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8月17日、新任の西岡武夫参議院議長の事務所を訪ねた。私の人生の師・前尾繁三カ元衆議院議長の遺稿『十二支攷』(全六巻・思文閣刊・絶版)を議長就任の記念として届けるためである。
「攷」は「考」と同じ音訓で、漢字学では同訓異義に分類されるが、意味も同じである。つまり、十二支は干支であり、それに当てはまる祖型の漢字(甲骨文字をいう)を考察し、そこから転じて人としてのあり方を説いている。ただ一般の人には難解で、かなり漢字学を消化していないと読めない。曰く「説文解字」、「羅振玉」、「和漢合運暦」、「和名類聚抄」など、和漢の古文書と首っ引きの本であり、その碩学ぶりが読み取れる。この『十二支攷』付録冊子には、縁あって私が執筆した「前尾学について」が載せてあり、前尾議長がどんな気持ちで、議長職に臨んでいたか、西岡新議長の参考にとの思いがあった。
前尾先生は、戦後最大の学識と見識をもち合わせた政治家で、「人間と政治」の研究がライフワークであった。議長秘書として薫陶を受けた私は、「政治家である前に人間であれ」という遺言を生涯忘れることができない。この意味は「常識と誠実さを持つ人間が、政治家になるべきだ」ということになる。
菅首相の言動ほど、この遺言に違えたものはない。政権交代の原動力となった「国民の生活が第一」を放棄し、消費税を10%とする増税論を得意げにぶち上げ、民主党の党是に反した言動をくり返した。加えて、参議院選挙惨敗の責任も何らとろうとせず、円高の経済危機に何の対応もしない。私は明治以後の議会史をそれなりに繙いたつもりだが、未だ同じケースを探しあてないし、多分ないだろうと思う。
こうなると菅首相の政治家の資質という以前の、人間としての資質に疑いを持たざるを得ないし、良識ある国民も同じ思いを抱いていると、確信に近いものがある。
■朝日新聞社説の驚くべき不見識!
先に朝日新聞の「天声人語」を批判したが、またもや、8月16日の朝日新聞社説は『党首選のあり方--政権交代時代にあわない』との見出しで、民主党の代表選挙に二つの疑問を投げかけ、社会の木鐸たる責任放棄をやってのけた。
第一の疑問は「仮に菅首相が敗れれば、新代表が首相になる。毎年のように首相が代わったあげく、今度は三ヶ月でお払い箱か。こんな短命政権続きで日本は大丈夫か」というものだ。
現下の危機状況の日本を一新させるためには、代表・首相の資質、見識、能力などが選択の基準になるべきであり、首相に不適正で、無能で人間性に欠陥のある人物が政権を続けることになれば、国家の危機が拡大するだけであることはいうまでもなく、これも同じく先に述べた。民主党代表選挙は、投票権を持つ党員・サポーターの自由な判断に任せるべきで、朝日社説が菅首相の続投を誘導することは、民主党に対する重大な「内政干渉」であり、戦前の、いつか来た道の繰り返しであると怒りを覚える。
第二の疑問は、「菅氏は先の参議院選で自民党に敗北しても辞めなかったのに、なぜ一党内の手続きに過ぎない投票の結果次第で辞めなければならないのか」というものだ。これもまさに議会民主政治の根本を理解せず、政党政治を冒涜する暴論である。仮に菅氏が代表選挙で敗れても、その見識と政治力と人間性が評価され、日本の危機を解決できる政治家であるならば、国会が菅氏を首班として指名し、政権を続けられることを憲法は担保しているのだから、まったくの「暴言」でしかない。
朝日新聞はどうして菅首相の続投に拘るのか。菅首相の人間性と政治力のどこを、どのように評価するのか、そこを書いて続投論を述べるべきである。なのに「通説」を装い世論を誘導する。繰り返しいうが、朝日新聞の質的劣化には驚くばかりだ。朝日だけでなく、巨大メディアのほとんどが菅首相を続投させる世論づくりを始めている。この背後に何があるのかよく検証すべきだ。
■国家を危機状況に追い込むメディア権力!
20世紀後半はテレビの発達もあって、巨大メディアが第四権力として国家社会に大きな影響を持つようになった。メディア権力に立法、行政、司法の国家権力さえ、悪い影響を受けるようになった。情報社会が進んだ平成時代に入って、さらにその傾向が強くなったが、健全な情報社会を創設するには、日本でも次に列記するメディア改革が、是非とも必要である。
1)クロス・オーナーシップ(新聞とテレビの共同経営)の禁止。
2)国民の共有財産である電波使用料がきわめて低廉で、既存局優位に偏っており先進国並みに電波オークション制度の導入。
3)中央、地方官公庁の記者クラブ制の廃止。である。
ネット社会が進むなかで、巨大メディアは経営に苦しみ、多くのメディアは宗教団体などに依存しているのが実情であり、その要因はマスメディアとして、視聴者・読者の信頼を失っているからである。小沢一郎が、何故、巨大メディアから嫌われ排除されるのか。その理由は、これらのメディア改革を本気で実現するからだ。私が体験した小沢排除の実例を述べておこう。
1)新進党時代、熊谷弘氏の呼びかけで日本テレビの貴賓室を訪ね、氏家会長や渡辺読売新聞会長から高級なフランス料理をご馳走になった。その時に、この二人から「小沢一郎から離れろ」と強く説得された。
2)本年3月31日、日本テレビは「わかりやすい政治特番組」を放映した。小沢一郎はどんな人物で、何を考えているかを、約一時間、私を中心にして収録を終えた。仔細あって、追加取材まで受けたのだが、放映前日の夕刻、「ある事情で該当部分が放映できなくなった」と連絡があった。
近年の巨大メディアは、まず政権交代を阻止する戦略を練っていた。それなのに、図らずも民主党政権となり、次は「小沢首相は絶対阻止する」との戦略に切り替え、西松事件も陸山会事件も、検察とメディアの暗黙の流れにあった。今回も同じように、民主党の代表選挙でも菅政権とメディアの阿吽の呼吸が聞こえてくるし、朝日の社説もその流れにあり、メディアのむちゃくちゃな強い意志を私は重視している。
されば社会の木鐸は世上から消えたのか、否「ネット」がある。ネットは「情報の産直」であり、だれも手心を加える術がない。ネットから日本一新はできるのだ。
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