http://www.asyura2.com/10/senkyo93/msg/112.html
Tweet |
http://otd10.jbbs.livedoor.jp/1000013618/bbs_plain
れんだいこのカンテラ時評783 れんだいこ 2010/08/22 20:56
【2010.9.14民主党党首選考】
2010年の盆明けと同時に民主党党首選の火蓋が切って落とされた。「9月1日告示―14日投開票」の日程で行うことが決まっている。既に菅首相が続投の意思表示しており、対抗馬は誰かと云うことになりつつある。衆目の推すところ小沢前幹事長であろう。他の候補では菅政権の続投を許すことになり、小沢が出ざるを得ない。原口一博総務相はその後を窺うと云うことになろう。この次第はあと数日ではっきりしよう。
マスコミが例によって、日本の為にならない方向で論陣を張っている。各社ともなべて「首相が一年に三人も替わる痴態をしてはならない」などとの愚見で菅続投をエールしている。首相が一年に三人も替わらざるを得ないような政治そのものが痴態なのであり、首相が替わるのはその結果に過ぎないと説かず、上述見解をぶつと云う事は、マスコミを支配している国際金融資本ネオシオニズムの指令が菅続投を欲していることを示している。これを思えば、日本の為にならない論陣を張り続ける御用聞きマスコミの政権交代を目指さねばならないと云うことになる。出でよ和製アルジャジーラ放送局よ新聞よと云うことになる。れんだいこは既に何度も指摘しているのだが、その気配が伝わらない。
さて、小沢が出るとして、小沢派は何を闘おうとしているかの解析をしておかねばならない。れんだいこの見るところ、最も分かり易く云えば「大人の政治」に戻そうとしていると云うことになる。れんだいこの見るところ、日本政治はロッキード事件で田中角栄-大平正芳の鉄のブロック政治同盟が掣肘されて以来、三木―福田―中曽根系シオニスタン政治に転換することにより大人の政治から子供の政治へ堕してしまった。これに応じて日本の国際的地位が地盤沈下し始め、今では極東アジアにおいてさえ中国には無論のこと韓国にも追い抜かれ後塵を拝する始末になっている。小沢派は、この通史的危機感を持って日本政治の大転換を求めている。こう捉えるべきであろう。
このままでは日本は融解させられてしまう。否、既に九分型ワシ掴みされているのだけれども、残る一分の望みに希望を繋いで日本政治の打開から始めて経済再生、文化、精神の振興へと向かおうとしているように思える。ロッキード事件以降が反動型文化大革命であったとしたなら、反反動型文化大革命即ち否定の否定により日本のあるべき姿を再構築せんとしているように思える。これは小沢派だけにできるのではない。日本人民大衆が改心して本来の能力を取り戻す意思と能力が有りや否やが問われている。この結節点が来る2010.9.14民主党党首選の意義である。ここは小沢が出張るしかあるまい。
これを阻止せんとする売国派即ち国際金融資本ネオシオニズムのエージェント派の云い分は、「政治とカネ問題」で刑事被告人にされる恐れのある小沢を首相にするのは如何なものかと云う論法である。これで鬼の首を掴まえた気分になっている。こういうシオニスタンに告げておこう。その昔、イエスは云った。イエスがエルサレムに乗り込んだ時、律法学者やパリサイ派の面々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか」とイエスを試そうとした。
この時のイエスの御言葉である。イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。律法学者たちやパリサイ派の面々がしつこく問い続けた。イエスは身を起こして宣べられた。「あなたたちの中で、心の中でさえ姦通の罪を犯したことのない者が居れば、その人たちがまず、この女に石を投げなさい」。そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と立ち去ってしまい、最後にイエスひとりと真ん中にいた女が残った。
新約聖書では「これを聞いた者は、年長者から始まって、一人また一人と立ち去ってしまい、最後にイエスひとりと真ん中にいた女が残った」となっているが、我が日本の政界では通用しないらしい。それならばと女に石を投げ始めた構図になる。しかしながら、聖書の記述の方に味わいが有る。なぜなら「心の中でさえ姦通の罪を犯したことのない者」は居ないだろうからである。してみれば、無作法にも石を投げ始めた連中とは何者か。要するに、カネで買われた雇われであると云うことになろう。彼らはそれがお仕事なので、正しいとか正しくないのはどうでも良い。しかし、こうなると、幾ら紳士ぶっていても、心の中は鬼畜そのものと云うことになろう。聖書は、そういう者の為には書かれていないので、「恥じて一人一人去った」とある。
