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(76分)
マル激トーク・オン・ディマンド 第488回(2010年08月21日)
私のやろうとしたことは間違っていなかった
ゲスト:鳩山由紀夫氏(前内閣総理大臣・衆議院議員)
「やり方には至らない点も多々あったが、私がやろうとしたことの理念は間違っていなかったと思う。」
これが鳩山前首相自身による鳩山政権8ヶ月の総括だ。
国民の期待を一身に背負って政権の座についた鳩山内閣は、8ヶ月余の短命に終わった。そして、その後を継いだ菅内閣は、昨年の政権交代時に民主党が掲げた旗をことごとく降ろしてしまったかに見える。政治主導にしても然り、国家戦略室にしても然り、新しい公共にしても然りだ。
しかし、その事に鳩山氏は大いに不満を感じていると言う。
「政治家が理念を掲げ、国民と一緒になってそれを実現していく。(鳩山政権が)その道筋は付けたと思う。それだけは誰が何と言っても守っていきたい」。鳩山氏はこう語り、民主党が掲げてきた理念をここで降ろすべきではないと主張する。
その理念とは、鳩山氏が好んで使う「友愛」の言葉に凝縮された「公平・公正・透明」な社会の実現であり、「機会均等」であり、「地域主権」であり、「共生社会」だ。そのような社会を実現するために民主党は政権交代を実現し、またその青写真を作るために「国家戦略室」を設け、政治主導確立法案を提出した。
ところが、菅政権になって戦われた参議院選挙では、そうした理念が民主党のマニフェストからはことごとく影を潜めた。また、国家戦略室を政権の要に据えた上で、政府の意思決定のあり方や国のカタチを変えていくという当初の壮大な構想も、早々と諦めてしまったように見える。鳩山氏は菅政権のそうした姿勢に対する不満を隠そうとしない。
実は鳩山政権が掲げた理念は、民主党が1998年に発足した際の結党宣言にほぼそのまま記されているものだ。いわば民主党のDNAと言ってもいい。なぜそれが、今になって出たり引っ込んだりするのか。これに対して鳩山氏は、「われわれはその理念を必ずしも常に党内で十分に確認をしてこなかった。だからそれが党内に浸透していなかったかもしれない」と、反省の弁を述べる。いずれにしても、自らが掲げた理念の正しさには揺るぎない自信を見せる鳩山氏だが、それを実現する手法には数々の問題があったことは率直に認める。
まず、政権交代前の準備不足だ。総選挙の1ヶ月ほど前から政権移行チームを発足させたが、議員の大半は選挙に駆り出されていたため、十分な議論も準備もままならないまま内閣を発足させることになってしまった。
そのため、何よりも最初に実現すべきだった国家戦略室の局への格上げ、そのための設置法の作成が遅れた。鳩山氏は、「結果的にそこにいろいろつけ込まれたと思う」と、準備不足が最後まで祟ったことを悔やみ、その隙をついて官僚たちは「束になってかかってきた」とも語り、激しい官僚の抵抗に遭ったことを認める。
そうした自らの失敗を顧みた上で、「たとえ2、3ヶ月政治の機能が止まったとしても、今からでも政権の仕組みを根本から練り直す作業をやるべきだ」と主張する。
9月の民主党代表選については、「2〜3ヶ月、あるいは1年に2人も3人もトップがかわるのは良いことではない」として、基本的には菅代表を支持する意思を示している。だが一方で、「この政権が果たしてどういう理念を持っているのかが、あまり見えてこない」ことが問題であり、「私はこの代表選が理念のぶつかり合いの中で行われることに期待したいし、そうなる可能性が出てきている」と、菅代表に対する対立候補擁立の可能性に初めて言及した。
鳩山政権はなぜ自らが掲げた理念を実現できなかったのか。政権の前に立ちはだかったものは何だったのか。鳩山氏とともに鳩山政権の8ヶ月を総括し、その反省を民主党は今後どのように生かしていくべきかを議論した。
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