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月刊日本編集部ブログ
平成22年8月23日発行(転載了承済)
ああ議員栄えて国亡ぶ 本誌編集部
2010年7月より新たな議員会館がオープンした。総事業費はおよそ1790億円。各議員の部屋は旧館の2・5倍の広さを有し、会議室や逃走用の隠し扉(!)まで設けられている。地下にはコンビニやコーヒーチェーン、参議院会館にはマッサージ店まである。地上12階からは国会を見下ろすことができ、エントランスの吹き抜けからは日光が燦燦と降り注ぐ。さながら外資系ファンドのオフィスビルのような造りだ。
その一方で、新議員会館では警備体制が強化された。威圧するかのようを巨大な入り口を越えると、空港のように厳しいボディーチェックが行われる。受付では小型カメラが訪問者の顔を絶えずチェックしている。そして、もう一つゲートを潜って、やっと目的の議員事務所に行くことができるのだ。旧議員会館の跡地は駐車場になるという。ある議員秘書がボソリとこぼしていた。「派遣村などで苦しんでいる人たちに、ああいうスペースを無料で開放できればいいのですが。」
いったい、わが国の国会議員はいつから特権階級になってしまったのだろうか。これほど豪華絢爛な建物に勤務する人間に、果たして一般庶民の気持ちが理解できるのだろうか。現在の国会議員は、立派なこの建物に見合う仕事をしているのか。
議員会館の歴史を振り返る
そもそも、議員会館はGHQの指示によって建設されたものである。GHQは、日本が無謀な戦争に突き進んだのは議会が弱かったからだと考え、議会に優秀な人材を集め、議会の権威を高めようとした。その一環として議員会館も建造された。しかし当時から、贅沢だという理由により議員会館建造に反対する声も多数あった。
とはいえ、当時の議員会館は木造二階建てであり、一部屋の広さはおよそ10坪で、議員の机と椅子が設置されているだけの簡素な造りであった。議員宿舎のない時代は、ベッドの代わりになる長椅子を利用して、議員たちは寝泊りしていた。廊下はモップで磨かれていたが、床に敷かれた絨毯のせいで、終始ほこりつぽかった。当然冷暖房もなかったので、部屋に置かれたダルマストーブを囲って、議員たちは冬場の寒さを凌いでいた。
また、当時の議員会飴の安全対策は皆無に等しく、誰もがフリーパスで入ることができた。それはまた、議員会館だけでなく、首相官邸においてもそうであった。終戦直後、首相官邸の庭に拳銃をもった暴徒が乗り込んで、発砲するという事が起こるほどの警備体制であったという。
いつ殺されても良いという気概を持って政治を行った終戦直後の議員たちと、殺すに値しないにも関わらず警備体制の強化を求める平成の議員たち。
これを税金の無駄遣いと言わずして、何と言うか。
特権的な、あまりに特権的な
こうした税金の無駄遣いは、新議員会館建造に限ったことではない。それは国会議員の歳費、そして政党助成金という形で表れている。
8月6日、歳費日割り自主返納法案が参議院本会議において成立した。これまで歳費は月割り制であり、月のうち1日でも議員を務めれば、1カ月分の歳費が支給されていた。先の参院選で当選した新人議員は7月26日から任期が始まったが、月末までのわずか6日間の在籍で、7月分の歳費をそっくりもらえることになっていたのだ。
国会議員の歳費は、ボーナス込みでおよそ2200万円。これに月額100万円の文書通信交通滞在費や月額65万円の立法調査費を加えると、およそ4000万円になる。これに加えて、JRの無料パスなど、多くの議員特権が認められている。
今回の法案はあくまで自主返納であり、義務は生じない。民主党は次期臨時国会で日割り法案の成立を目指すそうだが、発言がコロコロ変わる現政権に期待する者など一体どこにいるであろうか。
さらに、政党に所属する議員の場合は、政党助成金が支給される。政党助成法は1995年に施行され、その基金は国民ひとり当り250円の税金により成り立っている。それは年間で、およそ317億円に及ぶ。
政党助成金制度は本来、リクルート事件などの汚職事件で、企業などから政治家への資金提供が問題となったため、企業・労働組合・団体などから政党・政治団体への政治献金を制限する代わりに、政党に対して国が助成を行うことを目的に制定された。現在では政治家個人への献金が禁止されているが、政党支部や政党の政治資金団体を通して企業・団体献金を受けられるという抜け穴が存在している。
民主党は国会議員の特権を削減する一環として、議員定数の削減をマニフェストに掲げている。無能な議員は大いに削減すべきであるが、ただ削減するだけでは、官僚の力が肥大化して、現在よりも官僚主導が進むことになるだろう。また、民主党が掲げているように、たとえ議員定数を80削減したとしても、削減できる経費の額はおよそ33億円である。それであれば、317億円の政党助成金にこそメスを入れるべきだ。
肥大化する国家権力
議員会館建造費にしても、歳費や政党助成金にしても、全ては国民の納めた税金を原資としている。
税金とは、国家(官僚)が国民から収奪したものである。我々国民はそれに従わなければならない。何故なら、それを断れば国家権力により罰せられるからだ。政治・経済が好調である時、国家による収奪という機能は隠蔽されている。むしろ、それは福祉国家という形で、高齢者の保護や就労支援という、あたかも国家が国民を保護してくれているというような、社会保障という形態で表れる。
しかし、社会保険庁の年金記録問題や派遣切り法案などを通して、国家の目的は国民からの収奪であり、国民の保護ではないことが露呈してきている。
本来、国会議員という存在は、この収奪を軽減することが使命であるはずだ。ところが、その議員たちで構成される政党に対して、上記のように政党助成金という形で、国民から収奪した税金が付与されているのだ。国民からの収奪で成り立っている政党が、果たして国民からの収奪軽減のために努力するであろうか。政党助成金という制度は、知らず知らずのうちに、官僚支配、国家権力の肥大化を招いている。
日本の政党は大政翼賛会と化した!