日本のマスコミ人がこの程度のことを知らない訳がなかろうに、小沢前幹事長に対し相変わらず石を投げ続けている。ところが世の中面白い。野中元幹事長が「機密費バラマキによるマスコミ人の言論買収」を証言した。いわゆる「言論とカネ問題」が発生した訳であるが、滑稽なことに日本マスコミ界はこぞって未だにダンマリしている。これにより、「言論とカネ問題」で弁明できない者が「政治とカネ問題」で説教し続けると云う痴態が罷り通っている。恥知らずも程度が深まればバチ当たりになろうぞ。
普通の者なら、れんだいこのこの諭しで改心する筈なのだが、今日びのマスコミ人士は国際金融資本ネオシオニズムに飼われたシオニスタンばかりなので、カエルのツラにションペンで一時キョトンとするものの直ぐに元に戻る。カネと地位と権力と女をあてがわれたうま味がよほど忘れられないらしい。故に説法は無駄と云うことになる。故に、政界の政権交代の次には言論界の政権交代を目指さねばならないと云うことになる。これは人を替える以外にない。新しい人材を登用して、新風で旧弊を一掃せねばなるまい。これを回天運動と云う。そう今こそ、この回天事業に向かうべきである。
では、何を目指すのか。これを確認しておく。れんだいこの見るところ、戦後政治史の深層は戦後ハト派とタカ派の抗争になっている。前者は土着型日本政治派であり、戦後憲法を評価し、この基本線で自由経済市場を守り、日本民族百年の計を図るという政治を良しとする。内治を重視する傾向にある。この政治の粋は池田隼人―田中角栄に見られる。後者は、戦後憲法改正を目指し、国際金融資本型世界体制に殉じることで日本民族百年の計を図るという政治を良しとする。外治を重視する傾向にある。この政治の粋は岸信介―中曽根康弘―小泉純一郎に見られる。色を出さない政治家は、ハト対タカの対決構図の適当なところを遊泳しているということになる。
小沢の有能さは、日本政治の底流がここで暗闘していることをキャッチしているところにある。その上で自らを戦後ハト派の系列に位置づけたうえで、自分の色を出そうとしているように見える。この小沢政治を、日共を代表とする日本サヨ運動派は自民党政治より悪質として目の敵にして政界追放を叫ぶことで知られつつある。しかし、それが通用するのは、れんだいこ以前までである。れんだいこ以降は、れんだいこが一人でも応戦する。小沢政治の方が、手前たちのニセ左派よりは随分マシな左派的要素を持っていると弁じて聞かせよう。角栄-小沢政治を糾弾する側こそが偽装左派であることを証して弁じよう。この眼で見ると、日共は政治上の重要な対決場面では決まって国際金融資本の意を挺して一定の役割を果たしていることが分かる。ここを突かない日共論はツマラナイ。
さて、そういう訳で、小沢が代表選に出るとしたなら、大人の政治に戻して日本政治を再出発させると宣言せねばならない。子供の政治は、菅政権の如く要職を自派の連中で固め、党内反対派を干し冷や飯を食わせる。大人の政治は人事バランスを心がけ、自派であろうが他派であろうが明日の日本を担う人材を見定め要職を経験させる。これを挙党一致体制と云う。日本政治はこのところ、これができぬ子供首相が相次いでおり、これが真の原因で首相交代を余儀なくされている。小泉首相以来はこれに加えて「政治の遊び人」ぶりが目立つ。これは、本質的に国際金融資本に飼われている人間に特徴的な軽率頭脳を示している。この点では、政権政権交代したものの鳩山、菅にも「政治の遊び人」ぶりが見て取れる。但し、人事の点では鳩山の方がまだしも公正であり、菅となると聞かん坊性を増幅しており、とても日本丸を運転する資質はない。
先の参院選では、菅首相は八百長選挙を仕組んだ。党の代表にして首相たる者が上から反党活動して選挙で惨敗し、これに対する責任を微塵も取らない。そのまま続投宣言している。消費税増税10%案を出したり引っ込めたりしているが、その政治論から見えてくるのは一事万事の軽薄さである。それは、去る日の市民運動のなれの果てであり、この程度のものでしかなかったことを証している。
民主党右派政治が、かくも国際金融資本に籠絡されているのかと愕然とさせられるばかりである。今や民主党の歴代代表鳩山、菅、岡田、前原のお粗末さは満天下に知られた。民主党の能力は次の世代にバトンタッチされねばならない。その繋ぎをするのが小沢であり、小沢を措いてはない。このことを確認すべきだろう。ことは首相問題にとどまらない、もっと大きな日本の将来に関わる話である。
であるが故に、国際金融資本側のあの手この手の妨害が鳴りやまないだろう。政財官学報司警の七者機関のシオニスタンどもが束になって第二のロッキード事件を仕掛けるだろう。しかし、これを撥ね退けて、押して進むのが政治闘争だろう。怯んでどうするぞ。幸い今はネットが有る。かの時のようには行かない。正義の為にはいつ死んでも惜しくない命知らずの者が居る。共に情況をこじ開けよう。
2010.8.22日 れんだいこ拝
この記事を読んだ人はこんな記事も読んでいます(表示まで20秒程度時間がかかります。)
▲このページのTOPへ ★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK93掲示板
スパムメールの中から見つけ出すためにメールのタイトルには必ず「阿修羅さんへ」と記述してください。
すべてのページの引用、転載、リンクを許可します。確認メールは不要です。引用元リンクを表示してください。