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日々坦々
2010⁄08⁄22(日) 10:13
「僕は初当選した当時から官僚依存の政治体制を批判して「政治改革」を公約に掲げてきた(『剛腕維新』まえがきより)
昨日、紹介した『剛腕維新』を読み返してみた。
夕刊フジに2000年7月から連載された「小沢一郎の剛腕コラム」を加筆修正したもので、政治のみではなくその時々の国内・国外に起きた出来事について語っているもので、数少ない「小沢一郎著」の書籍のなかでは異色ともいえる。
たとえば、「サッカー日本代表優勝に不撓不屈の精神を見る」(2004年8月13日)では次のように書かれている。
≪サッカーのアジアカップで、日本代表が二大会連続三度目の優勝を飾った。一人のサッカーファンとして、選手諸君に心から「おめでとう」といいたい。本当に素晴らしい優勝だった。僕は決勝戦をはじめ、何試合かをテレビで観戦したが、特に準々決勝の対ヨルダン戦は圧巻だった。一対一でPK戦にもつれこんだ日本代表は一人目と二人目の選手が連続して失敗。普通なら弱気になりそうなものだが、GKの河口能活選手が連続してヨルダン選手のシュートを退け、PK戦四対三で勝利したのだ。試合を重ねるごとに選手たちは本当にたくましくなった。「何としても勝つ」「絶対に負けない」という気迫が伝わってきた。不撓不屈(ふとうふくつ)の精神を感じさせた。力量の差に加えて、気持ちで勝ち取った優勝といえるのではないか。・・・≫
この後、会場となった中国サポーターが「君が代」演奏時にブーイングをしたり、日本代表が乗ったバスへの投石などをきっかけに、日中問題、中国の国内問題に話が進んでいく。
このほか「イチロー選手、夢の実現をあきらめない」や「プロ野球界に将来像なし」「WBC優勝、素晴らしかった熱血漢イチロー」などスポーツの話題もちりばめられている。
どの世界でもそうだが、特に政治の世界では、人々の欲が集中し、渦巻き、跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)するような、殺伐とした環境の中では、スポーツ観戦が一服の清涼剤になっているのであろうことは、容易に想像できる。
この本を読み返して、また、いろいろな発見があったが、特に「まえがき」がよかった。
ちょっと長いが書き写してみる。(数字はほとんどが漢字を使用しているが、横書きのため一部、数字表記にさせていただいた)
*****政治ブログ***********(http://blog.with2.net/rank1510-0.html)(http://politics.blogmura.com/)
≪僕が二十七歳で衆議院議員んい初当選したのは1969年である、もう三十七年前になる。大学紛争で東大安田講堂が陥落した年であり、アポロ11号が月面着陸に成功した年だ。前年の1968年には小笠原諸島が日本に復帰するなど、まだ、第二次世界大戦の処理が終わっていなかった。だが、一方では、1970年の大阪万博に向けて、日本中がわき立っていた。
当時、日本の国内総生産(GDP)は役六十二兆円だったが、2005年には五〇二兆円に増え、八倍以降になった。これは、日本人が敗戦後の荒廃と混迷の中から立ち上がり、必死に努力した結果といえる。
しかし、日本は経済的豊かさを得た半面、今、すさまじいいばかりのモラルの崩壊にあえいでいる。耐震強度偽装事件やライブドア事件、村上ファンド事件、社会保険庁不正問題、日本歯科医師連盟汚職、防衛施設庁談合事件・・・・・、数え上げたらきりがない。
政治腐敗は行政腐敗の元凶は、自民党を中心とする「政・官・業癒着」の権力構造にある。自民党議員と官僚と業者とが「金」「票」「権限」「人事」などを介してもたれ合い、癒着し合ってきた。その権力構造が、年中行事のように繰り返される汚職事件や不正の温床なのである。
この三者による権力構造は、政治的にも経済的にも、「お上」がすべてを主導する規制社会、管理社会をつくりあげた。戦後の経済復興期こそ矛盾や問題点は表面化しなかったが、東西冷戦が終焉し、日本が主体的に進むべき道を選択しなければならなくなった現在、事実上の機能不全状態に陥った。全身に回ったその読破、日本を内部から腐らせている。
役所や企業絡みの犯罪や不正に加え、信じられない凶悪事件も続発している。
自らの欲望を満たすために簡単に人を殺し、平然と他人に暴力を振るう鬼畜たち。最近では、神奈川・平塚の五遺体事件や秋田小一殺害事件、岡山の大学生生き埋め殺人事件など。少し前には、自民党現職議員が強制猥褻で現行犯逮捕される嘆かわしい事件もあった。毎朝、新聞を開くのが嫌になるほどだ。
これらのすべてに共通しているのは、恐ろしいまでの利己主義であり、刹那主義であり、金銭至上主義といえる。
