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2010年08月26日(木)
政治生命をかけた小沢の決断
小沢一郎氏が民主党代表選に出るようだ。
党内がまとまらず、ものごとが決まらない現下の政治状況では仕方がないかもしれない。
そもそもこのままでは、小沢氏を信奉する議員たちの鬱積する不満を抑えきれないだろう。
菅首相と仙谷官房長官は、いったん掲げた「脱小沢」の旗をいまさら降ろせなくなってしまっている。降ろせば、気骨のなさを批判され、ますます評判が落ちる。
小沢氏としても、菅首相の「脱小沢」路線が変わらない以上、中途半端なかたちで握手をするわけにはいかない。
鳩山由紀夫前首相のグループ内にも、鳩山が進めようとした「脱官僚依存」を早々に店じまいしたかのような菅政権への苛立ちがつのっている。
小沢は「政治とカネ」問題に再び火がつくのを承知のうえで、決戦にのぞまざるをえない心境に至ったということになる。
鳩山氏は、菅と小沢の間をとりもつというより、むしろ、挙党態勢をつくるには、二人が戦うしかないと腹をくくっていたはずだ。与党であるかぎり、戦いの果てに党が分裂することは、まずありえない。
軽井沢での集まりに、小沢氏が姿を見せたときに、決戦への流れははっきりしていた。
ここまで書き進めたところで、小沢立候補のニュースが飛び込んできた。鳩山氏の全面支援をとりつけたという趣旨の話を、小沢氏が記者団にしている。
鳩山氏は「私の一存で小沢先生に民主党に入ってもらった経緯からして、応援するのが大義だ」と語る。
鳩山氏の思いは分からぬでもない。自らが掲げた理念は、菅政権ではどこかへすっ飛んでいったかのようだ。
決断と実行、といえば陳腐な言葉だが、いまの菅政権ではその点が不安でもある。官僚を使いこなすどころか、取り込まれつつあるように見える。
枝野幹事長は政策通であっても、清濁あわせ呑む器量を必要とする党務の責任者としては、はなはだ心もとない。
民主党政権が誕生してもうすぐ1年になろうとしているが、この間、功罪は別として、決断と実行を鮮やかに示したのは小沢だった。
たとえば、陳情の幹事長室への一元化だ。各省庁に個別に出向くことを許さないというのだから、自治体、業界団体は反発と困惑で揺れ、官僚や族議員も権限、利権のタネを召し上げられて、面白いわけがない。
「幹事長への権力集中だ」という非難轟々の声をものともせず、さっさとこれをやってのけたのは、小沢流というほかなかった。
かつてさんざん煮え湯を飲まされた野中広務が会長をつとめる全国土地改良事業団体連合会の予算をばっさり切って半減させたのも、小沢ならではの判断だった。
ところが、来年度予算の概算要求で、農水省がこれを復活させる方針だというあたり、やはり現政権の生ぬるさを感じさせる。びしっと、内閣にスジが通っていないのが歯がゆいところだ。
鳩山氏は、小沢復活によって、ねじれ国会における民主党政権の窮状の打開をはかろうと決意したに違いない。
1年に3人も総理が変わるのは世界に対して恥ずかしい、などという常識で、歴史的政権交代後の予想された試行錯誤をコントロールしようという小さな考えは捨てるべきではないか。
この国を変えてほしいという政権交代時の期待を、いま誰に託せばいいのか。その一点で民主党代表、すなわち首相を選ぶべきであろう。
選挙の結果、どちらに決まろうと、民主党員は恨みっこなしで運命に従えばいいのだ。
もしかりに、小沢首相が誕生した場合、「政治とカネ」問題など恐るべき逆風のなかでの政権運営となろうが、国難を救うという気概を失わず、着々と手を打っていけば、自ずから道は開けるはずだ。
菅vs小沢の一騎打ちは、ドラマとしてスリリングである。しかし、小沢氏にとっては政治生命をかけた最終決戦といえるだろう。
新 恭 (ツイッターアカウント:aratakyo)
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