こうした現象は、戦前の大日本帝国下において見られた。
昭和21年から新聞記者として取材を続けてきた政治評論家の今井久夫氏は、「現在の政党助成金の有り様を見ていると、戦時中、大政翼賛会が軍部の臨時軍事費で全て賄われていたことを思い出す」と言う。
「国からもらったお金で選挙に出たり、政治を行ったりするのであれば、国の使用人と同じです。政党が官僚の支配下に置かれるというのは、非常に危険なことなのです。この危険性を最も良く理解できているのは、唯一政党助成金受け取りを拒否している共産党でしょう。共産党は戦前、官憲によって手酷く弾圧されていました。お上から金を受け取れば、帳簿を確認するなどという口実によって、国家権力が政党に介入してくる危険性がある。彼らはそのことを皮膚感覚で理解できるのです」
また、政党助成金は権力者を生み出す構造を持つ。
「政党助成金を握るのは幹事長です。どう使うか、誰に配るか、すべて幹事長の裁量で決まります。だから幹事長に権力が集中し、誰も幹事長に顔が上がらなくなる。
お金だけではありません。候補者の公認もまた、幹事長の権限です。金と公認で全候補者に睨みをきかす。鬼に金棒とは、まさにこのことです」。
政党助成金を廃止せよ!
国会議員の劣化が嘆かれて久しい。果たして、その原因はどこにあるか。それは、彼らもまた国家官僚と同じく、税金で養われているところにある。
そしてそれを当然のことだと考えている。国民の声に耳を傾けなくとも、国民から収奪された税金が自動的に懐に入ってくるのであれば、国会議員が劣化するのは当然だ。そこにはもはや、国会議員と国家官僚の差など微塵もない。
もちろん、全ての政治資金を国民からの献金で賄えというのは、非現実的であろう。それでは、先の参議院選挙で議席を伸ばしたみんなの党に顕著な様に、金持ちしか政治家になれなくなる。あるいは、政商に操られる政治家が増大することになろう。あるいは、小泉純一郎氏や田中真紀子氏のような、ポピュリズム政治家が幅を利かすことにもなるだろう。
しかし、過剰に配分されている政党助成金は廃止すべきだ。それがなくても政治は行えるし、行わなければならない。実際、鈴木宗男議員など、現に政党助成金を得ずとも、しっかりと政治家の仕事を全うしている人間もいる。共産党やその他の無所属の議員もまたそうである。税金の上に胡坐をかかず、庶民と同様に汗を流して政治を行うからこそ、庶民の気持ちがわかるのである。
また、それと同時に、現行の選挙制度そのものの見直しも行うべきだ。政治家の仕事は、国民の声に耳を傾けて立法を行うことで、頭を下げて金を集めることではない。現在の金のかかりすぎる選挙制度そのものが、政治家の質の低下を導いている一因でもある。
衿持と誇りを取り戻せ!
さる8月2日、元参議院議員の村上正邦氏(「日本躍進!春風の会」代表)は全国会議員に対して「国会議員よ 誇りを持て ─国会議員の歳費について考える─」と題する意見書を送付した。その中で、「国会議員は国家国民に対する奉仕者であるべきだ」とし、重要な事は、議員歳費を月割りから日割りに変えるといった瑣末なことではなく、国会議員が「矜持と誇り」を取り戻すことにあると主張している。
「国会議員は就業時間の対価を要求するサラリーマンであってはならない。与野党は歳費の日割りなどを論じている場合ではない。…国会議員は何よりも、公に奉仕することに、矜持と誇りを持たねばならないのだ」。
先述の今井氏も言う。
「かつての政治家は質実剛健でした。自分で汗水流して政治資金を稼いだ。足りない場合は家を売り、土地を手放し、残ったものは井戸と塀だけという、いわゆる井戸塀政治家≠烽スくさんいました。
また、国会のレベルも現在とは比べ物にならない。国会に遅刻したり、くだらない答弁に終始したりするということもなかった。戦後すぐの国会では、鉄道が午後11時頃で終わることもあり、徹夜国会というものもしばしばでありました。そうした時、議員たちは、女性議員も含め、国会の椅子でテーブルクロスを布団代わりにして寝ていたのです。当時の議員たちは、それほどまでに真剣に、国民の奉仕者としての矜持を持ち、天下国家を論じていたように思います。」
自殺者が年間3万人に及び、年収200万円以下の人が1000万人を越えているわが日本国。その一方で、「矜持と誇り」を失った国会議員は特権の上にあぐらをかき、国民の苦しみを顧みない。現代の状況は、「権門上に傲(おご)れども国を憂うる誠なし 財閥富を誇れども社稷(社稷)を思う心なし」と奮起して立ち上がった5・15事件当時の社会状況と何ら変わらない。
西郷隆盛は、「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は始末に困る者なり。此の始末に困る人ならでは、難難を共にして国家の大業は成し得られぬなり」と言った。
命を求め、名を求め、官位も金も求める国会議員諸公よ!西郷隆盛のこの言葉を顧みてはいかがか。p-43
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