戦後日本が経済発展を目標に掲げて邁進してきた陰で、一部の不心得者だけでなく、政治家や官僚、企業エリートといった指導者にまで、「自分さえよければいい」「その場だけ楽しければいい」「儲かればいい」といった感覚が広がってしまった。日本人の精神的荒廃はもはや、限界を越しつつある。
こうした傾向が加速されたのは、国家や社会の最小単位である家庭が崩壊して、人間としての在り方や社会生活の基本的ルールを学ぶたまの場所がなくなってしまったことが大きく影響している。これは精神的なものだけに、社会を健全な姿に戻すことは並大抵ではない。
数年前、新渡戸稲造の名著「武士道」に関する本がベストセラーになったが、その背景には、社会全体がメルトダウン(溶解)をはじめている中、国民の素直な感情として、日本人が本来持っていた精神的支柱をとり戻したいという思いがあったのではないか。
このままでは、日本に未来はない。政治・行政機関から経済構造、教育・文化、社会保障、税制、安全保障など、あらゆる面で転換していかなければならない。
実は、僕は初当選した当時から、官僚依存の政治体制を批判して、「政治改革」を公約に掲げてきた。五〇〇人もいる代議士の一人、それも新人議員には、影響力など皆無だったが、小選挙区制度導入を訴えた僕のインタビュー記事が本になったこともある。政治家として、一貫して改革を目指してきた。
1993年の自民党離党、新生党旗揚げ、細川政権樹立も、「もう自民党政治ではダメだ」「新しい時代に対応できる政権を打ち立てる」という志から行動したものだ。結果的に、非自民の連立政権は短命に終わり、十年もの遠回りをしたことには、多くの反省点がある。しかし、改革は決して諦めない。
2002年、民主党と自由党は「平成の薩長連合」といえる野党結集を断行した。それは、日本を内部から腐敗、崩壊させつつある自民党政権を倒して、国民のための改革政権を実現するものだ。
少し前から、僕は自由党党首として、民主党代表だった鳩山由紀夫氏と何度も真剣に語り合った。
鳩山氏は大きな歴史の流れを見据えながら、「自民党中心の権力構造を壊して、時代にふさわしい新しい体制をつくれば日本は再生できる。野党第一党である民主党が、ともに闘う仲間を結集させる軸になる。単なる数合わせではなく、たくましい結集にしたい」と訴えた。
それに対し、僕も「国民が不安を抱かないよう、まず我々が明確な姿勢を見せるしかない。
「薩長連合」でも「薩長土肥」でもいい。ぜひ、国民のために倒幕を進めよう。民主党がっ軸になって先導してくれれば、自由党はどんな役割でもこなすつもりだ」と賛同した。
鳩山氏と僕が日本の未来を託した「野党結集」は、後任の菅直人代表の時代に結実した、この歴史的大義を忘れてはならない。
明治維新は、数十人の志ある若者を中心に成し遂げられた。将軍や藩主の身分を廃止して領地を取り上げ、市民平等社会をつくり上げ、経済的にも自由市場経済を実現した、ヨーロッパでは段階的に進めた市民革命と民主主義革命を一度に行い、日本を見事に封建制から近代国家に変身させた。世界史的にも特筆すべき革命だった。
嘉永六年(1853)年のペリー来航から、江戸城無血開城まで十五年。その間、徳川将軍は大政奉還、鳥羽伏見の戦いなど、さまざまな歴史ドラマがあった。
あれから約130年、日本は今こそ、明治維新に匹敵するような革命的転換を成し遂げなければならない。二十一世紀を平和と繁栄に満ちた素晴らしい時代にするため、国民一人ひとりが自分で考え、自分で行動する意識革命、意識改革に踏み出さなくてはならない。
本書は、夕刊フジの連載「小沢一郎の剛腕コラム」のうち、2003年1月以降に掲載したものから抜粋、加筆修正したものである。連載そのものは2000年7月スタートしたが、以来ずっと週一回、その時々、タイムリーな政治、経済、外交、教育、事件などの具体的話題を取り上げ、それに関連して僕の理念や信条を述べる形をとっている。
お読みいただければ、日本が今、極めて重要な歴史的大転換にあり、僕の訴える改革が不可避であることをご理解いただけるはずだ。日本に残された時間は少ない。しかし、何としても抜本的改革を成し遂げなければならない。
その確信と信念を胸に、大転換期の「証言」を書き続けている。 2006年6月30日 民主党代表 小沢一郎≫
この本を通して流れる小沢さんの理念・信条とともに、本当に日本を愛し、今の日本を憂いていることがよくわかった。
4年前に書かれた「はじめに」だが、ようやく念願の政権交代を果たし、政治改革を次々と実現していくはずだった。
それが菅政権になり、小沢さんの範疇には全くなかったであろう官僚支配政治が再び復活する兆しが見えてきて、このままでは改革の狼煙が後退して、ほとんど旧態依然の自民党的体質になってしまう恐れが出てきた。
今、ふたたび小沢さんの剛腕が必要となっている。
初当選時から今日に至るまで、一貫して脱官僚支配、政治改革を訴え続けてきた小沢さんにしてみれば、今の菅政権の官僚ベッタリには、忸怩(じくじ)たる思いがあるに違いない。
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