になり首相になろうとしているなどと講釈している。
子供騙し論に過ぎないが、と云うより頭がオカシイのではなかろうかと思われるがシラフで説いているから可笑しい。これが日本ジャーナルの水準だと云うことになる。悪いことは云わん、今からでも遅くない、高給部分を返上するなり、れんだいこの推奨するカンパ先へ救援せよ。貧相評論―高給待遇は犯罪である。国際金融資本の言論買収政策である。
鴻鵠(こうこく)の志を知るには、その言、立ち居振る舞いをそのままに見るべきである。下手に己の甲羅に合わせて理解せぬが良い。同じ鴻鵠の士であれば自然に意が通じるものだ。そういう訳で、れんだいこが小沢の心情を確認しておくことにする。小沢は遂に西郷どんの心境に立ち至ったことについては既に述べたので繰り返さない。もう一つは、どうやら殉教の旅に出た感があるので、これを確認しておく。
小沢は、立候補声明前日の8.25日午前、東京・新宿の日本青年館で開かれた「小沢一郎政治塾」で約1時間30分講演した。塾生約60人、小沢グループの国会議員約50人を前に次のように弁じている。(日々坦々さんが全文書き起しが阿修羅で転載されており、読ませて貰った謝謝)
小沢は、恐らく訥々(とつとつ)と語りかけている。いきなり日本精神を掲揚している。右翼的な日本精神論に於いてではなく土着縄文的な日本精神論を語っている。現在の日本人の精神の荒廃、日本人の劣化を嘆じ、「自立した日本」の再確立の必要を説いている。これに関連して教育を重視、人づくりによるモラル、美徳の涵養を語っている。日本にはかって素晴らしい文化、社会があったことを指摘し、その毀損を憂いている。それは何も日本だけではなく、かってのアメリカ民主主義にもそのようなものがあったとも指摘している。
ここから話を次のように繋げている。「ぼくはまた、今度のね、オバマ大統領の、絶対黒人大統領なんかはありえないと思ってたアメリカ社会、黒人の大統領が誕生した。しかも、アメリカではケネディに始まってね、大統領暗殺の歴史も沢山あります。リンカーンもそうですし、だから、黒人が候補者に出たら必ず暗殺されるんじゃないか、という噂さえ事前にはずっとあったんですね。だけどこの危機にあたって、変化を強調したオバマ大統領を彼らは選んだ。現実、今、オバマ政権が言ったとおりやってっかどうかは別といたしまして、黒人の大統領をあえて歴史上はじめて彼らは選択した。私は、そういう意味でね、決してあまりアメリカ人を利口だとは思ってませんけれども、そういった意味での民主主義と、そして危機にあたっての国民の選択という自由な、自分の意思による選択というものが、きちんと実行されているということについて非常に高く評価をいたしておるところでございます」。
この発言は異例ではなかろうか。小沢は敢えて、アメリカ史に於ける大統領の暗殺に言及している。小沢にそう云わせた背景を忖度(そんたく)すべきではなかろうか。この弁は、小沢が暗殺される可能性、危険性を承知していることを示唆している。小沢は、それでも起った。
その他、第二次世界大戦時の捕虜の行動パターンに於ける日米英の兵士の差についてわざわざ論じ、映画「戦場に架ける橋」のイギリスの捕虜の毅然とした態度に言及し、「感動した場面でしたね」と述べている。イギリスとアメリカを採り上げお国柄を際どい表現を使いながら論じている。
小沢は、この講話で何を語っているのか。あるいは語ろうとしているのか。れんだいこには、今後の日本の在るべき指針を示唆したと理解する。それは「小沢一郎政治塾」参加者に対してだけでなく、小沢を注視している国際金融資本帝国主義の知恵袋と裏対話していると看做す。文明論を語ることで間接的に大人の付き合いをしようと呼びかけていると窺う。彼らは、尻尾を振って付いて来る者には上手にアメとムチを使うだけで敬意を払わない。尻尾を振らない者に対しては却って丁重に取り扱う習性がある。但し、容赦ならずとした場合には始末する癖がある。小沢は、このことを百も承知で、歴史に身を預けた感がある。小沢が起つまでの優柔不断は、この決意の確認の為に要した時間であろう。
こう窺うのが鴻鵠論である。それをよりによって、御身保全の為に首相になろうとしている論を得々と説くとは。穴が有れば入りたいでは済まないだろうに。仮に今後小沢が暗殺されたとしたらどうなるのか。燕雀は、御身保全を求めて首相になろうとして殺されたと揶揄するのだろうか。れんだいこは、「御身保全式代表選立候補論」を説く者に対して即刻辞職を命ずる。菅御一行様として最低三カ月のお遍路廻りを命ずる。頑迷にも治癒しない者には所払いを命ずる。
最後に確認しておく。小沢的有能にして初めて現代政治が執り行えるのであって、このところの首相のお歴々の頭脳ではとても立ち向かえないと云うことであろう。小沢は、1980年代以降久方の日本政治が生み出した頭脳である。現代政治家の囲碁棋力bPとしての六段は伊達酔狂のものではない。三段程度の菅の頭脳の及ぶところではない。「暫く蟄居しておけ」なる言は無礼にもほどがあろうぞ。政治を弄ぶ者は政界から去らねばならない。日本にはそういう余裕がなくなっている。小沢と菅では格が違う。まずはこの確認から始めなければならない。
2010.8.27日 れんだいこ拝
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