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民主党の代表選に関して、各紙とも社説を書いている。筆者が購読している毎日新聞では、18日に「民主代表選・政策と結束を固める場」、22日に「小沢氏擁立論・民主党の勘違いに驚く」と2度書いている。朝日新聞も、ほぼ同じ内容を2度にわたり述べているようだ。その中、産経の論調は、菅首相を支持する理由が「首相をコロコロ代わるのがおかしい」と言うのだけならば、それはおかしいと述べている。
先ず読んで、毎日新聞の論説委員たちは「日本国憲法」をどこまで理解しているのだろうかとの疑問を抱いた。自民党の長期政権下で、2,3年ごとに首相ポストを派閥間でたらい回ししたのは、擬似政権交代の知恵だったと肯定し、「小選挙区主体の制度になった今は、首相の交代は、衆院選での国民の投票で実現すべきだろう。当然のことながら代表任期を機械的に2年とする党規約も変えるべきだ」と書いている。
「首相の交代は、衆院選での国民の投票で実現すべきだ」と言うことは、首相公選制を言いたいのだろう。そう云う声があることは承知している。だが、憲法66条に定められているように、日本は議院内閣制である。即ち、内閣は議会の信任に拠って成立し、政権党は内閣に連帯して責任を持つ。そう云う憲法で定められた現実をさて措いて、民主党代表選を前にして、今、公選制を言うべきことなのか。
さらに「代表任期を機械的に2年とする党規約も変えるべきだ」と言う。憲法7条、69条により、内閣総理大臣は何時でも議会を解散できる。代表任期を機械的に2年にしても、全く意味がないことに気付いていない。今度は、首相が解散を言うと、代表任期に合わせろと言い出しかねない。政党の代表を決めるのは、党の規約に従って決めることで、与党になったからと言って、都度変えるものではない。
次に、論説委員たちは昨年8月の政権交代の意義を全く理解していない。衆院選挙に小選挙区制を導入したのは、二大政党による政権交代可能な政治体制を目指すものであった。昨年8月の政権交代で、小選挙区下での衆院選挙は、国民が政権をどの政党に負託するかの「政権選択選挙」に進化したのだ。つまり、選択の基本的な主体は政党に変わった。マニフェスト選挙はその必然の結果として、生じたものである。
政権党は、原則として任期4年間、日本の政治に責任を持つことになる。従って、政権党は、その政党の理念に則り、マニフェストに掲げた政策を遂行するのに最適な人物を代表(=首相)に選ぶ責任がある。極論すれば、再度選ばれた代表が、矢張り無能な政治家であれば、また更迭する。政権党の4年間の結果を見て、国民が政権党を評価し、悪ければ代えればいい。それが健全な政権交代のある政党政治である。
民主党は、鳩山前首相が普天間問題で躓いた。あとを継いだ菅首相は、参院選で惨敗した。衆院選が政権選択選挙となった今、参院選は政権党に対する中間評価である。普通に考えれば、この参院選の敗北は、鳩山前政権の責任である。だが、菅首相は、独断で民主党の理念を放棄し、消費税増税の旗印を掲げて敗れた。民主党の参院選敗北に関する、菅首相の責任は重いと言わざるを得ないだろう。
しかし菅首相は、その責任を取り辞任はもちろん辞意も表わさなかった。臨時国会開催を前にして、政局の混乱を避けることを優先した。そして9月の民主党代表選で、党員の判断を仰ぐと言ったのである。民主党が党規に従って代表選を行うのは、政権与党の責任として、民主党の理念の下で国民との約束を守り、これからの日本の政治を任すに相応しい人を選ぶのである。それが菅首相だとは限らないだけの話である。
処が、社説は「与党・政権政党の代表交代は、一国の首相の首をすげ替えることだから、党内事情だけで在任3ヶ月で首相を使い捨てにするのであれば、それだけで公党としての責任は免れない」と述べている。全く認識が違う。「在任3ヶ月」が短いとの理由だけで、この困難な時期に日本の政治を任す方がよほど無責任である。
