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小沢氏の出馬表明を冷静に受け止められないメディアと踊らされる国民
ESQ Nothing Ventured, Nothing Gained
2010年08月27日00時01分
http://news.livedoor.com/article/detail/4970994/?p=1
今日の話題はメディアの飯のタネとしては、格好のネタである小沢氏の代表選出馬表明について、メディアのようなドンチャン騒ぎとは一線を画して、つとめて冷静な視点で、これを評価してみようと思う。
次の首相を選ぶことに直結する民主党代表選挙の舞台は整ったようである。
そうであっても、私の民主党に対する根深い不信感は消えないし、民主党が失格であるという烙印も消すことはできない。
もっとも、小沢氏の出馬により、今後3年間の日本の国のあり方、昨年の衆議院選挙で掲げたマニフェストの実行という点が再度議論され、マニフェストを反故にしたことへの反省と政権交代の原点回帰がなされるとするならば、これは歓迎すべきことである。
そもそも、私は何度もこのブログを通じていってきているように、民主党のマニフェストについて、賛同しているわけではない。
しかし、民主党は、「公約→政権公約・マニフェスト」と言い変えて、さらに、長妻厚生労働大臣の言葉を借りれば、「マニフェストは民主党議員と有権者との契約である」とまで言い放ったという事実を我々は忘れてはいけない。
そのマニフェストの実行がなされず、普天間問題では、沖縄の有権者との約束を反故にし、期待を裏切った姿を見て、全国の有権者は、鳩山由紀夫氏が率いる民主党政権に愛想を尽かした。
そこで、鳩山路線の継承を掲げた菅直人率いる政権が誕生するも、この政権は何を勘違いしたことか、マニフェストは説明なく反故にするし、しまいには有権者の半分近くが批判的な消費税の増加議論を軽々しく口にし、しかも、今まで散々批判してきた自民党の消費税10%案を飲み込むような発言を選挙期間中にしてしまうのである。
これでは、去年夏の民主党支持者にとっては、「言っていたことが違うだろ?」、「もう無駄は無いと思って増税議論しようという認識か?」、「財務官僚に抱き込まれてるだけだろ!」、「バカなのは官僚じゃなくて菅だろ」と感じたのではないだろうか。
案の定、有権者の支持を失い、参議院議員選挙は民主党の大敗ともいうべき議席数で終わったが、この結果の責任をだれも取ろうとしなかったのが、菅直人率いる現執行部である。
それをごまかすかのように、菅政権は、直ぐに9月の代表選に争点を移し、全く生産性のない反小沢を旗印掲げた権力エゴの現実化に終始して、円高や若い人々の就職難という日本の直面する問題に全く時間を割いていない。
ここにきて、小沢一郎という政治家が代表選に出馬すること自体は、私は大いに歓迎すべきであると考える。
ただし、間違って理解してほしくないのは、私は小沢一郎が代表になれば民主党に希望が持てると言っているわけではないし、私もそうは思っていない。
この出馬表明により、菅直人率いる子ども内閣、子ども執行部の下らない好き嫌いというような幼稚な「脱小沢」の議論から、政策議論に移ると考えられ、ここで改めて、マニフェストへの回帰が検討されることは好ましいと思っているに過ぎない。
この点は、冷静に肯定的に評価すべき点である。
また、小沢氏の出馬について、ここぞとばかりに検察審査会の件を背景として、「違法なことをしたのに首相にするのはおかしい」という見解をもっともらしく主張している人々がいるが、法律的な思考に照らして考えれば、これは全く説得力の無い無知な方の見解であるといわざるをえない。
起訴すらされておらず、有罪の確定もない段階では、刑事責任の関係では、完全な白として扱うべきとするのがルールである。
にもかかわらず、「小沢は疑わしい、説明をしないから黒だ」という前提は、バカなマスメディアの受け売りの主張しかできない人間が、自らが、法律知識において、無知であることを告白する以外の何物でもない。
これに対し、憲法上の規定を理由にそのような人物が首相になるのはふさわしくないという主張がある。既に、ニュース番組や新聞記事などで散々このような論調の主張が公平であるはずのメディアから飛び交っている。
これも、主観的な価値観が先行しており、憲法上の規定の存在意義を解っていない非常にレベルの低い議論である。
憲法75条は、「国務大臣は、その在任中、内閣総理大臣の同意がなければ、訴追されない。但し、これがため、訴追の権利は、害されない。」と規定する。
この趣旨を、「検察行政は、内閣の統括下にあるとはいえ、職務の性質上、ある程度独立性が保障され、政治から中立に職務を遂行すべきものであるため、このことが結果的に内閣の職務遂行を阻害することがありうることに注目しておかれた規定」と通説は解し、他方、多数説は「検察機構の政治的圧迫から内閣を保護するためのもの」と解している(野中、中村、高橋、高見、「憲法U」p176-177)。
いずれにしても、検察審査会で起訴相当決議がでるような人物が総理大臣になるとしても、それ自体を妨げる規定はないし、むしろ、憲法はそうした事態に対応した規定を置いているのであって、ふさわしいかどうかというのは、個々人の主観的価値判断の先行に過ぎず、憲法に照らして考えれば、全く説得力の無い空虚な主張といわざるをえない。
また、「小沢氏は起訴を免れるために、首相になろうとしており、この規定を悪用して、刑事責任を逃れようとしている」という主張も、まったくもって説得力に欠ける。
既に、法的センスのある方はお気づきであろう。
注目すべきすべきは、憲法75条の但書部分である。
「これがため、訴追の権利は害されない。」
日本国憲法が極めて優秀なのは、こうした但書を設けていることで、75条本文の悪用を防ぐことを想定していたのである。
つまり、国務大臣の職から離れれば、起訴されるのである。
通説(前掲野中他 p177)は、「(訴追)のための準備として証拠の保全等必要な措置は、大臣の職務遂行を阻害しない限り、行いうるし、最も重要な点として、公訴時効は停止すると解される」と考えている。
このように、小沢一郎が仮に総理大臣になって、憲法75条の規定を使い、訴追の不同意をしたとしても、国務大臣の職から離れれば、起訴されうるし、有罪が確定すれば、刑に服することになるのであって、刑事責任の回避のために、憲法75条を悪用することは不可能である。
しかし、浅はかなマスメディアはもちろん、小沢一郎に対し、有罪のイメージを植え付けようとしている人々は、憲法75条本文には言及するものの、但書の存在とその意味については全く説明していない。
これは立派な印象操作であるし、いわゆる、洗脳に近いメディアによる事実の歪曲である。
そして、メディアの論調を聞いて知ったかぶりをしたい人々は、ろくに憲法の規定を見ることもなく、「小沢はこの規定を悪用して、刑事責任を逃れようとしている」などと法的センスゼロの主張を恥かしげもなくしてしまうのであろう。
また、こうした主張が民主党執行部の議員、つまり、法律を作る立法者からすら出てくるのであるから、本当に法律のセンスがない無能な立法者が多くの税金を無駄にしていることが良く解る。
以上の理由から、私は小沢一郎が代表選に出馬したこと自体は、政策議論がやっと始まるという点で、肯定的に評価したいし、彼が次の総理大臣にふさわしいか否かは代表選までの彼の言動に注目して、改めてゼロベースで菅首相よりふさわしい人物なのか評価したいと思っている。
私は、扇動政治家や扇動マスメディアに乗せられないように、有権者である個々人が、広く情報を集め、その真偽を常に確かめながら検証することが、主権者としての非常に重要な責務であると改めて感じる。
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