小沢政権になると、マスメディアは多くの既得権益(クロスオーナーシップ・再販価格制・電波利用権等)を失うことになる。それを恐れ、論説委員も見識を失ったようだ。民主党内の小沢擁立論について、「勘違いぶりに驚くほかない」と述べている。「勘違い」は論説委員の方だ。勘違いではなく、正しくは小沢政権を【阻止したい】のである。
先ず社説では、「小沢氏の資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反事件はまだ決着していない」と言う。論説委員は、この公判と訴因を知っているだろう。それなら、なぜ、大久保氏の公判が中断し、石川氏などの裁判が始まらないのか、その理由を追及したらどうだ。いずれの裁判も、検察の敗訴が決定的なので、反小沢勢力は公判が進み小沢氏を覆っている疑惑が晴れることを避けたい。それが理由なのだろう。
次に、「検察審査会の議決が今秋に控えている」ことを挙げている。昨日も、論説委員の憲法の理解度に疑問を呈したが、この件も同じだ。原口総務相が、「民主主義の原点を踏み外した発言をすべきではない。推定無罪の原則が、民主主義の鉄則だ」と語ったそうだが、市民感情の検察審査会の起訴議決を、金科玉条のように述べるのではなく、審査会の起訴議決が、何を意味するかを書くのが、論説委員の仕事だろう。
審査会が、再度の「起訴相当」の議決を出しても、それは「検察限りで終わらせるのではなく公開の法廷で決着すべき」という審査会の判断に過ぎない。郷原信郎名城大教授・元特捜検事が述べているように、検察が「有罪の見通し」に基づいて起訴したのとは、全く意味が違う。代表選に出馬という政治的な問題と、審査会の議決という司法の問題とは切り離して考える。それが、論説委員が持つべき最低限の見識だ。
それより大事なことは、再度の「起訴相当」議決の可能性だけで、その被疑者が総理になる資格を失うことだ。それを認めることは、日本が民主主義から検主主義国家になることだ。日本の政治は、何処の誰とも分からない、法律に素人の11人の審査員が、密室でする判断に委ねられることになる。それに対して警鐘を鳴らす。憲法と民主主義を大事にする。そう云う見識も持たない論説委員なのだろうか。
社説は小沢首相になると、「国会の場で事件の説明をしていない小沢氏が(国会を)乗り切れるだろうか。国会は動かなくなる」と書いている。既に、小沢氏は政倫審への出席と、説明を了承していた。準備は出来ている。日本最強(?)の捜査機関である東京地検特捜部が、1年以上も数回の家宅捜査を含む捜査をし、何にも無かった。説明を求める方は、何を説明しろと言うのだろう。そちらが見ものである。(笑)
また、お決まりの「世論調査では『小沢首相』には反対する声が大勢だ」と述べている。世論調査で政治をするのではない。真の世論調査は国政選挙である。昨年8月の総選挙と7月の参院選が民意である。昨年、国民が民主党に政権を与えた民主党の理念「国民の生活が第一」と民主党のマニフェストは、小沢代表の下で作られた。マスメディアは、これまで小沢氏の政治理念・政策をどれだけ正しく伝えてきたのか。
そして、今回もステレオタイプの「相変わらず『反小沢』対『親小沢』の対立だけがエスカレートしている」と書いて〆ている。小沢氏が、「政権交代を果たした民主党が最初にやるべき3つの改革は、政治改革、行政改革、そして地方分権だった。そこが進まない、あるいは後退しているから国民の不信を招いている。誰がトップになればそれができるか・・・」という最近の発言を伝えたのは、一部週刊誌だけである。
今回の民主党代表選は、脱・官僚政治による【政治改革】の旗を降ろし、「第2自民党の道」を歩むか、再度、【政治主導】の旗印を掲げ、日本を大きく変える【政治改革】に取り組むかの、民主党の路線選択選挙である。ある意味で、既得権益擁護か、既得権益打破かの抗争である。だから論説委員は、小沢氏は「古い体質」の象徴だと書いて、改革者である小沢氏の姿を隠そうとする。彼らには、良識も無ければ見識もない。あるのは、自らの既得権益を守ろうとする意識だけである。
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